第70話 シルヴィス⑦

「お師匠様!!」


 シルヴィスは自分の見たものが信じられなかった。いや、信じたくなかった。自分の師であるキーファが死ぬ。シルヴィスにとってこれほど恐ろしいことはない。


「おっと、何をする気だ?」


 イグルークがシルヴィスの前に立ちはだかると拳を振るう。


「く……」


 シルヴィスは放たれた拳を腕で咄嗟にガードした。シルヴィスはもちろんイグルークの拳打をガードではなく避けるつもりだった。だが、イグルークの拳打はシルヴィスの躱せる速度ではない。かろうじてガードをするだけで精一杯だったのだ。


「どけぇ!!」


 シルヴィスはキーファを救うためイグルークに飛びかかった。一流と呼んで差し支えないシルヴィスの動きであるが、イグルークとは実力が開きすぎていた。


 シルヴィスの拳、蹴り、肘を駆使した攻撃であったが、イグルークは余裕で躱し続け、時々痛烈な反撃を行った。


 シルヴィスの拳を紙一重で躱すと、イグルークの拳がシルヴィスの肋骨に叩き込まれる。シルヴィスの防御陣を紙の如く突き破るとシルヴィスの肋骨が砕けた。


「ぐぅ!!」


 肋骨が砕けてもシルヴィスは止まらない自分まで敗れてしまえば、キーファが死ぬ。一刻も早く治癒術を施さなくてはならないのだ。


「ははは、キーファよ。いじらしいものだな。お前の弟子はお前を助けるために無駄な頑張りを見せているぞ」


 イグルークの嘲弄は不愉快だが、今はそれに拘る時間はない。


「うぉぉぉ!!」


 シルヴィスの攻撃は悉く空を切りイグルークに触れることすらできない。シルヴィスの攻撃をいなして腹部に強烈な一撃を見舞った。直撃を受けたシルヴィスは地面に転がった。

 すぐに立ち上がったがイグルークは追撃をしない。余裕の表れである。


「ふ、哀れだな」

「く……」

「お前は師匠を助けようとしてるだけではなく、この村の連中も助けようとしているのだろう?」

「何?」

「フハハハハ!! お前はあの魔物が私の支配下にあると思っているだろう?」

「どういうことだ?」

「鎖を解いたのは確かに私だ。だが、魔物を動かしてるのはこの村の連中だ」

「は?」


 イグルークの言葉にシルヴィスはつい呆けた声を出した。シルヴィスは自分を襲ったのがイグルークによるものだと思っていたのだ。

 シルヴィスが魔物を見ると魔物の中にいる村人の魂がバツの悪そうな様子を見せる。


『し、仕方ないじゃないか。俺たちは助かるためにやったんだ』

『そうだ!! 俺たちは被害者だ!!』

『そうよ!! 元々はこいつがこの方に逆らったのが悪いのよ!!』


 村人達の醜い言い分にシルヴィスは自分の中の何かが弾けそうな感覚を味わった。


「じゃあ、お前らはこいつとグルだったというわけか……?」

『だから何だ!! お前達が死ねばこの方は俺たちを解放すると言ったんだ』

『慈愛の魔術士様なんだから俺たちの為に死ぬのも本望というものだ』


 シルヴィスの底知れぬ怒りを感じたのだろう。村人達はビクリと身を震わせたが、謝罪の言葉を口にするようなことはしない。むしろ、自分達の行為の正当性をひたすら説く始末だ。


「救おうとした者達に裏切られる自愛の魔術師様一行……最高に嗤えるぞ!! はぁっっはっはっはっ!!」


 イグルークの高笑いにシルヴィスの中の力が弾けるのを感じた。


 ガキン!!


 しかし、完全に弾けようとした時に何かがそれを封じるのを感じた。


 言うまでも無くなくキーファの施した封印だ。


(くそぉぉぉ!! お師匠様の封印が!!)


 シルヴィスが焦る。自分の実力ではイグルークには遠く及ばない。逆転のためにはあの時・・・の力を使う必要があるのは明白だ。だが、その力は封印によって発揮することはできないのだ。


 シルヴィスの目にキーファの姿が目に入る。


(早くこいつを斃さないと、お師匠様が死ぬってのに!!)


 シルヴィスは焦る気持ちはあるが、心のどこかが冷静な部分があった。それはキーファの指導の賜物であった。キーファは戦いにおいて激情だけではいけない。氷のように冷徹な部分を無くしてはいけないとことあるごとに言っていたのだ。


(お師匠様の封印は複雑かつ強固すぎるものだ……ならば一瞬で力を爆発させるしかない)


 シルヴィスにとってそれは賭け以外の何者でもない。だが、やらなければならないのだ。


 シルヴィスは自分の中の紋様の力をイメージすると極限までそのエネルギーを貯める。


「さて、お弟子君を殺してキーファの悲痛な顔を見せてもらうとするか」


 イグルークはニヤニヤと嗤いながらシルヴィスに近づいてくる。


「はぁぁっ!!」


 シルヴィスは溜め込んだ力を一気に放った。


 ……がダメだった。


「くそ……違う。こうじゃない。力任せではダメだ」

「ふん、何をしようとしてるか知らんが、往生際が悪いぞ」


 シルヴィスにイグルークは嗤いかけるが、シルヴィスとすればそれどころではない。


(お師匠様は……封印は力では決して破壊できない……と言っていた)


 その時、シルヴィスの中でキーファとの今までの会話が高速で再生されていく。


(違う。この封印は俺を守るため、暴走し他者を傷つけることで俺が心に傷を負わないためのもの……なら!!)


 シルヴィスは天啓を得た気持ちであった。雲間から光が差すように自分のすべきことがわかった。

 

(この力は俺の力、力に俺が動かされるのではない。俺がこの力の主人だ)


 シルヴィスは自分の外に力を放つのではなく、自分の中にある神族と魔族の力の支配に全精力を傾ける。感覚が研ぎ澄まされこちらにイグルークが歩いてくるのが妙にゆっくり見える。

 それはもちろん錯覚ではない。死を直線に脳が高速回転を行い、生き残るための最善の行動をとったにすぎないのだ。


 カシャ……ン。


 自分の中にある鎖が解け地面に落ちるのをシルヴィスは感じた。


「解けた」


 シルヴィスの口から充実した声が発せられると同時にシルヴィスの左半身に黒の紋様、右半身に赤い紋様が浮かび上がった。

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