第7話

翌朝、目が覚めると珍しく母が朝食を作っていた。

いつもなら夜中に帰宅して、疲れて寝ているはずなのに。

台所でテキパキ朝食を用意している母は、起きてきた僕に気付くと、「おはよう。ゆうちゃん」。。と言って笑った。

まるでそれがいつもの日常であるかのように言うもんだから、いささか驚いたけど、まあかといって不自然な状景でもなかったのでいたって普通に、「おはよう」、と返す。

寝ぼけ眼を擦りながら。

そして、トイレを済ませ、歯を磨いて、洗面を終えると、台所の食卓にご飯と鮭の塩焼きと味噌汁が並んでいた。

母はどこか嬉しそうにせっせと洗い物をしている。

そんな母の姿を物珍しそうに眺めていると、母はチラッと僕を見て口を開いた。

「朝ごはん用意したから食べなさい」。。洗い物を続ける母。

「っあ、うん。ところで今日はどうしたの?」

なにげなしに訊ねてみた。

「今日は朝方に帰ってきたの。この時間だったら一緒にご飯食べれるな~って。せっかくだしね」

母はにっこり笑った。

「そうなんだ。でも、そんな無理しなくてもいいのに…」

忙しい合間を縫って一緒に食事する時間を作ってくれたということだ。

いたたまれない気持ちになる。

「ううん。大丈夫」

「そっか。ありがとう。じゃあ、学校の用意だけ済まして来るね」

そう言って僕は一度部屋に行くと、制服に着替え必要な物を鞄に詰めてから台所に戻った。

洗い物を終えて、先に食卓の椅子に腰を下ろす母の前に座った。

「いただきます」

と言って食べ始めた。

久し振りに頂く母の料理。

そういえばこういうシチュエーションっていつ振りなんだろうと考える。

いつも1人で細々と食している日常。

それが当たり前なのだ。

でもそんなレアケースな一時をごく普通に順応させている自分が、ある意味凄いんだと思えた。もちろん客観的に。

本来、戸惑ったり手間取ったりソワソワしてもおかしくないものを平然と受け入れ、ごく普通に向き合ってるんだから自分でもビックリだ。

この非日常に対する順応性の高さは、この数日の間の彼女との日々が所以なんだろうか。

まさか……。それはないか…

そもそも僕と彼女は違う。彼女なら順応力も高いだろうし何にでも慣熟してしまいそうなもんだけど、僕にはそんなものはない。

あり得ないか…

そう思うと何だか笑えてきた……心の中で…

ふと、チラリと母を見る…

母は、なぜかニヤニヤとしながら僕を凝視していた。

薄気味悪かった…

「どうしてニヤニヤしているの?」

僕がそう言うと母はクスッと笑った。

「ニヤニヤしてるのはゆうちゃんでしょ」

「っえ…?」

「さっきから頬が上がってるよ??。何かいいことでもあった?」

そうか、僕は心の中で笑っていたつもりだったけど、顔の表面に浮かび上がっていたんだ…

そうだとすると無性に恥ずかしくなった…

鮭の身を器用にほぐす母に対し、僕は食べる手を止めて 「いいことかどうかわからないけど…」  そう前置きした上で今考えていたことや、彼女との出逢いにについてを簡潔に話していた。

4年前の出来事によって僕はさんざん人を遠ざけてきたけど、母に対してだけは拒絶心を向けなかった。素直に何でも話せたんだ。

だから彼女との一件を聞いた母は、声を震わせながらこう言った。

「友達… 作ったんだね… 良かった… ほんと良かった…」

まるで溢れ出す涙の感情を押し殺すような物言いだった。

その言葉、その口調、その仕草、そのすべてが ツンっとこの胸に沁み始めた。

母は目の表面を熱く揺らしている。

どうしてそんな表情になるのかも、どうしてそんな口調であんな言葉を放ったのかも僕にはわかっていた。

母は、4年前のあの出来事と、それによって1人を望んだ僕の心情を知っていたからだ。

話してたんだ。

だからきっと、僕がまた誰かと繋がっていることがよほど嬉しかったんだと思う。

とはいえ、嘘を言ってまで母を安心させる気は毛頭にもなく、僕は抱いていた疑問を包み隠さずに全てを口にした。

「ただ、彼女とは友達かどうかはわからないんだ… 」

「どうして?」 不思議そうに首を傾げている。

「だって、学校で関わるだけだし…」

母はうっすらと目を細めた。

「でも、一緒にお昼したんでしょ?」

「うん」

「連絡先だって交換して電話もしたんでしょ?」

「うん、したよ」

「それはもう友達って言えるんじゃないの?」

「っえ?」

断定する母の言葉に胸が重くなる…

「友達でもないのにお昼は一緒にはしないよ。連絡先の交換だってそうだよ?」

母は平然と言った。

今の僕にはその友達という定義がほんとによくわからない…

「そうなの?」 と言っても 「そうだよ」 としか答えないし、これといった持論もない以上そういうものなのか… と心にとどめておくしかなかった…

母は口の中の物をお茶で流し込むと続けて言った。

「気になるんだったら訊けばいいじゃない。 まあ、普通友達かどうかなんてわざわざ訊かないけど…」

僕の目を見て笑う母。

「それアドバイスになってるの…?」

今度はフフフっと笑った。

「気になるんだったら訊いた方がいいよ。それでゆうちゃんの気が晴れるならね」

母はそう言って容易いことのように捉えてはいるけど、僕にとっては非常に重大なことなのだ… それに、そう言われたところで {じゃあ聞こう} なんて気にもなれないし、もちろん今ここで決断することも出来ない…

ただ、そういうタイミングと心の余裕があるんだったら訊いてみてもいいのかな… なぜかそんなふうにも思えた…

「まあ、頑張んなさい。お母さんはいつもゆうちゃんの味方だから。何でも相談してね」

一歩踏み出そうとする僕を見守るように母は嬉しそうに優しく笑った。

進展があったらまた教えてね。  なんて恋心をときめかすように付け加えて。

それが異様に眩しかった。


母は、僕を15歳で産んだので比較的同級生の親よりは若かった。

それに、夜は近くのスナックで働いているので、以前、私は人間関係のプロだとか、恋愛経験も豊富だとか、訳のわからないことを言っていた。

気に掛けてくれる母の思いを無下には出来ないので、まあ、それが本当ならまた話してみようと、素直にそう思えた。

僕が食べる手をとめたまま深く考え込んでいると、母はパッとその空気を断った。

「さあ、急いで食べないと遅刻するよ」

そう言われて サッと視界が切り替わる。

時計に目をやると、いつも家を出る時刻より10分以上遅れていた。

急いで残ったご飯を口に掻き入れると、 「ごちそうさま」 と言って、家を出る支度を始める。

家を出る時母は言った。

「いつもごめんね… ご飯も、お弁当も作ってあげれなくて… 話もろくに聞いてあげれてないよね…」

悲しげに瞳を揺らす母の切実な表情が、ザクッと僕の胸を突き刺した。

いろんな思いが突き刺された穴から漏れる… 言葉を失う…

寂しくないと言えば嘘になるし、やはり母の温もりをもっと肌で感じたかった…

だからこそ、今のこの一時が本当に嬉しかった。

でも、生きていくために母は精一杯働いてくれているんだ。

そう思うとわがままなんて言えない。

その思いが僕の心と口を誘導させた。

「ううん。大丈夫だから。心配しないで。いつもありがとう。お母さん」

僕はそう言って笑った。

母は力一杯の笑みで 「うん」 と頷き、触れれば簡単に避けてしまいそうな喜びの膜をまとって僕を見送ってくれた。


悲しかった…

寂しかった…


でもそれ以上に嬉しさが僕の胸を温めた…

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