第2話 春風

 「右近君はさ」

 「うん」

 「人からデリカシーがないってよく言われないかな?」

 「そんな事はないと思うよ、夏の水着に備えて朝ごはんを抜いたら予想以上に辛いし頭は働かないしさっき僕にだけ聞こえるくらいの大きさでお腹が鳴った、普段は朝からごはん派の櫻子さん」

 「そーゆーところだつってんのよ!イチ聞いただけで今悟られたくない事実ワーストファイブを列挙してくるの、どういうコミュニケーションなの!?うう、なんでご飯の事まで分かるの本当に……?」


 転校初日から二週間が経った。

 クラスの意識は目前に控えた期末テストと夏休みに集中しており、もう「半端な時期に現れた謎の転校生」は周回遅れのニュースである。僕としては望ましい限りで、特に異物として腫れ物のように扱われることもなく、それなりに他のクラスメイトとも交流出来ている。だけど一番話すのは今の所、隣席の櫻子さんである。


 「櫻子さんは分かりやすいからね」

 「えー、そんな事ないと思うけどなあ。この街に生まれて以来16年、由緒正しきミステリアスガールを名乗らせて頂いてるんですけど?」

 「由緒が正しい時点でミステリアス感無いよ」


 とは返したものの、実のところ櫻子さんには幾つかの謎があるのは確かだ。

 最初に僕が彼女を桜の樹と認識してしまったのは僕の錯覚だとしても、それ以外にも不思議な点がこのわずか二週間の内に幾つか浮かんできてしまった。

 その内の一つが、他のクラスメイトの彼女に対する態度だ。


 「あの、篠塚さん」

 「はいはーい、なにかなー?」

 「えっと、今日のお昼なんだけど」

 「あー、うん。今日はお弁当だから教室で食べるよー」

 「そ、そっか。えと、ありがとう、ね?」

 「いえいえー、お気になさらずー」


 そう、ちょうど今のように。

 櫻子さんは、3限目の休み時間に必ずクラスメイトから「今日のお昼はどこで食べるのか」を聞かれるのだ。しかも同一人物ではなく、クラスメイト全員の持ち回りによる「当番制」で。それに対して櫻子さんはなるべく素直に答えるが、聞いてくる方は皆どこかぎこちなく、薄布のような見えない壁があるのだ。


 「櫻子さんは、人気者だね。けどこうも毎日だとたまには気分を変えて一人で食べたくなったりしないの?」

 「やー、まあ求められてるウチが華と申しますか。ワタシも皆が幸せだと気分がいいし。お花見気分でお昼が食べられるってステキな事だと思うんだよね、櫻子だけに。……櫻子だけに!?」

 「リアクションが微妙だったからってゴリ押ししてこなくてもいいよ、それ聞くのもう三回目だし」


 そう、決していじめとかではない。むしろその逆で、クラス全員が櫻子さんの機嫌を伺っている、どころかある種の崇拝のような気配すら漂っているのだ。

 先程聞きに来た女子にしても、背中を複数の友達に支えられて、勇気を振り絞って聞きに来たという感じだ。……まるで、神の宣託を受け取る巫女みたいに。

 転校生の僕が名前で呼んでいるのにクラスメイトが名字呼びということは、この一年、彼女とクラスメイトとの間の距離はまるで縮まっていないということになる。

 はてさて、これは僕がおかしいのか、それともクラスメイトがおかしいのか。

 或いは――


 「右近くんは今日のお昼どうするの?」

 「僕もここで食べるよ。お手製のお弁当だから大したものじゃないけどね」

 「おー、おにぎりにウィンナーに卵焼きにお浸し……あはは、お花見っぽーい!」

 「なんでか僕もそういう気分になってきちゃうんだよね、不思議なことに」


 そう、実に不思議なことに。

 彼女には、お昼休みにどこで食べるのかを毎日聞かれる、明確な理由がある。

 



 

 4限目の体育を終えて教室に戻ってくると、既に教室は櫻子さん待ちの「花見客」で満員だった。それもそのはず、他のクラスの生徒まで友達を理由にして押しかけてきているのだ。下手をすればD組の生徒なのにD組でお昼を食べられない、などという事態も頻発している。流石に隣の席は恐れ多いのか、櫻子さんと僕の席だけは空いているが。まあ、ありがたい話だ。


 「うおー白熱した―!騙し騙されの心理戦、譲れぬラリー、限界まで酷使される足腰……!バドミントンは最高の競技だよ右近君!」

 「櫻子さん五回くらいシャトルもろともネットぶっ叩いてたね、アレさえなければ勝ってたのに」

 「右近君は人の恥をカウントする奇癖を今日限り改めるべきだと思います」

 「善処するよ。カウントはしても心に秘めておくようにする」

 「カウント自体しないで!右近君はそつなくこなしてたよね―、運動得意なの?」

 「まあ、それなりにね」


 とりとめもない会話を交わしながら、お互いお弁当を広げていく。

 室内は明らかに人口超過なのに、櫻子さんと僕の周りには誰もいない。

 そして、誰もが


 「ふう。……それじゃ、いただきます」


 櫻子さんがお弁当の蓋を開けるのと同時に、室内の空気が一変した。

 光は暖かく、頬を撫でる風は爽やかに。優しく辺りを満たす春の匂い。

 

 静まり返っていた教室が一斉に賑やかになり、皆思い思いの相手と食事を始める。

 そう、まさにこれは花見の席だ。

 

 「右近君のおべんとは彩りに欠けるねえ。トマト一個あげようか?」

 「遠慮しておくよ、おにぎりにトマトは流石に合わない」

 「おやおや、好き嫌いですかなー?たくさん食べないと大きくなれないぞー。まあ充分大きいんだけど右近君は。180cm近くあるよね?」

 「育った環境が良かったんだろうね。おかげさまで日々の栄養バランスは守られてるからそのトマトはご自分でどうぞ。櫻子さんのお弁当こそ彩りが溢れ過ぎというか、野菜と果物が多すぎて肉と米の類が一切無いようだけど大丈夫?またお腹鳴らない?ウインナーあげようか?」

 「セイッ!」

 「ごめんなさい体が大きくても足の甲を踏まれるのは痛いですやめてください」


 櫻子さんの不思議な点。1つ目と繋がっている2つ目。

 櫻子さんがお昼を食べ始めると、室内の空気が春になる。

 それが何故なのかは他の皆は知らないけど、知らないままに享受している。

 それを無闇に知ろうとすると、せっかくの恵みが失われるかもしれないから。

 だから、教室内にこんなに人がいてこんなに賑やかなのに、誰も櫻子さんの方を見ない。誰も櫻子さんと話そうとしない。

 僕は櫻子さんの不思議の正体が既になんとなく推測できているから平気だけど、それ故に考えてしまう。

 僕が来るまで、櫻子さんはどんな風にこの学校で日々を過ごしていたのか。

 僕が来るまで、教室の片隅で櫻子さんがどんな気分でお弁当を食べていたのか。

 このまま波風を立てなければ、何事もなく卒業まで日々が過ぎてゆくのだろう。

 

 けど、それは嫌だ。癪に障る。腹が立つ。

 僕はそれが、どうしても許せそうにない。

 だから。


 「ねえ櫻子さん」

 「なに、右近君」

 「アレルギーってある?」


 ひとつ、悪戯イタズラを仕掛けることにした。

 

 

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