第4話 再会

 翌朝の明け方。どんよりと曇った空は、ゆっくりと夏の光を帯びていく。湿度の高い空気が立ち込めており、山の冷たい空気が、朝靄(もや)を生みだしている。


 時折、鳩や雀たちのさえずりが、木々の間を木霊しながら聞こえてくる。裾野には、のどかな田園風景と大きな川が広がり、澄んだ水のせせらぎが柔らかな旋律を奏でている。


 昨日、この氷上山で見るも無残な遺体が発見されたことは、のどかなで平和だったこの町に衝撃と恐怖を与えた。普段、通りの少ない山道に、警察、鑑識や救急、マスコミに野次馬が一斉に押し寄せ、一時は祭りのような喧噪の様相を呈していたのである。


 有刺鉄線で首と両手首に食い込まされて吊るされた遺体を下ろす作業には、熟練の樵(きこり)も駆り出されたのだが、かなり高い場所にあった事と極力、遺体を傷つけないよう、慎重に有刺鉄線を斬る作業を並行して行ったため、難航し相当な時間を費やした。


 結局、遺体収容に時間を要した結果、明け方近くまで残っていた鑑識による指紋、遺留品等の捜索は一旦打ち切りとなり、夜明けを待ってからと再開することになったのである。


 そして、今は警察が張った「立ち入り禁止 KEEP OUT 広瀬警察」と書かれたバリケードテープによって、氷上山への立ち入りが禁止されているため、森は元の静けさを取り戻しつつあった。鬱蒼と茂る木々の葉が風に煽られて、葉の安らぐような香りと湿った土の匂いが森の中に充満していく。


 やがて、陽が昇った午前九時。捜査と鑑識の再開である。昨日に引き続き、中井刑事と高松刑事に制服の警官が四名。鑑識が三名が現場に集結して、辺りの捜索を行い始めた。


 と、そこへ一台の車が坂道を登ってくる音が聞こえた。それは、まるで癇癪を起した赤子のように、けたたましいエンジン音を響かせて近づいてくる。先ほどまでの森の静寂さが、一瞬にして壊されて、静かに囀りをしていた鳥たちが一斉に空に飛び立った。中井刑事たちが、訝しげに眼を細めて、その車の挙動を見守っている。


 ゆっくりと、坂道を登って来たのは、年代物の黄色いホンダN600だった。日焼けによる塗装変色して、一部は剥がれているのが見える。エンジンからけたたましい音がするのは、オーバーホールなど手を加えていない証拠でもあるのだ。


 死にそうなくらい苦しそうに、排気ガスを吐き出しながら、二人の刑事の前に停まった。車の中には二人の男が狭い座席に座っていた。中井刑事が眉を潜めて運転席の男を見ている。男は手を振りながら、ゆっくりとドアを開けた。中井刑事は、目を見張った。運転手の背の低い方の男に見覚えがあったのだ。運転手の男が話かける。


「ようっ!久(ひさ)。久しぶりだな」


「あっ!お前、貞平さんところのタカ坊じゃないか?おおっ!久しぶりだなぁ。いや、何年ぶりだっけ?」


中井刑事も懐かしさのあまり笑みがこぼれている。


「高校を卒業して以来だよ。お前と直接こうやって会うの」


「そうかぁ、もう、そんなに経つのか。いやー、驚いたな。それにしても・・だいぶ貫禄がついたな」


中井刑事が貞平の頭部に視線を飛ばす。高松刑事と宅間が、思わず口元を抑えて噴出しそうになっている。


「おいおい、何で、頭を見ながらいうんだよ。普通、顔とか背中とかだろう?」


「はははっ・・。確かにな。そう言えば、お前、県警の刑事になったんだってな?いや、あの畑に穴を掘って、トラクターを生き埋めにした悪戯坊主がなぁ・・」


「おいおい、お前にまで、悪戯坊主呼ばわりされたかないぞ!」


貞平はちょっとムッとした顔で、中井刑事を睨みつけた。


「ははは・・。悪かった。久しぶり過ぎて、何かを色々話そうとすると、かえって変なテンションになっちまってな」


「ああ、確かに。それは分かるよ。普段から会っているわけじゃないからな。ちょっと変な感じにはなるよな」


中井刑事が頷いていたが、ハッとした顔で真顔に戻ると


「ああ、そうだ。そう言えば、どうして、お前らが、ここへ来たんだ?」


貞平に尋ねる。


「おおっと、そうだったな。その前に自己紹介をしておこうか。俺は、貞平。こっちは俺の相棒で宅間だ。俺たちは今、休暇中なんだよ。俺が実家に帰省するんで、田舎の無い宅間を連れて来たんだ。それで、俺はぐうたらを装うアロハなんだが・・」


チラリと宅間の方を振り返る。慌てた宅間が矢継ぎ早に喋る。


「ええっと・・自分は、宅間と言います。今日は自分に合うアロハのサイズが無かったので、いつもの背広を着て来ました。貞平さんと妙な事件を担当するのが仕事でして・・」


宅間は大きな額に大粒の汗を掻いて、いささか照れくさそうに頭を下げた。中井刑事が話を引き継いて自己紹介をする。


「それじゃ、こちらも・・。えっと、俺が貞平の同級生で中井です。で、こっちが高松刑事。まだまだ新米気分が抜けないけどな」

「ちょっと、そりゃないでしょ、中井さん。僕も大分できるようになったと思いますよ」

高松刑事がムッとしたように、中井刑事に言う。中井刑事が高松刑事の肩に手をやると

「ははは・・。まあ、そう怒るな。ある程度は出来るようになったよ。さて、自己紹介も終わったところで、本題だ。昨日、この氷上山で殺人事件が起こった。そこへ県警・・他県だけど、二人も優秀な刑事さんがやってきたのは、どういう事だい?」


と、貞平に向き直って尋ねる。


「いやー、実はな、ヒサ・・いや、中井刑事。昨日の事なんだが、俺たちは、あの平松文具店・・お前も覚えているよなあ?良く正月に一緒に凧やくじ付きガムとかを買いに行ったからな」


中井刑事が懐かしそうに眼を細めて、大きく頷いている。


「たまたま、昼過ぎに立ち寄ったんだが、そこで平松のおばちゃんと少年3人が話していたんだ。確か、この氷上山で得体の知れない大きな蝙蝠を目撃したっとかっていう話だったな。俺は・・」


と、貞平が続けようとしたのを突然、中井刑事が遮った。


「おっと、待った!大きな蝙蝠だとっ?そいつなら、俺たちも昨日見たぜ。真っ黒で蝙蝠みたいな翼をバタつかせて、あの木の辺りからあっちの方まで、まるで忍者みたいに飄々と飛んでいきやがったんだ」


興奮気味に語る中井刑事に、高松刑事も頷いている。だが、相変らず貞平がおどけた調子で言う。


「それは、それは・・まるで、映画の世界だな。まあ、その話は置いておいてだ。先を続けると、俺は全然、信じてなかったんだが、今朝のテレビを見ていたら、氷上山で殺しがあった言うじゃねぇか。まあ、昨日の今日だったことと3人の少年が遺体を発見したって言うのが、妙に引っ掛かってな。まあ、それで、慌てて飛んできたってわけだ」


「あのなぁ・・間近で見てない奴に言っても、映画の世界かもしれないが、俺ら二人はこの目で見たんだぜ。ただ、実際に、何だったのかは、分からんが・・。それにしても・・タカ坊も歩けば、凶悪事件に当たるか・・。ちなみに、その3人の少年と言うは、どんな特徴だった?」


一瞬、貞平が眉を潜める。


「ああ、確か・・一人は背が高く、眼鏡をかけて赤い帽子を被っていたな。もう一人は、背が低く、黄色い帽子を被っていた。それと・・・。うーん・・」


人は、あまり興味を示さない事には無頓着で、記憶に残らないことを貞平が身を持って示している。宅間が間を割って入り続ける。


「貞平さん。確か、青い帽子を被った小太りの少年ですよ。昔で言えば、ガキ大将っぽい感じでしたよね」


「おおっ、そうだった、。そうだった。確か、俺たちと同じ氷上小学校の小学五年生だったな」


中井刑事と高松刑事は、その話を聞いて目が光った。


「なるほど・・。その特徴からすると今回の目撃者によく似ているよ。おそらく、同一の可能性が高いな。その時に何か言ってなかったか?例えば・・さっき言った蝙蝠を探しに行くとか・・」


貞平と宅間が首を残念そうに横に振っている。


「いや、全然。俺も宅間も大きな人間ぐらいの蝙蝠が木と木の間を飛ぶなんて信じなかったからな」


「確かにそうですね。自分はムササビやモモンガーの影を見たんではないかと言ったんですけど、少年たちに必死の抵抗に遭いましたよ。はははっ・・。ただ、四十五年前の失踪事件の話は、怖かったですよね?貞平さん」


宅間が武者震いするふりをする。貞平の冷たい視線が宅間を刺す。


「お前は図体が大きいのに、何でそこまで怖がりなんだよ!大体、四十五年も前の失踪事件なのに、今頃になって幽霊が出るかっての!平松のおばちゃんが話を盛っているに決まっているだろう!」


貞平が口をへの字に曲げて話している横から、中井刑事が口を挟んだ。


「おいおい、タカ坊、ちょっと待て!四十五年前の失踪事件って何だ?それは、どういう事件なんだ?」


「うんっ?ああ、それは平松のおばちゃんに聞いた方が早いと思うが・・」


 貞平が身振り手振りを交えて、聞いた話を要約して説明していく。時折、宅間が補足を入れたので、中井刑事も高松刑事もすんなりと理解できた。


「ふーん。なるほどなぁ。四十五年も前に、この氷上山で、小学6年生の男の子が失踪したのか。それから、一年後に幽霊を見たと・・。それにしても、俺たちですら、聞いた事のない話があるもんだなぁ」


「全くですね。僕も初めて聞きましたよ。この氷上山で、神隠しの伝説があったなんて・・」


高松刑事が頭を掻いている。だが、


「ただ、それが事実である証拠は何もないんだがな・・」


と、貞平が意味深(いみしん)に言った。中井刑事が驚いた顔を浮かべながら言う。


「えっ?!そりゃ、どういうことだ?まさか、平松のおばちゃんが嘘をついているとでも言うのか?」


「いや、そうじゃないさ。ただ、この話は、平松のおばちゃんに確認してからの方がいいと思うぜ。いまいち、俺の中ではスッキリしないんでな」


「でも、あの人の好さそうなおばさんが嘘を言う人には見えませんでしたが・・」


宅間が口を挟んだ。だが、貞平は眉間に皺を寄せるようして少し考えてから口を開いた。


「いいか、四十五年前の失踪事件は、俺たちが幼い頃に起こった事件だ。だが、俺たちは何も知らない。なあ、ヒサ。俺たちが、幼稚園とか小学1年生ぐらいになった頃のことを思い出してみろよ。普通、神隠しの伝説が残っているならば、氷上山へ入るなと言うお達しが出るはずだし、失踪事件が実在するならば、一度は耳にしてもおかしくないだろう?」


「まあ、確かに・・」


「それなのに、学校で氷上山の入山を禁止されたことも、失踪事件を聞いたことも無い。仮に、神隠し伝説があるならば、都市伝説的な話として、形を変えたとしても、語り継がれていくはずだろう?ところが、最近でも、そういった話があるかと言えば、先ごろ、大きな蝙蝠を見たという事だけだ」


「要は平松のおばちゃんが嘘をついているということだろう?」


中井刑事が貞平に再度確認する。しかし、貞平は首を横に振って、


「いや、そうじゃない。平松のおばちゃんは、嘘をついたんじゃなく、その事実を一部の人間しか知らなかったんじゃないかってことだ」


「えっ?!どういうことだ?」


中井刑事と高松刑事、宅間の三人が目を見張って、貞平を見る。


「いいか、おそらく実際に失踪事件は起こったんだ。だが、それらの事実は長い間、隠匿(いんとく)されてきた可能性が高い」


「えっ?!町中を騒がす事件だったのにですか?」


宅間が微かな記憶を辿り、貞平に尋ねる。


「そうだ。町中を騒がす事態だったにも関わらず、事実は隠匿されたんだ。これは、俺の仮説だが、失踪事件は起こった。だが、それは解決したことになったとすれば、どうだ?」

その場に居合わせた刑事と警官がギョッとした顔を浮かべる。


「つまり、それは失踪事件が発生したが、なんらかの理由によって、意図的に解決したことにしたという事か?」


中井刑事が勘を働かせて言った。


「そうだ。具体的詳細はまだ分からないが、俺はそう思う。そこでだ。これから俺たちは、平松おばちゃんに確認してみようと思うが・・いいよな?ヒサ」


「ああ、分かった。平松のおばちゃんは、まだこの事件に絡んでないから、特には問題ないよ。但し、休暇中との事なんで、国家権力の乱用にならないように気を付けてくれ」


貞平が薄笑いを浮かべて頷いている。それを確認して中井刑事が続ける。


「俺たちも、これから少年達に聞き込みをするつもりだ。ただ、何か分かったら教えてくれ」


「ああ、そうしよう。失踪事件と今回の殺人事件。果たして、別々の事件なのか、繋がるのか・・。さて、行こうか、宅間」


「ええ、それじゃ、中井さんと高松さん。頑張って下さい」


 宅間が二人に敬礼する。二人の刑事も敬礼を返し、貞平が軽く敬礼をして車に乗り込んだ。バッテリーの寿命とプラグの接触が悪いのか何度か、キーを廻して、ようやく金切声を上げてエンジンが始動する。豪快なエンジンを響かせて、ゆっくりと坂道を下っていく車を二人の刑事は見守っていた。


 だが、貞平と宅間は、もっと早く動くべきだったのだ。そう、その時、悪魔が着実に、その手を血に染めていたからだ。そして、第二の事件が起こった。

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