第4話

中庭の中央にのびるアスファルトやベンチが照りつける陽光によって温かい。

このベンチが僕の特等席。

なのに今日は隣に女子がいる。そんな異様に思える光景が不安とほんの少しの緊張を生む…

胸が跳ねるようにいつもの穏やかさが失われていく…

心苦しい…

一体彼女は何を考えているんだ…

隣に座る彼女はそわそわとして落ち着きがない。でも笑っている。

緊張しているようだった。

流れる緊張から目をそらすように、中庭に佇む桜の木に視線を投げた。

爽やかな風が若葉を揺らしていた。その渡る風がパレードのように頬を掠め抜けていく。

イレギュラーな日常であってもそれだけは変わらず僕に心地良さを感じさせてくれた。



僕は放置していたパンを袋から取り出し、おもむろにメロンパンを食べ始めた。

抜けるような青空を見上げる彼女に言う。


「ところで君はお昼食べたの?」

「まだだよ」

「大丈夫なの?…昼休みなくなるよ?」

「大丈夫。5分あれば食べられるから」

ニコッと微笑む彼女。


「早食いが得意なんだね」

「そんなに多い量じゃないからだよ」

っあ、そういうことね。

どうでもいいとばかりに、ふーん、とあしらいメロンパンをかじる。


「ねえ。」、、彼女が僕を見つめて言った。

「なに?」

「一つ聞いていいかな?」

じゃあこれまでの問いはなんだったんだよ……と思うも、一つや二つ増えたところでもうどうでもよく思えてきた……何でも聞け…

心ならずも向き合ってしまう自身の心情や気立てが理解出来ず、あわあわとやけくそになっていた…


「もう何でも聞いてくれ」

その言い様がおかしかったのか、彼女は呑気にクスクスと笑っている。


「じゃあ、遠慮なく。神木くんはどうしていつも売店なの?…お弁当は?」

なんなのそ質問……それにほんとに遠慮ない…

しかし、言ってしまった以上もう後には引けない…


「弁当はないよ。作る人がいないし」

「そうなんだ…いないんだ…」

弱々しい語気…

「どうして君が悲しそうなの…?」

ほんと訳がわからない子だ…

「んー、、だって悲しいじゃん」

ますます意味がわからないよ…

「ねえ、どうして作る人がいないの…?」

立て続けに彼女は訪ねてきた。

そのデリカシーのない問いも、彼女のはばかりのないその神経も、もはやぶっ飛んでいると言わざるを得ない…


「ほんとストレートだよね…」

苦笑する彼女。

「ごめん…熱くなっちゃった…ダメだったかな…」

言って恥ずかしげに頭をポリポリ掻いている。


「いや、ダメって訳じゃないけど…」

「ほんと?」

前傾姿勢の彼女に気圧され、数瞬後僕は語り始めていた。


「僕の家母親しかいないんだけどさ、昼も夜も働いてるから単純に作る時間がないんだ。だからお金だけ貰って売店で済ましてるってこと」

渋々言ったわりにはスッと喉から溢れ出たことに驚く…


「そうなんだ…じゃあ朝とか晩ごはんはどうしてるの?」

「たまに作り置きしてくれてる時もあるけどほとんど買って食べてるかな」

その言葉に彼女の表情が曇りだす…


「なんだか寂しい…」

人のことなのにまるで自分のことのように深い感傷をまとう彼女。

やはりその神経はどこかおかしい……妙におかしな気分だ…

だけど僕は言った。


「まあ、仕方のないことなんだ…それにもう慣れたことだし、今じゃなんてことないよ」

気丈には言ってみたものの、それとは相反して心がしんみりとしてしまう…


「んー」、、と納得出来ないようなよくわからぬ声を顔を歪ませながら放つ彼女。

そして加えて言った。


「買って食べてるって何を買ってるの?」

「コンビニ弁当とか、カップラーメンが多いかな。基本的にこだわりはないし食べれたら何でもいいからね」

彼女は唇を引き結んだ。


「どうして?。。いつもそんなの食べてたら体に悪いよね?。。ご飯はいつも一人で食べてるの?。。私ね、いつも自分でお弁当作ってるんだ。まあ、好きでやってるんだけどね。神木くんもさ、自分で作ろって思ったことないの?」

事々しい口調で彼女は一気にまくし立てた。


「あのさ……、一つずつ話すとか出来ないの?…全然頭に入ってこないよ…」

「っえ、っあ、ごめーん……また熱くなっちゃった…」

そう言って顔を赤らめ鼻の頭をかく。


「私ね、熱くなるとすぐおせっかい焼いちゃうんだ…」

「だろうね。既に二回も実証済みだしね」

「ゲエ…」

「神木くんもはばからずダイレクトに言うよね」

「そうかな?、、まあ、事実だからね」

「だね。私は何も言えません…」

「それで?、私の問いに対する神木くんの返答は?」

「あ…なんだっけ…?」

バカ…。。。彼女はそう言って餌を口の中に溜め込んだハムスターのように頬を膨らませた。


いやいやいや……君が一気に言い放ったからでしょ……そう言ってやろうとすると彼女の方からもう一度一つ一つ語り始めた。

なので一つ一つ答えてあげる。


「まず僕は高2だからね。健康なんて気にする歳じゃないよ。それとご飯はいつも一人だよ。ほぼ家に親はいないから。弁当は作らない。てかむしろ作れない。」

丁寧に一つ一つ答えてあげたのに、彼女は首を傾げまるで言葉のわからない外国人に対応するような困り果てた仕草を演出した。

そして言う。


「一気に言われてもわからないよ〰️」

「君が一気投げした質問でしょうが…」

思わず突っ込んでしまった…

すると彼女は、シシシシ……っと悪戯に成功して喜ぶ子供のようにはしゃいだ。

嬉しそうに笑う。僕は笑わない。


「もしかしてわざと言ってる…?」

「言ってるよ」

あっけらかんといい放つ。意味深に目をパチクリさせて僕を見つめる彼女。

それを無視して僕は言う。


「どうして?」

「だって神木くん笑ってくれないもん…」

「笑って話す必要でもあるの?」

彼女はたっぷりの不満顔で、、「あるよー笑顔って大切だよ?コミュニケーションじゃん」

と語気を強めて言った。かと思えば僕に見せることを前提とした弾ける笑みを表出させた。

なんだか気後れしそうになる…


「だったら僕は好んでコミュニケーションを取らない…今までもそうだったし…」

その一言で彼女は悲しいものでも見るような眼差しを僕に向けてきた…


「やっぱり寂しい…てか悲しい……まあでもいいや…それが神木くんなんだもんね」

納得させるようにコンコンと頷く。


「でさ、話は戻るんだけど神木くんもせめて自分でお弁当もご飯も作れたらいいのにね」

「それは無理だよ。君は好きだからいいだろうけど僕は料理なんて好きじゃないしやろうとも思わないよ」

がっかりしたように唇を尖らす彼女。

なんとでも思えばいい。


「神木くんは食べることも作ることもあまり興味がないんだね…」

「そういうことかな…」

どこか寂しげに言う彼女に対し、僕はそう答えて大きく頷いた。


「じゃあさ、好きなこととか興味あることって他に何かあるの?」

何の気兼ねなく言った彼女の瞳は、さながら初海を潜る好奇心に駆られたダイバーのようだった。


「まあ、一応あるかな…」

「っお、あるんだ。なになに?」

目の膜をキラキラと輝かせながら僕の顔を覗き込む彼女。


「絵を描くことだよ」

「絵…?」

意外とばかりに目を丸くして驚く彼女。

まったく失礼極まりない。


「そうだよ。主に鉛筆やボールペンで物や風景を描くんだけどね」

「へー。美術家ってやつかー。凄いじゃん」

「そんな大層なもんじゃないけどね…」

「そうなの?でも見てみたいなー。良かったら今度見せてくれる?」

「いいよ」

心にもない承諾をすると、「やったー。ありがとー」、、と破顔して彼女は眩しい笑みを向けてきた。あまりにズカズカと興味を示す陽気な彼女に相対し、僕は少々めんどくさくなって嘘を言っただけなのに……その場しのぎのおざなりな返事。

それにこれまで自分の絵を人の目にさらしたことはない。そういう機会がなかったと言うよりは、人に披露するために描いてるものではない。と言った方が的を射ている。

彼女は笑って言った。


「じゃあ神木くんの進路は美大だ」

「それはないよ」

「どうして?。絵、好きなんでしょ?」

「好きだよ。でもそれは趣味の範疇だから進路とは全く別問題だよ」

「そうなんだ。もしかしてもう進路決まってるとか?」

「決まってないよ」

「じゃあ私と同じだ。これからだね」

チラッと横目で僕に視線を向け無邪気に笑った。

僕は進路というものをこれまでまともに思案したことは無かったと思う。

絵を描くこと以外に興味がない僕の人生に、もはや進路というものは相関性が無く思えたからだ。

これからだね……なんて言われても無限ゆえの真っ白な僕の進路に、無きカラーリングの筆は振れない……そんなものこれからだって持ち合わせないだろう。

なので僕はそっけなく言った。


「僕は無いよ」

彼女は意味を理解しかねたように眉間を寄せて首を傾げた。


「どういうこと?」

「進路自体に興味が無いってこと」

「どうして?」

「どうしてだろう……別にしたいことも無いしね……そもそもどうでもいいから…」

事もなげに発した言葉だった。

しかし、彼女にとってはそう易々と聞き入れれる問題ではなかったようだ…

触発されたようにパッと立ち上がり、表情の色を変えて僕に向かって言った。


「どうしてそうなるの?。神木くんの人生でしょ?。生きてる限りちゃんと自分の人生と向き合わなきゃ…」

熱に満ちた語り口だった。大袈裟だろう……一体何を言ってるんだ…なぜそんな熱くなる…

彼女の行動や言動の全ての真意が、ただ一つの空虚の塊となっていく…

僕は返弁した。


「考えたってどうにもならないよ。それに当たり前のように言ってるけどそれは君の主観でしょ?。皆が皆君のような考え方をしてるとは思わないけど…?」

「どうして?聞いたの?」

「いや、そう思っただけだけど…」

「それこそ神木くんの主観だよ。みんないつかは卒業する。それは避けて通れない。だからこそやってくる現実にちゃんと向き合って考えなきゃいけないの…」

強い眼差し……暑苦しい…


「何が言いたいの?」

「時間は待ってくれない。卒業して進学するのか、就職するのか、ちゃんと考えなきゃいけないってことなの。健康なら何だって出来るんだから…」

刺々しい口調……挑戦的な語り口……刺すような鋭い眼差しに思わず圧倒される……

しかし、それよりもどうして今日初めて会った人間にそんなことまで言われなきゃいけないんだろう……という思いが胸を熱くさせた。怒りではない、自分でもよくわからない胸の奥底にある何かが激しく揺れたんだ……喉の奥が熱くなって返す言葉が出てこなかった…

彼女jは更に言った。


「神木くん。お節介だったらごめんね……もっといろんなことに興味持った方がいいよ……っていうより持って欲しい……もっと前向きに生きて欲しい…」

震える声を絞り出すように言った…。細く、弱い、切願するような声音……

かと思いきやそんな声とは裏腹に、彼女は真っ直ぐ僕の目を見据えている。思いを忍ばせる熱い眼光だった。

言葉を失っていると、彼女は突然ハッとした表情を浮かべた。


「って、私何言ってるんだろう…」

赤面した顔に苦笑を含ませている…


「じゃあ私そろそろ行くね。また来るから。」

恥ずかしさを濁すようにそう言って彼女は逃げるように去って言った…


彼女の姿が消えても尚、僕は食べかけのメロンパンを手にしたまま呆然と空を眺めた…

彼女は一体なんだったんだろう…

突然現れ、僕の有意義な一時を潰し、それに加えて悠然と僕のことを干渉し、あげくの果てにはまた来ることを当然のように明言した。

混沌と錯綜する無数の疑念をどれほど咀嚼しても、明確な彼女の真意を知り得ることなど出来やしない。埋まることの無いパズルのピースは、いつだってありもしないピースに翻弄されるのだ…

これまでの当たり前のように訪れていた僕の穏やかな日常が、今日稀有な出来事に変わった。

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