黄色い実

奈月 糸乎

第1話

 私は生まれた家から5分の会社に勤めている。


 小学生の頃、絶対にあの会社には入りたくないと思った会社だ。いつも学校へ向かう道、前を通った。反対側の側溝からどくだみの匂いがした嫌な思い出しかない。八時になると会社の前でラジオ体操が始まり、それを見てしまうと学校に着くのが遅れるから、走る。


 そして今、自分はラジオ体操の集団の中にいる。

 就業、自席に着く。机の上にはなにもない。壁には「机の上にはものを置かない」の張り紙。私物はほとんどロッカーにしまい、会社の備品も机の引き出しにしまう。


「クリップ一つ、シャーペンの芯一本でも会社のものを持ち帰ればそれは盗みです」


 先月、経理の女性が横領をした。

 それだけではない、役員が経費で私的なものを買っているのは公然の事実だ。

 社長の親が私の祖父から何かと理由をつけてお金や土地をとったことも知っている。


 …でも私には何も盗むことは許されない。


 皆仕事が終わるのを待っている。時間が過ぎるのを待っている。

 退勤後、私は小学生時代スニーカーでかけた道をパンプスで歩いて帰る。


 ―夢を見た。色とりどりのタイルが貼られたお城のような豪邸。その周りを囲む白い塀から大きな木が生えているのが見える。その枝は蔓のように絡み、頭の上を傘を作るように、もっと大きい。商店街のアーケードと言ったほうがいいかもしれない。その枝は深い緑の葉で覆われところどころ黄色いラグビーボールのような実が揺れている。ガサガサと音がする。


 猿だ!

 

 テレビで見るような熱帯に住むしっぽの長い猿が枝の先を掴んでいる。どこから来たのだろうと思うまもなく、木の枝を伝って私が目で追いかけるのに首を動かすほどの距離を動いた。そして大きな実をもぐとそのまま隣の木へ移り、がさっ、がさっと音をたてるだけで姿は見えず、どこかへ消えてしまった。

 後に残された私は、急にあの実がどんな味なのか気になって仕方がなくなった。靴を脱ぎ捨て、上着を脱ぐと塀に足をかけた。自分が猿になったかのように塀を登り、枝を掴む。あの黄色い中にほんのりとオレンジ色に色づいた実を目指して枝を伝う。目的の実を掴むと、ぐいっと手首を回してもいだ。実がはずれ、自分のところへ引き寄せる瞬間、バランスを崩して木から落ちた。慌てて実をかばいながら、下の茂みに落ちた。体は傷だらけだが、実は無事だ。袖で表面を拭い、かじった。今まで食べた何よりも甘い味がした。


 目が覚めたとき、私は昨日の晩ごはんなんてなにを食べたか憶えていなかった。ただ、実の甘さだけは忘れられず、もう一度食べたいと願った。

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黄色い実 奈月 糸乎 @yu-ps9

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