御箸

鯖吉 葉脈

御箸

これは私が中学生の頃に体験した話だ。

その日私は叔父のお通夜に参加するため、山奥にある叔父の家に三時間ほど車に揺られて来ていた。


叔父とはお盆等に顔を合わせる程度で大して親しかったわけでもないが、身近な人の死というのはやはり何か思うところがあったようで、その日は朝から気が重かった。



山奥なので雪が深く、車が思うように進まず着くのが遅くなったので、叔父の家に着いた頃には相当な人数が集まっていた。中には普段から付き合いの多い人もちらほらいたが、殆どは顔すら見たこともないような人達だったのでとても居心地が悪かった。

しかし明日の葬式に参列するまでは我慢しなくてはならない。気が重かった原因はこっちか。


帰りたい気持ちをぐっと抑えて家の中に入ると、居間に人が一人寝そべっていた。よくこんな状況で布団まで敷いて寝られるなと感心していたが、近づいてみると叔父が寝かされていたので驚いた。親に聞いたところお通夜とはそういう物で、葬式の直前に棺に入れるらしい。知らなかった。


それからは人が死んだとは思えないほど和気あいあいとした雰囲気で飲み会が始まった。両親は皆と叔父の思い出話や大して関係ない世間話に花を咲かせていたが、殆ど付き合いのない僕は何も話すことがなく退屈だったし、車に長時間乗っていて疲れたので早めに寝ようと思い叔母さんにどこで寝たらいいかを訊いた。

他の人たちは家が近いのでこの後一度帰るらしいが、我が家は遠いので泊まることになっていた。

叔父の家には皆が騒いでいる母屋とは別に離れがあり、「布団は敷いてあるからそこで寝るように」と言われ案内された。


離れには一直線に部屋が三つあった。玄関から入ってすぐの部屋に人数分の布団が用意してある。そして真ん中の部屋にはテレビやソファが置いてあり、快適そうだったが「ここで遊ぶくらいならせっかくだし皆と話したら?」と遠回しに釘を刺されてしまった。

最後に一番奥の部屋を見せてもらった。この部屋にはあまり物は無かったが正面の壁一面に大きな仏壇のようなものが置いてある。ここまで大きい仏壇は滅多に見られないし、私を含め子供はやたらに大きいものが好きなのでなんだかワクワクして近くに見に行った。私があまり背が高くないこともあり、近寄ってみると存在感がすさまじく、近くにいるだけで押しつぶされるようだった。

よく見ると真ん中に箸が二膳供えられている。漆塗りに金色の模様が入っておりとても綺麗だ。


叔母に仏壇や箸について尋ねると、どうやら仏壇というよりは神棚に近いものらしい。そして供えられていた箸は御箸みはしと言って神棚に祀られている神様が使うもののようだ。

その後結構な時間その神様や箸を供える理由についての話を聞いたが、そんなに興味がなかったので適当に聞き流し、終わりそうにないのでもう寝るからと言って話を中断し母屋に追い返した。

それにしてもこの箸は綺麗だ。こういう箸で食事をしたらきっと何割増しかおいしく感じるはずだ。そんなことを考えているうちにだんだんと欲しくなってきてしまい、初めは我慢していたが「二膳あるんだし一つ減っても困らないだろう」等という考えが湧いてきて、気付いたら一膳取って鞄に放り込んでいた。そしてなんだかバツが悪くこの部屋に居にくかったので母屋に戻り余っていた食べ物を少し食べたりジュースを飲んだりした。


夜も更けて皆が帰っていったのでもう寝ようと思い離れに行って布団に入った。両親はだいぶ飲んだようで部屋中酒臭いし布団に入るなりすぐ寝てしまった。私も疲れたし久しぶりに夜更かしをしたのでとても眠く、すぐに眠りについた。


しばらく経って、異様にうるさいので目が覚めてしまった。バリバリ・ゴリゴリと硬いものを砕くようなな音が部屋に響いている。何かおかしいぞと思い両親を起こそうとして隣を見たがいない。そういえば灯りの番をするとかで夜中は母屋にいると言っていた。

どうやら音は隣の部屋の方からしているようだ。叔母が何かしているのかもしれない。そうだとしたらかなり迷惑なのでやめてもらおう。そう思い一つ奥の部屋に移動すると、誰もいなかった。神棚の部屋に居るのか。

少し近づいてみて初めて分かったのだがこの音、おそらく何かを食べる音だ。食べ物を強く噛み砕く時の歯がぶつかる音、乱暴に食器を取り近くの食器にぶつかる音。そういった音がこの奥で鳴っている。晩に皆がご飯を食べている時、叔母はずっと台所にいたからお腹が減っていたのだろうか?

わからないがなんだか不気味なので少しだけ襖を開いて中を覗いてみることにした。恐る恐る襖を開くとそこに叔母はいなかった。ただし大量の飯にがっつく”何か”がそこにいた。



あまりにおぞましい光景を見た時人間はかえって冷静になるようで、私はしばらく黙って化け物を観察することにした。今思えば見なかったことにして直ぐ母屋に逃げるべきだったのかもしれない。きっと冷静ではなかったのだ。

部屋が暗くはっきりとは見えなかったが”何か”は長身の人間のような形をしている。ただ大きく違うのは手だ。人間の何倍も長い手がさながら蜘蛛のように三本か四本ずつ生えている。その長い手を器用に使って辺り一面に置かれた大量の食事を貪っている。二本の腕で物を食べ、余った手で皿を手繰り寄せている。二本のうち右の手には仏壇に供えられていた箸が握られている。あの箸はこいつの食事のためにあったのか。


食事はどこから出てきたのかわからないが、叔母が供えたものかもしれない。もしそうだとするとお供え物を貪るあいつが神様なのか?この周辺の人は皆あんな化け物を祀っているのか?

そんなことを考えながら見ていると化け物は食事を終えたようで、何やら俯いてボソボソと唸っている。

耳を澄ましてみると、「汚れた」「汚い」と言っているように聞こえる。手づかみで食べたから手が汚れたと嘆いているのだろうか。


化け物は段々と怒りを露わにし始める。長い手で皿をなぎ倒し、地団駄を踏む。「汚れた」「汚い」と叫びながら。そうか、私が盗ったから手で食べざるを得なくなったのか。それで怒っている。

そして私も段々と忘れていた恐ろしさを思いだす。逃げよう。そう思っていると化け物が突然大きな声で「汚い、いらない」と叫び、左腕を一本ちぎり捨てた。その意味の分からない光景に驚き、襖を閉め逃げようと決意し襖に手をかけた。

襖がズ、ズズと音を立てる。しまった。化け物の方に目をやるとさっきまで向こうを向いていた顔がこっちを見ている。その顔にはやはり蜘蛛のように大量の眼球がついている。人間の眼球が。その全てが私の顔を見ている。

「見 つ け た」と笑いながら。

見つかってしまった。きっと逃げなくてはならない。私は駆けだした。後ろから襖が倒れる音がする。大量の足音が、血の滴る音が、荒い呼吸が。

逃げる宛もないまま外に駆けだす。母屋に明かりがついている。逃げ込もう、きっとお父さんが助けてくれる。助けて。

母屋に逃げ込んだがそこには誰もいない。叔父だけだ。でも叔父は助けてはくれない。とりあえず隠れよう。炬燵に潜り息をひそめた。

何かが入ってきた。両親か叔母であってくれという期待はすぐに打ち砕かれた。足音が多すぎる。


化け物が炬燵を中心にぐるりと部屋を物色しているのがボタボタという音でわかる。ちぎった腕から血をだらだらと垂らしているのだろう。

「代わりは、代わりは」としきりにつぶやいている。ちぎった腕の代わりを探しているのか?冗談じゃない。

見つかるな、見つかるな、ごめんなさい、と心の中で繰り返しながら息を殺す。

部屋を半周したころぴたりと動きが止まった。バレたのか?一層息を殺す。

助けてくれ。


「見 つ け た ぞ」

化け物はそう叫び、ガタガタと暴れだした。しかし私のもとには来ない。何を見つけたんだ?

やがてさっきと同じように何かをちぎるような音が聞こえる。「これで良し」と呟き化け物は外に出て行った。


何が起きたのだろうか。外に出てみると当然ながら部屋が血まみれになっている。玄関から続く血の跡をたどると叔父の遺体の前で止まり、大きな血だまりが出来ている。もしやと思い叔父の腕を見てみると、腕がちぎられていた。どうやら代わりの腕を見つけ満足して帰ったらしい。気が抜けてしまい膝から崩れ落ちた。


気が付くと離れの布団で寝ていた。あれ?

母屋の血も綺麗になくなっている。夢だったのか?

きっと箸を盗んだ罪悪感から変な夢を見たんだろう。

とりあえず箸を神棚に戻し、手を合わせ謝る。すみませんでした。


今日は叔父の葬式だ。親戚たちがぞろぞろと集まってくる。

やがてお坊さんがやってきてお経を読むので正座して聴く。退屈だ。


読経が終わったので叔父の身体を拭いて棺に移すらしい。ふ~んと思いながら眺めていると突然叔母が叫んだ。皆がざわつき始める。何が起きたんだと思い様子を見に行くと叔父の腕が真っ黒に変色し、カチカチに硬直していた。

まるで何かに腕を奪われてしまったように。

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