欲望の世界─ラプンツェル─

「お願いです……身重の妻のためだったのです。お許しください。妻がどうしても、あなたの薬草を食べないと死んでしまうと……。とてもやつれて……お願いします……」


 なんと浅ましい、愚かな人間だろう。妻愛しさに盗みを働き、あまつさえそれを正当化するとは。

 目の前で身を投げ出して許しを請う人間の男を見ながら、魔女は低い声を響かせた。


「おまえの言い分はわかった。身重の妻の身体はさぞ心配であろう。わたしの薬草を好きなだけ妻に持っていくといい。……しかしだ」


 ホッとしたように顔を上げた男に、魔女は再び冷たく告げた。


「どんな理由があろうとも、おまえのしたことは罪だ。わたしの庭に勝手に忍び込み、大事に育てている作物を盗んだのだからね。わかるだろう? おまえは魔女から盗みを働いた。これは大罪だ。おまえは償いをしなくばならない」

「償い……?」

「おまえたちの子どもが生まれたら、その子をわたしへ寄越すんだ。わたしが子どもを育てよう」


 男は強張った顔で、魔女を見つめた。


「私と妻の子を……あなたが?」

「ああ。そうだ」

「も、もっと別なことではダメですか? 金なら何年かかってもお返しします。畑仕事の手伝いもいたします。その他も、いっていただければなんでも。どうか、どうか子どもだけは……」

「いいや、ダメだ」


 魔女は首を振った。


「それ以外に償いの道はない。いいかい? これがおまえがしたことの結果だよ」


 男は魔女の心が揺るがないとわかると、渋々ながら子どもを渡すことを承諾した。そして、妻が待つ家へ帰っていった。


 本当に承諾してしまうとは。あれが本当に親か。男の後ろ姿を見送りながら、魔女は眉間に力をこめた。

 妻可愛さに犯罪に手を染め、自らの子どもを売り渡す父親。夫の罪にも気づかず、自分の欲望ばかり口にする母親。こんな両親ふたおやのもとで、子どもがまともに育つはずがない。遅かれ早かれ、家族そろって野垂れ死にか、子どもだけが捨てられるか。いずれにせよ、子どもに将来はない。


 それから間もなく、男の妻が女の赤ん坊を生んだ。知らせを聞くなり、魔女は約束通り赤ん坊を引き取りにいった。母親は抵抗したが、父親が必死におさえつけていた。

 母親は生んだばかりの赤ん坊に手を伸ばし、「なぜ魔女が自分の子を拐うのだ」「魔女ではない、おまえは悪魔だ」と喚いていた。まるで子どもが駄々をこねているようだった。あの様子では、夫は自分の犯した過ちを、妻に打ち明けていないのだろう。


 魔女は同情しなかった。元より魔女には、人間のような慈悲の心は存在しない。今胸にあるのは、この愚かな人間夫婦に対する侮蔑だけだ。魔女は一言も声をかけることなく、赤ん坊とともに立ち去った。


 魔女は腕にいだく赤ん坊に、囁くようにいった。


「いいかい、おまえの名はラプンツェルだ。おまえの生みの親がいずれ自分たちの罪を忘れても、おまえは忘れちゃいけない。ラプンツェル、あんな愚かな人間になるんじゃないよ。わたしが見張っているからね。わかったかい、ラプンツェル……」


 そして今日も、高い高い塔の上に向かい、魔女は声を張り上げる。


「ラプンツェルや、ラプンツェル。おまえの髪を垂らしておくれ」



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