Twitterとの関係性


ネガティブな話題になってしまって恐縮だが、私はツイッターが苦手だ。最初からそうだったわけではない。下記より経緯を書いてゆく。



家族共用の古いデスクトップで、大好きな同人作家さんのアカウントを検索する。作品の一つ一つがオリジナリティーに溢れていて、本当に楽しそうだった。素敵だ、自分もいつか作品を発表し、色んな方々と交流して、オタク活動を充実させようと夢見ていた。


大学への進学が決まり、初めてスマホを購入してもらった。ウキウキしながらツイッターを開始し、一次創作の投稿を始める。同じ趣味を共有する「同士」が沢山いてくれる。作品を批評し合い、高め合う関係を構築できる。充実した生活が待ち構えている。私の前に広がっている道は輝いている。



……幻想はすぐに砕かれた。資本主義を代替したような数字主義、他者とのいざこざ、別の界隈における争いの実況、創作主の馴れ合いが流れてくる。とんでもない情報量の多さ。その中にはネガティブなもの、センシティブなものも少なくない。平日の真昼間に平然と強烈なイラストやツイートが投稿されたり、容赦のない言葉を投げかける人々が大勢いる。非常に衝撃的だった。輝きはすでに消え、薄暗く蠢く雲の元、生温い光が中途半端に差し込む中、ふらふらと漂う人の影が見えるだけだ。


また、私は文面での対話が苦手だったため、相互の方とうまく話せず、非常に強い孤独感を感じていた。交流好きの人が大勢の創作主にリプし、わいわいと楽しんでいたり、イラストを褒め合っている中、私は誰とも話さず、ぼんやりとその様子を眺めている。クラスの中で浮いてしまい、盛り上がってる様子を窓際の席から眺めているような感覚に常に襲われていた。TLに無造作に流れてくる、がやがやと盛り上がっている様子を見て空虚になった感覚を、対面だったら話せるのかもしれないのにな……。というモヤモヤした感情を、今でも覚えている。


ツイッターは、基本的に独り言を投稿する媒体だ。皆がそれとなく、何気なく呟いている文言がどかどかと押し寄せる。熱量がすごいツイートから、「眠い、仕事めんどくさい」といった脱力的なツイートまで多種多様。よく言えば皆が各々のことで盛り上がっている日常を垣間見れて楽しい。悪く言えば、統一性がなく一つ一つの情報を汲み取らなければならないため頭を使う。個人的には、一次創作という他の界隈より共通項がなく、『我』が強烈な界隈にいたため、後者の印象を受ける機会が多かった。


友達に言われた。「ツイッターって要は便所の落書き。アイコンの向こうにいる人を人間だと思いすぎない方がいい。流し見しているぐらいがちょうどいい。」と。

本当にその通りだ。真に受けすぎると情報過多で溺れる。心が傷つき、疲弊する。ある程度ボーダーラインを定め、諦観しているぐらいが丁度いい。

だからこそ、私はツイッターが向いていない。他者を意識しないことも、境界線を張ることも難しい。スルースキルも殆どない。適性が本当にない。



時はSNS最強時代。私は、どのように立ち回ればいい、どのように生きていけばいいのか……。

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