『正義』とは

『正義』とは。社会通念かつ重要な価値観として人々の間に根差している概念だと、誰もが答えるだろう。実生活は勿論、創作の世界においても、主人公が正義を掲げ、敵対する人物あるいは組織と戦う構図がごくごく一般的になっている。


私は、幼少期からこの概念の正体を探し続けていた。


『正義』である主人公が『悪』を斃し、人々から称賛される展開に、言葉には出来ない不快感、違和感を感じていた。理想やエゴイズムを押し出し、相手を制圧しているように見え全く感情移入することが出来なかったし、それが『正義』だと信じたくなかった。


『正義』とは何か。いくら考えても、捉え方を変えてみても答えを導き出せない。そんな折、私は二冊の本と出会った。


一冊目は、雫井脩介氏が執筆した『犯人に告ぐ』という刑事小説だ。物語の中盤、主人公が温厚ながらもうだつが上がらない刑事さんに連れられ、ボロボロの家に暮らす男性と対峙するシーンがある。

言葉も話せず、実年齢よりもかなり老け込んでいた彼。実は、過去に重大な事件を犯していた。短気で、反省の色が全く見られない人物だったが、恋人に裏切られ、彼女を殺めてしまったことで、あの状態になってしまったと刑事は静かに語っている。彼は、男性の半生と現在の状況、そして、彼が犯した許されざる行為の狭間で葛藤し続けていた。


二冊目は、中島義道氏により執筆された『悪について』という新書だ。「カント倫理学」を基盤に、この世に存在し、否応なく人間が内包している「善」と「悪」について考察している。

様々な事象に関する検証を積み重ねたのち、中島氏は、善悪が複雑に混在している状況下において「何が正しかったのか」、「あれは善いことだったのか」と自問自答し続け、苦しみながら生きることが「道徳的な人間」としての在り方だと提唱していた。


中島氏の真摯な言葉が、残酷な現実を受け止め続ける刑事の姿と重なった。そして、長年悩み続けていた『正義』の輪郭が、克明に現れたのだ。


『正義』とは。悲惨な出来事や苦しみ、不条理、困難が生じ、容易に考え方、価値観が変容するこの世において、何が正解なのか、自分はどのようにあるべきなのか真剣に考え問い続け、葛藤する覚悟を指すのだ。考えを押し付け、自分に迎合させるために行使する権力のことでは決してない。自分が正しいと思い込み、振り下ろす拳は欺瞞、傲慢にしか過ぎない。


あくまで私の意見だ。同意して下さる方も、全く違うと感じた方も、一方は同じだがもう一方は意見が異なると感じた方もいらっしゃるはずだ。それがごく自然な状態だと思う。


『正義』を追求する旅はまだ始まったばかり。実像を掴むためには、生涯を捧げ、葛藤し続ける他ない。

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