第6話
その日の夜、僕は自室のディスクチェアに腰掛け彼女のことを考えていた。
と言うより何をしていても彼女のことが頭から離れなかった
確かに、ほんの少し楽しいと思えた。彼女と共有する一時もわずかながら肯定的に構える心があることもまごうことなき事実だ。だけど改めて考える今、それとは別のところで彼女と絡む日々の行く末に、一抹の不安も感じていた。
そんな心があることもまた事実だった。
僕はこれまで、何も成り行きに任せてずっと一人でいたわけじゃない。
ずっと思ってたんだ。誰かと関わるということは誰かを傷付けるということ。
ひいては、自分が傷付き計りしれない苦しみを味わう結末にだって成り得る。
だから僕は単にそうならない穏やかな日常を望んでいただけなんだ。
その最たるものが一人でいることだった。
だけど今の現実はその意にそぐわない真っ向から対立する道筋を描いていた。
彼女と交わる日々に何の覚悟や責任感もないのに、ただ少しずつ彼女のなにかに懐柔されていく今、僕は身を委ねるしかなかった。
それを無責任だとさえ感じる。
全てが図らざりき事実だった。
何が正しいかなんて誰にもわからない。
ただ、思い出したくもない過去の出来事が、人と交わろうとする僕の心を臆病にさせるんだ……もうあれから4年が経つというのに…
僕はまだ、本当の意味で立ち直れていなかった…
それ故、心は彼女との日々を肯定する思いと、行く末を案ずる思いとの狭間で揺れ動いていた。
でも、堂々巡りだった…
今の僕には明瞭な心情を探求する術は無い。
僕は雲掛かった心をリセットするかのようにベットに身を投げた。
目を閉ざし、心の雑念を振り払おうと努めて心を無にする。
でも心からは何も消散しなかった。
まるで、温泉の源泉地から止めどなく溢れる温水のように心中に思いが溢れ返る。
そんな時だった。
突然、テーブル上のスマホがけたたましく鳴り響いた。
驚くように起き上がると、スマホのディスプレイに目を滑らせた。
電話の主は、今日登録したばかりの白石早苗だった。
だけどその瞬間、言い様の無い戸惑いとざわめきが胸中を襲った。
溢れ返るその思いに反映されたのか、それとも電話というツールで彼女と繋がる、単にそのイレギュラーな出来事が僕の臆病風を誘発させたのか。
わからない。
でもとにかく落ち着こう。
僕は肩で息をするように大きく深呼吸をすると、恐る恐る通話画面に指を触れた。
「っあ、もしもし神木君??。私だよ。白石早苗だよ」
陽気にいい放った彼女の声音は、電話口でも変わらない甘さと温もりを表出させていた。
「うん。わかってるよ」
「もしかしてほんとに登録してくれてたの?」
「君が絶対しろって言ったんじゃないか」
そうだったね…、フフフフ……そう言って彼女は素敵に笑う。
「なーんだ。神木君って案外素直なんだね」
「いや、素直ってわけじゃないと思うけど…」
「素直だよ。それとも何??。私に気でもあるの?」
唐突にケロット放たれた彼女の衝撃的な発言は僕の心臓をドクン、と高鳴らせた。
彼女は、なーんてね。とおどけたように笑って付け加えたけど、僕の体は夏の太陽のように熱くなり、気が付くとスマホを持つ手がじんわり汗ばんでいた。
どうやら僕は、彼女の爆弾発言に動揺しているようだった。
だけど動揺を悟られたくない。そう思うと動揺を押し殺すように、半ば強情に話題を逸らした。
「で、で、ど、ど、どうしたの??。こ、こんな時間に…」
し、しまった……これじゃあ動揺をおおっぴろげにしているようなもんじゃないか…
どう考えたってたどたどしいよ…
落ち着け、落ち着くんだ…
まるで呪文のように言い聞かせた。
そして願う。
どうか僕のみっともない動揺が彼女に見透かされませんように…
だけどその儚い僕の願いは彼女の一言で撃沈させられるのだった…
「ん??。神木君どうしたの??。もしかして照れてるの?」
ちーん……
このまま何も言わずに電話を切ろうかな……。気恥ずかしさ故にそんな衝撃に駆られた。
赤面した自分の顔や、僕をバカにするように忍び笑いする彼女を想像すると氷のように溶けてしまいたくなった。
「もしもーし。神木くーん。聞いてるの…?」
彼女は打ち付ける波のように僕の脆弱な心を責め立てる…
だけど僕はこれ以上恥をさらけ出すまいと、咄嗟に含羞を隠し虚飾するように嘘を並べた。
「聞いてるよ。君が急に電話してくるからビックリしたんだよ…」
電話口からクスクスと笑う彼女の声が漏れてきた。
やっぱり僕をバカにしてる…
「何言ってるの神木君…。電話は急にするもんでしょうが。まあ、アポ取ってする時もあるけどさ」
「そんなのわかってるよ。ただ君からの初めての電話だからちょっとびっ…」
「恥ずかしくなったってわけだあ」
言い終わらぬうちに、からかい交じりに彼女は僕の言葉を遮った。
「いやいやいや…。勝手に納得しないでくれる?…。誰もそんなこと言ってないから…」
あくまで僕は冷静であることを演じ抜く。
でもやはりどこかたどたどしい…。
つまり僕には演技力のセンスのかけらもないと言うことだ…
「ふーん。神木君はもう少し正直になりなさい。良い素直さ持ってるんだからさ」
まるで、学校の先生が生徒に言い聞かすような言い様だった。
だけど自分でもおかしく思ったのか、ハハハハ……と笑う彼女の声が息の吹きかかるノイズ音と共に電波に流れた。
「……」
悔しいが何も言えなかった…
黙っているとまた何を言われるかわからないので、僕は彼女の発言には一切触れず先程の問いをもう一度繰り返す。
話の矛先を変えるように。
「で、こんな時間にどうしたの?」
「っあ…うん…ほらあれだよ。せっかく連絡先交換したんだしさ、有効に活用しないとね。だから思い切って連絡してみました」
「有効?」
何かのクーポン券を扱うような彼女の発想にある種のユーモアを感じた。
ただ、どうしてそんな見解にたどり着くのかは僕には理解出来なかったけど、陽気さの塊のような彼女の人となりならあながちそれは彼女らしいとも言えなくもないような気もした。
「そうだよ」
彼女はケロット答える。
「よ、よくわからないけどさ、要は意味の無い電話ってことでいいのかな…?」
「よくないよ。ほんと時々冷めたこと言うよね、神木君って。まあ、君らしいけど…」
もちろん悪い意味でね。と淡々と皮肉を付け加えた。
「……」、、僕は黙る…
「まあいいや。ところで神木君はキウイは好き?」
「っえ、何……藪から棒に…」
「だ、か、ら、キウイは好きかって聞いてるの」
「キウイってあのフルーツの?」
「他にあるの?」
「知らない。でも君が言ってるキウイがフルーツのキウイだったとしたら好きでも嫌いでもないと答えておくよ」
その言葉に彼女は突然、シシシシ……
とたくらみに満ちた笑い声を発した。
「食べれるってことだよね?」
「まあ一応…」
答える僕に彼女は安堵溢れる柔らかな語気で、、「良かった」、、と一人言のように言った。悪い予感しかしない…
「で…?。。何でそんなこと訊くの?」
「それは内緒だよ。言ったら楽しくないでしょ」
「楽しいとか、楽しくないっていう問題なの??…明らかによからぬサプライズをもくろんでるよね?」
彼女はゲラゲラと笑う。
「だったら黙ってサプライズされてくださいなあ」
歌うように良い放つ彼女の語り口に思わず唇の端を上げていた
「なんだよそれ…」
「フフフフ……。気にしないで。それじゃあ明日楽しみにね。おやすみ。バイバイ」
ニタニタした口調で一方的に告げると彼女は電話を切った。
何だよ。ほんと意味わかんない。
まあでもいいや。
彼女の目まぐるしいテンポにいちいち歩調を合わせているとこっちの身がターンオーバーしてしまうよ。
そうやって自己完結へと思考を追いやるも、サプライズ、楽しみ、明日、というキーワードが僕の脳裏に屹立した。
これは今、眠れそうにないや…
そう思い外の空気を吸おうとベランダに出た。
気付かなかったがやや小粒の雨が微かに地面を叩く音を響かせていた。
母子家庭で育つ僕の家は、最寄り駅から徒歩10分の所にある民営住宅街の北に位置する。
いわゆる、団地というところでそこのB棟4階が母と2人で暮らす僕の家だ。
その4階から外を眺めていると、棟間を走る道路を隔てた一角に在る雨の公園が、どことなく寂しく僕の眼に映った。
誰もいない外灯に照らされた雨の公園を眺めていると、ふと思いが巡った
少し前の僕は、当然こんな日が来るなんて予想だにしなかった。
1人でいることを望みいつだって悠々自適に振る舞う日々を求めていたんだから。
でも僕は今、まるで友達のように仲良く彼女と電話をしていた。
ん?……。仲良く…?…。あれは仲良くって言えるのか?……。
そもそも僕らは友達なの…?
そも確証の一理すら、明瞭ならぬ漠然とした霧雲が事実を覆い隠す。
これから先、彼女と交わる日々の中で、僕たちは何を感じ、何を求め、どんな道筋を描いていくんだろう……
それはきっと誰にもわからない…
わからないけど僕は、不安を抱きながらもその一歩一歩を恐る恐る歩いて行くしかないのだと悟った。
それは今彼女と話してそう思ったんだ。
彼女に全てを委ねるわけではないが、答えの出ない間は成り行きに任せよう、ということだ。
少なくとも彼女と交わる日々をまんざらでもなく、微かに楽しいと思えるんだから。
それに天真爛漫な彼女や、明るくて快活な姿はそれほど嫌でもなかった。
彼女だからこそ人と絡む抵抗心が薄弱となったのか。
それさえも不明瞭だが、少なくとも異性と交わる意志や感情に伴う純粋さが僕の心中にはあった。
そんな思いや感情があるなら、少なくとも大きなトラブルに巻き込まれる恐れはないだろうと、僕はそう解釈することにした。何か問題が起きれば、すぐに拒絶すればいいだけのことだ。とも……
その時、雨の冷気で冷たくなった夜風がそっと僕の頬を撫でた。
頭に浮かぶ雑念を払拭するような風だった。
外の景色は寂しさを放ち、雨の夜風は冷たさをまとう。
それは一見、僕の心を暗色に染めるようにも感じられたが、今僕の頬を撫でていった夜風は、寂しさ、悲しみ、不安、そのどれでもなく、ただ一つの光となって僕の心を照らしてくれるようだった……
「明日か……」
思わず、ボソッと雨の景色に向けて声を漏らしていた。
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