創作における『フィクション』への一見解

少し前、宇宙関係の職業に勤めていた方が、とある漫画に苦言を呈し、作者の方が反応したことで炎上したことがあった。


私は趣味で創作を嗜む人間だが、同時に専門職を目指している身分でもある。そんな私がこの件について思ったことを、述べていきたい。


私は、創作におけるフィクションには「担保されるべきもの」と「リアリティーを考慮した方がいいもの」が存在しているのではないかと考えている。


担保されるべきフィクションとは、「マクロ視点でのフィクション」だ。具体例として、『絶滅したはずの恐竜がいる世界』、『科学技術がより発展した近未来』、『架空の学園』などが挙げられる。これらはあらゆる創作の根源であり合理的、学術的観点がむやみに侵入するべきではない領域だ。


一方。懸念されるべきフィクション、即ち、きちんと事実を調べた方がいい『フィクション』とは、『職業や技術、学問、文化形態などに関する知識や価値観』が挙げられるだろう。

細部がずさんなフィクションは、荒唐無稽な絵空事になる可能性がある。このリスクを回避するために必要となるのが、リアリティーという基盤なのだ。建物の構造を知り、政治経済の変遷を参考にし、先人の言葉を物語の本質に含有させる。このような観点がもたらされることで始めて、作品が説得力を持った言葉を発するようになる。


騒動の発端である、『宇宙に携わる者としての姿勢がなっていない』という発言。これはマクロ視点のフィクションではなく、ミクロ視点のフィクションのことを指していると私は考えている。

専門職は、知識や技術だけではなく、その職に就く人間としてふさわしい倫理観、価値観、考え方を身に付けることが求められている。発言をした方は、長年宇宙関係の仕事に携わってきており、想いや職業への誇りも人一倍強かったはずだ。だからこそ、主人公の行動に疑問を抱かざるを得なかったのだろう。

(作者の方に対し、リアリティーをすべて精密に描写しなければならないと言いたい訳ではない。専門職、専門性を再現しきるのは至難の業だろうし、ストーリーや物語の都合によって臨機応変に変えてゆく必要性があることも重々承知している。)


だが、前述した炎上の際、SNS上では、『マクロ視点でのフィクション』が否定されていると感じた人々による、『現実と漫画の世界を混同している』旨のツイートが散見された。過去にはとんでもない設定の漫画や作品があった、議論は不毛であると。

違う。論点がずれている。

……おまけに、上記の発言は強烈な危険性を孕んではいないだろうか。どれだけ矛盾や整合性がついていなくても、設定が無茶苦茶でも、『フィクションだから』という鶴の一言で意見を一蹴してもよい。そんな空気が蔓延したら最後、『創作』は衰退の一途を辿ることになるだろう。


当時、当事者の方々より、『文句を言うな』という空気感を出したその他大多数に、断然腹を立てていた。創作者としても、専門職を目指す人間としてもだ。

私はどこか無意識のうちに、大きく発せられている意見を信じてしまう傾向があったが、この経験から大多数が必ずしも正しいとは限らないことを痛感した。


リアリティーと創作。相反するようで似ている両者。いかに共存させ、人々の中に立証してゆくべきか。その岐路に立たされているのかもしれない。






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