とある事象への一感想

SNSを巡回していた時、ある動画を見つけた。


宗教勧誘を斬新な方法で切り抜けるという内容だった。動画の趣向自体は興味深いものだったが、もし自分が何らかの宗教を信仰していて、布教活動を行っていた時同じ目に遭ったとしたら……と考えると、どうしてももやもやが拭えなかった。


信じている何かを他者に広めようとした際、世間からの価値観によって人格否定までされ、笑いの種にされ、それが平然と容認されている潮流が存在していること。何気なく捉え、傍観している情景の中にも、狂気が潜んでいる。他人事ではなく、自分事になる可能性がある。


決して勧誘活動を奨励している訳ではない。忌避感が生じる所以も、恐ろしさも、何らかの被害に遭い、途方に暮れている方がいらっしゃる現状も理解している。上記したコンテンツを制作されている方々や、それらが好きな方々に対し否定的な意見を述べるつもりも一切ない。また、宗教勧誘に関する具体的な問題点について言及したいわけではない。


私は、社会的に見て「おかしい」とされるコミュニティーにいる人たちを排斥する様子を当然視している風潮が、実はかなり恐ろしいものではいかという感情を共有したいのだ。


具体的な言葉に落とし込むことが出来ない。だが、何か底知れぬ暗い感情に押し流されそうになる。一度考えてみてほしい。自分が心から応援していたり、熱量をもって好きだと感じている「こと」によって人格まで否定され、鼻つまみ者にされる場面を。


「宗教と私が好きなものを同一視するな」という声や、「宗教を信仰している人と我々とでは認識や感じ方が大きく違うはずだし、別にいいだろう」という声、他にも様々な感情が読者の方に湧き出ているだろう。正直、私も色々な考えや感情が錯綜して、良く分からない状態になってしまっている。だが……。だからこそ、考え続ける必要がある。


蔑ろにしてはいけない。言語化できない違和感を、背景にある根源的な課題を、紐解く時が訪れているのではないか。

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