第66話 シルヴィス③
ギオルは泣きながら走る。両親のギオルの呼ぶ声がどんどん小さくなっていく。
ギオルの走る速度が両親よりも遙かに速く、ドンドン引きはなしているのだ。
「うわぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ギオルの泣き叫びながらどんどん森の中に入っていく。不思議な事にギオルの眼には夜のはずなのに昼間と同じように視界が見えていた。そのためそのまま走り続けることが出来たのだ。
それに全力で走っているはずなのに少しも息がきれることはない。
故に足を止めることなく走り続けることが出来た。
ただただ夢中で森の中を走り続けた。
普段は現れるはずの魔物達もギオルを襲ってこない。ギオルの発する威圧感を無意識に感じたのだろう。わざわざ虎に絡むような愚を犯す弱者はいないのと同じ理屈だ。
「はぁはぁはぁ……」
どれほど走り続けたのか、さすがに息の切れたギオルの眼に自分の知らない風景が広がっていた。
「ここ……どこ? おとうちゃん、おかあちゃん……お兄ちゃん」
自分が一人になったことに気づいたギオルは途端に不安になってきたのだろう。一気に沈みこんだ。そこに先程の男達が砕け散った光景がフラッシュバックした。
「おえぇぇぇぇぇ!!」
ギオルは嘔吐し、胃の中のものを吐きだしても、吐き気がおさまることはなかった。
「おやおや、随分と変わった坊主じゃな」
そこに二十代半ばの男が立っていた。
「お兄さん……誰?」
ギオルの声に明らかな恐怖が含まれた。ジリジリと後ずさりを始める。
「そう、恐がりなさんな。坊主のような幼子に怖がられるのは少しばかり悲しいからのう」
男はそう言って和やかに一歩踏み出した。男の放つ雰囲気に危険なものは一切感じない。だが、今のギオルにはすべてのものが危険に見えてしまう。
見かけは二十代半ばなのに、妙に老人のような口調がギオルに安心感を与えなかったのだ。
「こ、こないで」
「困ったのう。今の坊主はものすごく不安定じゃ。このままじゃと坊主の回りの者がえらく危険なんじゃ」
「ぼ、ぼくが化け物だから殺すの!!」
ギオルが叫ぶと男の前に突然ヒビが入った。
「え?」
「ほう……まさか儂の防御陣にヒビを入れるとはのう」
「ひ……こ、こないで!!」
ギオルが再び叫ぶと、またしても男の前面にヒビが入る。
「さて、話ができんのう」
男の困ったような顔には怒りなどない。泣き止まない子供をどうやってあやそうかと考えているようだ。
「さて……これでどうじゃな?」
男はギオルに手袋を外して左手を見せた。そこには黒い紋様が浮かんでいた。
「ボ……ボクと……同じ?」
ギオルは呆然とした呟きに男はニカッと笑った。
「そういうことだ。儂と坊主は
「どうるい?」
「お友達ということじゃよ」
「友達……?」
「そうじゃ。儂の名はキーファ=レンゼントじゃよ。坊主は?」
「ボ、ボクは……ギ、ギ……」
ギオルは何故か自分の名前をキーファに告げることが出来なかった。まるで喉を締めつけるような感覚に襲われ自分の名前を告げることが出来ないのだ。
「ふむ、まぁよかろう」
キーファは別に怒っているような風もなく頭を掻いて言った。
「それで坊主、随分と刺激的な格好じゃな」
「あ……」
キーファの指摘にギオルは自分の状況を思い出して再び顔が沈んだ。ギオルの全身は男達の返り血で汚れきっていたのだ。
「何があったんじゃ?」
「あ、あ……あの」
「ゆっくりでええぞ。儂にはたっぷりと時間はあるでな」
キーファの言葉にギオルは何度か深呼吸するとポツポツと話し始めた。男達が突然入ってきたこと。父親や兄を傷つけたこと。母親と妹を守ろうとしたこと。男達を殺したこと。両親に恐怖の眼を向けられたこと。そして自分が化け物になったから両親に捨てられたこと。
それらをギオルはしゃっくりを上げながらキーファに告げた。
「ふむ……坊主は正解二つ、誤り一つじゃの」
「え?」
「一つ目の正解は、坊主がその男達を殺さなければ坊主の家族が殺されておった。家族を守ることが間違いかの? 儂にはそう思えんのう」
「そ、そうなの? でも、おとうちゃんもおかあちゃんもボクの事を……」
「力無き者が力ある者を恐れるのは当然のことじゃよ。例えそれが親であってもじゃ」
「でも……」
「そして二つ目の正解じゃが、家を飛び出した事じゃな」
「え? どうして?」
「今の坊主は不安定な状況じゃ間違いなく家族を吹っ飛ばしておったぞ」
「ひっ」
キーファの言葉にギオルは小さく悲鳴を上げた。自分が家族を男達を殺したように吹き飛ばす光景を想像してしまったのだ。
「坊主は家族を吹っ飛ばさないように選択した。それを誤りとは言わんじゃろ」
「う、うん」
「坊主が家を飛び出した。結構なことじゃよ。家族殺さずに済んだのじゃからな。じゃから坊主が化け物というのは明らかな誤りじゃよ。坊主を化け物というには他の者への優しさに満ちておるでな」
「う、うん」
ギオルは小さく頷いた。キーファの言葉に少し救われた気がしたのは事実だった。
「じゃが坊主をこのまま家に帰すのは危険じゃな」
「え?」
「坊主は自分の力を扱えるようになるために練習しなくてはならん」
「れんしゅう?」
「そうじゃ、しばらくは儂と一緒じゃ」
「おにいさんと?」
「そうじゃ、儂が坊主に色々と仕込まんといかん」
「う、うん……」
キーファの言葉にギオルは頷いた。家族の元に返りたいと言う気持ちは勿論あるが、両親の自分を見る目を思い出せば帰るのは怖くて足が竦む思いだ。
「そろそろ、坊主も落ち着いたじゃろ。名を何というのじゃな?」
キーファは穏やかな表情で尋ねる。
「ボ、ボクは……あ、あ」
しかしギオルは自分の名前をどうしても告げることが出来ない。その様子を見てキーファはふっと笑った。
「まだ言えないようじゃな」
「ご、ごめんなさい」
「構わん。構わん。そうじゃのう……」
キーファは少し何か考えているようであった。しばらくしてギオルを見てニカッと笑っていった。
「シルヴィス……坊主、お前は今日からシルヴィスじゃ!!」
「シルヴィス……?」
「そうじゃ、お前が本当の名前を名乗れるようになるまでの仮の名じゃ」
キーファはそう言ってギエルの頭を撫でる。
「シル……ヴィス……」
ギエルという少年はこの日シルヴィスという新たな名を得た。
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