第2話 三人の少年

 夏の夕暮れがゆっくりと過ぎようとしていた午後七時。真っ赤な陽が、遠くに見える大きな入道雲と流れるような薄い雲の列に赤い影を落としながら、沈んでいく。


 山々の木々が夏の暑さに火照ったように赤く染まり、田園にも綺麗な夕映えを残している。辺りには蜩(ひぐらし)の鳴く声が聞こえ、静かに暮れゆく夏の刻(とき)を刻んでいく。


 コンクリート製の電柱と木製の電柱が混在する田園地帯。LED製や蛍光灯など街灯は皆無で、未だに錆ついた傘の中からオレンジの裸電球がチカチカと点滅しながら、灯を入れていくのである。夕陽の沈む、その田園を臨むように、山々がそびえ立っており、その中でも、一際、大きな山がある。その山こそ、氷上山と呼ばれる山である。


 その氷上山の山頂付近に巨大な湖があり、冬になると、その湖の表面が一面、白く濁ったように凍る事から氷上山と呼ばれるようになった。普段は、その湖の底から湧き出る大量の水が、大きな滝を作り、やがて、大きな川へと変化していくのである。


 この川こそが広瀬川と呼ばれ、その川沿いに作られた町を広瀬町と呼んでいる。この川から西に、二kmほど離れた住宅地に氷上小学校は存在した。


 その校庭は、さほど広くなく、校舎は未だに木造建築物で、辺りに昭和の匂いが立ち込め、哀愁が漂っている。と言っても、本来、地震倒壊の危険もあったのだが、近くに発電所があるおかげで、国と電力会社から文化遺産事業の名目で補助が出ているため、柱や梁などの内部を耐震構造に変更したのであった。


 その氷上小学校の校門は締まっているのだが、その門の脇に三台の自転車が停まっており、三人の少年が何かを話しあっている、彼らは、先ほど貞平と宅間が駄菓子屋で遭遇した少年たちであった。


 三人は校門の脇にある花壇の段差に腰かけて手振り身振りを交えて話しを弾ませている。赤い帽子を被り、黒縁眼鏡をかけたひょろっと背が伸びた少年が困惑したような表情を浮かべて言った。


「ねえ、春ちゃん。本当に行くのかい?今日は、止めた方がいいんじゃない?」


春ちゃんと呼ばれた青い帽子を被った小太りの少年が、口をへの字に曲げて、右手の握り拳を左手の平に打ち付けながら言う。


「おいおい、ミック。今更、何言っているんだよ。行くに決まっているだろうっ!あんな変なオジサンにバカにされて、今時、幽霊が出たっ。なんて言われて、俺たちが黙ってられるかっての!なあ、カン坊っ」


それを聞いたカン坊と呼ばれた黄色帽子を被り、やせ形で背の低い少年が大きく頷きながら、口を挟んだ。


「そうだよ。ミック。今度は、僕たちで黒い影の正体を暴いてやろうよ。それで、皆に信用させるんだよ。僕は、今日兄貴のデジカメを持ってきたし、証拠もバッチリ撮れるよ」


しかし、ミックと呼ばれた赤い帽子の少年は、うかない顔をして


「でもさぁ。お化けとかじゃなくて、さっきのオジサンの言うように、ムササビやモモンガならいいけど、大きい動物だったら、危ないんじゃないかなぁ・・」


と、若干、心配気味に言った。それを春ちゃんが、その不安を振り払うかのように言う。


「大丈夫だよ、ミック。僕らは三人いるんだよ。いざとなれば、携帯もあるし、懐中電灯も武器になるし、途中で、手ごろな木の棒を調達していけば、向こうが逃げるさ」


「そうそう、春ちゃんの言う通りだよ。相手は一人だし、僕らは三人もいるんだから、戦っても勝てるよ」


 と、カン坊が説得力ゼロの勝てる理論を展開する。ミックは目を閉じ、腕を組みながら、うなだれるように考えている。やがて、意を決したかのように、大きく頷くと、目を開けた。


「うーん・・。まあ、そうだね。僕ら、三人居れば大丈夫だよね?春ちゃんとカン坊が、そこまで言うなら、行ってみようか。でも、午後八時までだよ。家の親、うるさいから・・」


「うん、もちろんだ。夜八時までに出なかったら、直ぐに帰ろう」


「そうだよ。そうこなくっちゃ!」


 春ちゃんとカン坊が、満面の笑みを浮かべて、両手の拳を震わせる。ミックが、ゆっくり立ち上がって、小さなリュックを背負うとお尻の砂を払いながら言った。


「そろそろ、陽が沈みそうだよ。さあ、行こうか」


『おうっ!』


 三人は、自転車にまたがると、広瀬川へと向けて、ペダルに力を込めて漕いで行く。三人の幼い話し声を響かせて、自転車は細い車道をいくつか横切って、広瀬川の砂利道である土手の上を走っていく。川のせせらぎが静かに流れる水の音を奏でている。夕陽がゆっくりと山の影へと隠れて、うっすらと伸びた雲たちが赤々と燃えていく。蝉の鳴く声と灼熱の風を受けて、氷上山へと進んでいく三台の自転車。


 三人は、広瀬川の土手沿いから道幅の広い国道へ出ると、そのまま、広瀬川にかかる橋を渡って、東へと進んだ。そして、国道から一本入った細い路地へ曲がっていくと、そこには、昔ながらの古めかしい看板を掲げた商店が軒を連ねている。辺りには、蚊取り線香の匂いが漂い、店のシャッターを閉める音が響いている。


 その商店街の狭い道には、立て看板、電柱などの障害物と同時に、時折、車が往来していく。彼らは、その危険地帯の合間を縫って、広瀬神社入り口と書かれた看板を北へ向かい、氷上山の山道入り口へと到達するのである。


「やっと入り口に着いたね」


ミックたち三人が見上げているのは、氷上山の山道入り口に横にある石碑である。

「よしっ!じゃあ、広瀬神社まで競争だっ!行くぞっ!」


 春ちゃんが、さっさと自転車のペダルに力を込めると、フライング気味に坂道を登り始める。それに、慌てふためくカン坊が叫びながら、後に続く。


「ああっ!ズルいっ!待ってよっ!」


「よしっ!僕も負けないぞっ!」


 三人は、その入り口から山の中腹にある広瀬神社までの山道を登り、今回、黒い影が目撃された場所へと急いで登っていく。


 幸いにして緩やかな坂道が続いているが、氷上山を右回りに沿って登るような道筋となっており、カーブも多い。その山道の道幅はとても狭く、自動車一台がやっと通れるという道だった。


 また、アスファルトで舗装されているものの道の側面にあたる崖側には、木々が生い茂っており、所々、ガードレースが施されていない箇所があるため、稀に車が前輪を踏み外して立ち往生したり、対向車との譲り合いで、バックして後輪が崖の石に乗り上げるなどの些細な事故が発生しているのだ。


 そんな道を前を行く二人が目撃地点を目指して、必死で自転車を漕いでいく中、ミックがチラリとデジタル表示の腕時計を見ると、午後七時二十二分を指していた。


 ちょうど陽が沈んだばかりの森の空には、木々の合間から空に浮かんだ雲たちに映える赤焼け見える。夏の暑くむせるような空気が少しだけ和らいだようだ。蜩(ひぐらし)たちの蝉の合唱が今日の終わりを告げるかのように、辺りに木霊していく。


 だが、この時、三人の少年たちは自分たちが坂道を登る様子を、木々の間から不気味な二つの目玉が見ている事に気付かなかった。


「はあはあっ・・。もう少しだなぁ・・」


「うぅぅーんっ・・。そうだねぇぇぇっ・・」


「はあはあっ・・」


 春ちゃんとカン坊が帽子の隙間から汗を流しながら、ペダルを踏みしめている。ミックも時折、立ち止まっては、帽子を脱いで額の汗を拭いながら進む。


 だが、無常にも坂道は徐々に角度を強めていく。結局、三人とも自転車から降りて、自転車を押しながら登るハメになった。


「はあはあっ・・。くっそっ!やっぱり、この坂、キツイなぁ・・。あの地蔵の前まで、あと少しなんだけど・・」


春ちゃんが悔しそうな表情を浮かべている。


「はあはあっ・・。も、もうちょっとだよ。春ちゃん。あれっ?!ミック?こっちこっち」


 カン坊がグッタリした顔でミックに手を振る。二人より少し遅れてしまったミックも手を振りかえして応える。暫く歩いていくと、やがて三人の前方に地蔵を収めた小さな祠(ほこら)が見えた。三人の鼓動が早くなり、脚を踏みしめる力と登る速度が急激に上がっていく。あと数メートル・・。あと数十センチ・・。


「やっと、だぁぁっ!ああ・・着いたっ・・。はあぁぁーっ!」


春ちゃんが、ゴールしたかのように両腕を空に挙げる。


「はあはあ・・。疲れたよぉ・・。春ちゃん・・。急ぎ過ぎだよっ!ミック、大丈夫?」


「はあはあ・・。さすがに・・この坂は辛かったね」


 三人は自転車を地蔵の祠の傍に寄せると、呼吸を必死で整えている。辺りは完全なる闇に包まれている。空は、うす雲に覆われているのか、月も星も全く見えないのである。


 唯一、三人の自転車のライトだけが、静寂な森の中に光をもたらし、祠の中に鎮座する地蔵の陰影を映し出しているのであった。


「確か、あいつが見たって言ったのは、この辺だったよな?ミック」


「うん。そうだよ。このお地蔵さんがある場所で間違いないよ」


ミックがリュックサックの中から小型のLEDライトを取り出して、灯を点した。


「わっ!眩しいっ!」


「ああ、ゴメンゴメン」


 ミックは、そう言うと、明るい光をカン坊から祠へ向けて、その中を照らしていく。その祠は、道の壁側となる一枚岩をえぐり取られるかのように削って作られており、その中にはこれまた石を削って造られた地蔵が収納されていた。首から肩に掛けて赤い布を纏った地蔵の背丈は三十センチぐらいだろうか。その前にはお香立てが置いてある。不意に春ちゃんが口を開いた。


「そう言えばさぁ。このお地蔵さんって、何であるんだっけ?」


「えっ?!なんだい?急に?春ちゃん。そんな事、言い出すなんて」


 カン坊が驚いたような顔で春ちゃんを見る。カン坊が分からないと見るや、春ちゃんは、すがるようにミックを見る。


「ちょ、ちょっと・・。うーん・・。急に言われても、僕にも分からないよ。多分、この山道で事故や災害が発生しないように、建てたものだと思うけど」

「そうか・・。流石の物知りミックでも分からないか・・。いや・・。なんかさ。広瀬神社があるのに、こんなところに、お地蔵さんまであるのが、良く分からなくてさっ」


「いや、春ちゃん。それは、ミックが言った通りだと思うよ。きっと、事故とかを防ぐんだよ」


 カン坊は、嫌な記憶が蘇りそうになるのを抑えようと努めていたのだ。そう、あの四十五年前に失踪した少年の事件。春ちゃんが、それに触れないように、ミックが後を継ぐ。


「それより早く黒い影を探そうよ。もうすぐ、八時だし・・」


ミックは腕時計が七時五十七分を指しているのを確認する。


 と、突然、森の中にこもったような奇声が響いた。そう、それは鴉の鳴き声だ。しかも一羽だけではなく、重奏のように響く、その鳴き声は複数の鴉を意味している。

 ゆっくりとその声の方向をミックのLEDライトが真っ直ぐな光を放ちながら追うと、森の木々を抜けていく光が、やがて大きな黒い影にぶつかった。その黒い影は木と木の間に人型となって立体を作っている。三人は大きく目を見張ると、その黒い影を凝視した。


 と、突然、一羽の鴉が甲高い雄叫びを上げると多くの黒い鴉が一斉に空へと飛び立った。そして、そこに残された無残な人型の物体。その正体を知った三人は小刻みに唇と肩を震わせてながら、まるで、冷や水を浴びせられたように体を完全に硬直させたのだ。三人は硬直したまま、その物体から目を逸らせない。


 やがて、その木の根元にぼんやりとした白い影が見えるではないか。それは、自分たちと同じ年ぐらいの少年の姿のように見えた。木と木の間に、揺らめくように立っていた白い影は、ゆっくりと森の静寂に消えて行った。三人は、震えながら、ガックリと膝を折り、その場に腰を下ろした。灼熱の真夏の夜。黒闇に潜めく悪魔の舞台の幕は、今、上がったのである。

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