前田と後呂 金メダルを食べたいの巻

@Theresnosound

金メダルを食べたいの巻

「なあ、金メダルって美味しいのかな」

 前の席の前田が、体を大きくそらし逆さまの顔で言う。俺はひとつ溜め息をつき、それから答えた。

「貴金属を何だと思ってんだ」

 四時間目が終わり、教室はしばし休息の中にあった。積極的に群れる者、群れに追いやられ隅へと逃れる者、別のクラスに出張する者、三者三様に動いている。俺は席をゆずる必要もなければ、特に行きたい場所もなかったので、置かれた場所で消極的に昼休みをやり過ごしていた。前田もまたそうであるらしく、さして親しくもない俺に雑なちょっかいをかけてくる。俺もそれを無下にするほど忙しくはないから、相手にしてやることの方が多かったのだが。前田がいちど体勢を直し、向きの合った顔でこちらを向いた。俺は言う。

「急に何の話だよ」

「ほら、金メダルとった人ってメダルかじるじゃん。あれさ、冷静に考えたらかなり汚いだろ?」

「まあ汚いけど、本人のもんだし言いっこなしな空気はあるな」

「それでもメダリストはかじるんだよ。ということはさ、何か理由があるとは思わないか?」

「あるとしても味ではないだろ」

「じゃあ何だよ。味以外にあんな貴金属の塊をかじる理由があるってのかよ」

「なんで味ならあり得るんだよ」

 すっかり言い負かしたと思ったのだが、どういうわけか前田はしたり顔で、待ってましたとばかりに答えた。

「なぁ、後呂よ、金箔ソフトって知ってるか?」

「あれは金箔うまくて食うわけじゃねぇから。アイスが美味しいだけだから。光ってて物珍しいから有名なだけだから」

「もし本当にそうだとしたら、金箔ソフトが売れるのはあり得ないだろうな。同じ味なら、安く済んで余計なものも乗ってない普通のソフトクリーム食うだろ。光り物に飛びつくカラスじゃあるまいし、人類はそんなに馬鹿じゃないだろ」

「ごめんな、お前が思うより人類は愚かなんだ」

 人類は愚か。その格好の例が目の前にいる。俺はどうしようかと考え、考えた末に言った。

「ってかさ、それ、金箔ソフト食えば解決するんじゃないか? もっと言えばちょっといいスーパーとかで普通に売ってるぞ食用金箔」

「マジで? 帰りに買いに行こうぜ」

「俺は行かないが?」

「なんで?」

「金なんて食いたくないし」

「じゃあいいよ。後で金食べたくなっても知らないからな」

「ならねぇよ」

 俺は誘いを断り、放課後は帰ってゲームをした。晩飯は鯖の塩焼きと、それからきんぴらごぼうだった。悪くはないが、少し地味だと思った。親父がビールに酔っぱらって絡んでくるのが嫌なので、そそくさと自室に避難して寝た。


 翌日。金箔には味がないと知って、前田はいくらか落ち込んでいるだろうと思ったが、意外にも彼は上機嫌であった。

「おはよう、後呂。いい朝だな」

「なんだよそのテンション」

「俺さ、きのう金箔を食ったんだよ。ちっとも味がしなかった」

「な、だから言っただろ」

「そして俺は気づいた。安物の金だから味がしないんじゃないのかって。もっと高級な金、すなわち金メダルなら」

「待て、落ちつけ。金メダルは飛躍しすぎだから。いっかい金箔ソフトを挟もう。夏休みにでも金沢行こう。な」

 その日、前田の弁当には金箔がたっぷりかかっていた。前田は何食わぬ顔で弁当箱を開けたが、俺は思わず噴き出してしまった。

「なんで弁当輝いてんだよ!」

「いや、だって金箔余ったから。いいだろ」

「よくはない」

 ひとしきり笑ったところで、俺は話題を変えた。

「そういえば、昨日の晩飯にきんぴらごぼうが出たんだけどさ、小さいころ金ピカごぼうだと勘違いしてたんだよね」

「あんな純度の低い金が、金ピカ呼ばわりされていいはずがない」

「その金へのこだわり何なんだよ」

 五時間目は全校集会であった。夏休みだがあまり無茶はするな、ほどほどに勉強もしろよ、だいたいそんな内容だった。長い話のあいだに、生徒の半分は眠っていた。意味の薄い時間だ。俺は聞いたふりをしながら、空想にふけって終わるのを待った。


 夏休みが終わった。食って寝てダラダラしてを繰り返していたらいつの間にか終わっていた。前田は、金沢に行ったのだろうか。知るよしもないことだった。俺たちはお互い連絡手段を使い慣れていなかったし、わざわざ連絡するほどの仲でもないと思っていた。だから、九月になって、俺はようやく訊いた。

「金沢、行ってきたか?」

「ああ、金箔ソフト食ってきたよ。普通のソフトクリームと食べ比べもした」

「どうだった?」

「正直、わからなかった。普通のソフトの方が食いやすくてうまい気さえした」

「ようやくわかってくれたか」

「だからさ、俺、金メダル取ることにした」

 思わず、ずっこけそうになった。相変わらずおかしな方向に思い切りのいい奴だ。俺は言う。

「でも、どうやって取るんだよ。前田、なんかスポーツやってたっけ」

「いや、ずっと帰宅部」

「じゃあ無理じゃないのか? 高校から始めたアスリートって話はたまに聞くが、高校生活ももう半分ほど過ぎちゃってるし」

「でもほら、言うだろ。為せば成るじゃなくて、なんだっけ」

「わかんねぇよ」

「とにかく、やらねぇよりやった方がマシみたいな名言あるだろ。そういうことだ」

「さすがに金メダルをなめすぎだろ」

「舐めるんじゃなくかじりたいんだよ」

「そうじゃねぇよ。あとそう言うとすげぇ変態みたいだな」

「誰が変態だ。俺は純粋な気持ちで金メダルを味わいたいの」

「いやわかんねぇよ」

「とにかく、今からでも何かスポーツするのが一番金メダルに近づけるってことだ」

「そんな宝くじは買わなきゃ当たらない理論で、よく青春のひとときをベットできるな」

「いいだろ、どうせ俺らは暇なんだから」

「『ら』ってなんだ『ら』って」

 不服を訴えるが、前田は気にもせず話を進める。

「じゃあ逆に訊くけどさ、メダリストになる以外にメダルを食う方法あんのかよ」

「知らねぇよ」

「文句ばっか言ってないで代案を出してくれ」

「なんでだよ。俺はメダル食いたくないし」

「なんでだよ食えよメダル」

「いや怖いわ。じゃあ、そうだな、メダリストと友達になって、一口かじらせてもらう、とか?」

「バカ野郎!」

 ぱちんという快音が響き、頬が痛む。何が起きたと困惑する。どうも俺はぶたれたらしい、そう気づいたところで驚きは怒りに変わった。

「いてぇな、何すんだよ」

「見損なったぞ! お前が人のメダルを横取りするような浅ましい奴だったなんてな! 食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ!」

「金メダルは食べ物じゃないが!」

 結局、俺がジュースを奢ることで前田は機嫌を直した。現金な奴だと思った。


 翌日。前田は全身にケガを負っていた。

「どうしたんだ、それ」

「ほら、オリンピックでよく金を取ってるといえば柔道かなって思ってさ。昨日あの後、柔道部に乗り込んだんだよ」

「相変わらず行動力すごいな」

「そしたら、部員の誰かと試合して勝ってみろ、それが入部テストだって言われて」

「うわ、素人相手にひでぇ」

「まぁ一本とれたからよかったんだが」

「勝てたのかよ。じゃあそのケガは」

「逆恨みでボコられた」

「武の精神ってなんだろうな」

 その事件に関与した連中は、後日顧問の先生にバレてこっぴどく叱られたらしい。


 朝、学校の前まで来ると、大きな横断幕が出ていた。前田の名前と、県大会準優勝の文字が躍っている。教室に入ると、すでに前田は来ていた。

「お前、すごかったんだな」

「ありがとう。ありがとうなんだけどさ、準優勝で満足できてない自分がいる」

「銀だからか?」

「俺はさ、入部テストでも勝てたし、まぁ、その、天才だと思ってたんだよ。自分のこと。だけど、決勝戦だけは、手も足も出なかった。それでさ、自分でも不思議なんだけど、金とか銀とかどうでもよくて、ただ、負けたくない、次は勝つって気持ちでいっぱいだった」

「一人でスポ根しやがって」

前田が、少しだけ遠く感じられた。


 俺と前田は、なんとなく疎遠になっていった。理由は単純で、席替えがあったからだ。たまたま席が近かっただけで、元々俺たちは友人でもなんでもなかった。当然の帰結だ。ただ、あいつは柔道を続けているらしいということを、インターハイ出場の横断幕で知った。


 さしたる夢や目標もないまま、大学に入り、会社に入った。俺は思いのほか標準的な社会人をできるのだと知った。俺は俺が思うより普通で、不思議なことにそれも案外悪くないと思えてきた。そしておっさんと呼ばれるような年になっても、ときどき思い出す。前田の名前は聞かないが、今もどこかで何かしらの金メダルを追い求めているのだろうか。深夜、テレビではオリンピックが中継されている。どうか、こんな純度の低い金で満足するような大人にはなっていないでくれ。くすんだ金色のきんぴらごぼうを食い、ビールを飲みながら、俺は思うのだった。

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