第17話 退屈

 カルアさんが静かに寝ているのを眺めてどれだけの時間がたったのでしょうか。とても退屈で仕方ありません。

 眠ることも考えました。ですが、あまり気乗りしないためその選択肢はもう視界にありません。いい夢を見たあとは必ず悪い夢を見るからです。わたしが最も憎悪する存在が間近で顔を覗いてくるでしょう。


 それにしても退屈です。本当に退屈。カクタスさんの部下の三人組をやり過ごすために、一週間も土の中に潜っていたときは何も感じませんでした。なのに今では数時間ですらとてつもなく苦痛です。

 これでも待つのは得意なつもりでした。しかし、自分の自分に対する評価とは案外当てにならないようです。もう今すぐにでも、虎の如く力強く外に飛び出してしまいたいほどです。


 そうです! あの老婆も今頃は夢の中を腰が痛い腰が痛いと、杖をつき体を労りながらウロウロと歩いているはずです。なら外に出ても問題ないはずです。見つからなければいいのです。

 しかし、悪さをしようとすると、善良で道徳的な神が我々を監視しているのか、自分にとって不都合な結果が舞い込んできます。やはりここは今後のためにもじっと我慢しましょう。


 ……なぜ無理に退屈を耐えて、激しい癇癪を起こしているのでしょうか。別に変に耐える必要などありません。砂漠まがいの場所を淡々と歩き続けたときと同じように、セカティアとの思い出で退屈を紛らわせればいいのです。そうですとも、そうですとも、とても優れた選択です。

 ……しかし、引っ張り出そうという気概が起きません。エピソードを思い出せないわけではありません。前向きに取り込もうという気持ちが起きず、モヤモヤとして晴れない霧に心が覆われてしまったのです。

 本当に好きで、好きでたまりません。なのに不透明な要因により、心が前を向かずに、強引に奮い立たせても満たされず、むしろ不自然な昂りが消えた瞬間の喪失感、虚無感が心を締め付けるばかりです。

 こういうときは何も考えずに、天井を眺めるのが良いと聞きました。耐え難いことから逃げるのは恥ではありません。至極当然です。


 ……窓から光が差し込むようになってきました。ようやく朝が訪れたのです。死んでしまいそうなほどに退屈な夜を超えました。あと一刻ほどで彼女は目を覚ますでしょう。この溜まった鬱憤を晴らすためにも彼女には長々と話に付き合って貰いましょう。

 何やら遠方から激しい音が聞こえてきました。体に響く音から太鼓を打ち鳴らしているのでしょう。


 やがて屈強な船乗りが発するような体の芯が痺れる声が響きます。それはペルセパン屋のカセラという人物が、ウグルに襲われてたことを告げているのだとわかりました。ウグルのことだと分かっていましたが、あまり信じたくないお話でした。

 なぜなら夜間の退屈を昼間も味わうのです。もし一週間以上もウグルが拘束されなければ、わたしはその間この部屋に拘束されてしまいます。その全てが退屈ではないにしろ、苦痛に満ちた生活を送るに違いはありません。


「最悪の目覚めね。まだガンガンと耳に音が響いてる。もう少し静かにできないのかしら」


「おはようございます。これでわたしは確実に数日は外に出れません。仕方がないことですね。しかし、本当にその間は何をしましょう」


「そうね。私は少し外で何があるか見て回るわ。勘違いしないで。別にあなたを置いて楽しもうというわけじゃない。この状態が解けたら二人で楽しむために見学するだけ。それに早く帰ってくるつもりよ。大丈夫、人通りには気をつけるわ。それに土産話に期待しなさい」


「ええ、わかりました。わたしは大人しくここでお留守番してますね。念を入れていいますが、暗くなるまえに帰ってきてください」


 わたしでもウグルから彼女を逃すぐらいできるでしょう。しかし、彼女がひとりで襲われたら一溜まりもありません。それこそ話に聞くように、ブチブチと筋肉を噛み切られて、無残に殺されてしまうでしょう。

 本心では、彼女にはこの部屋を離れないで欲しいです。しかし、今後も同じことがないとは限りませんので慣れる機会にしましょう。それに人通りが多いところで襲うことなどありえません。おそらくは裏路地やらの大衆の死角でパクパクしているはずです。


 それから程なくして、ドアがノックされました。おそらく朝食でしょう。驚いたのですが、以前宿の一階にいた白髪の女性はここの職員でした。エプロンを着て、料理を運んできてくれました。

 体が震えているようで、料理の皿とそれを載せたお盆が振動によりふれあい、カタカタと音を刻んでいます。パンなどの固形物は多少揺れても問題はありません。ですが、並々に入ったスープは揺れで器の外へと溢れています。


「ありがとうございます。受け取りますね。ところで何かふくものはありますか? 少々器が汚れてしまっていますので拭き取りたいのです」


 彼女はエプロンのポケットから布巾を取り出し、それをお盆の上に置きます。何度もペコリペコリと頭を下げて、そそくさと部屋から出て行ってしまいました。強く言ったつもりはありません。しかし、怯えられてしまったのかもしれません。


 食事の味ですが、とても好ましいものでした。今と昔では味付けの濃さや使われている調味料がわずかに異なっています。

 かつてと同じ名前の料理といえども差異を感じずにいられませんでした。それはむかしよりも人々にとって美味しいと感じる味付けに変わったと言い換えられます。ただわたしが食べたいと思う味とは合致しなかったのです。

 しかし、この料理はどうでしょうか。かつてセカティアとセイレー漁村で食べた質素ながらも味わい深い懐かしい味です。千年もの時を超えて再び味わえるとは思いませんでした。

 詳しい味付けを謹慎が解けたら、ぜひともこれを作ったであろう老婆か、シェフにレシピを伺いたいものです。


 カルアさんは食後にポーチを持って町へと出かけて行きました。話し相手が居なくなったため、退屈が彼女とすれ違いざまに入ってきました。渋々話し下手な退屈の相手をします。先ほどと同じ給仕の方が食器を取りに来ました。

 ただ体は震えておらず、またオドオドともしていません。複数人と接するのを苦手としているのでしょうか。


「お客さんの相方はどちらに?」


「彼女でしたら町へ観光に行きましたよ。彼女は好奇心旺盛な方ですので、ここでじっとしているのは呼吸をするなと言われているのと同義なのです。夕方の少しまえには帰ってくるはずです」


「わかりました。夕食は変わらずにいると。それで先ほどは妹が失礼しました。妹は少し人見知りなもので、お客さんを前にすると体が震えてしまったりするのです。彼女の性分ゆえにどうかご了承ください」


 驚くべきことに今朝の給仕のお姉さんでした。横に並べても姉か妹か、ハッキリと区別できないその写身のような容姿から双子でしょう。しかし、性格から割ることは容易にできます。そう大した問題ではありません。ハッキリとした方が姉、オドオドとした方が妹です。


「別に腹を立てたりなどしていませんよ。それよりも今朝にパン屋のカセラという人物が亡くなったと聞きます。その人の親戚にカルモという衛兵はいませんか?」


「はい、います。話に聞く限りですが妊娠していたそうですから、本当に痛ましい限りだと思います」


 やはり神さまはとても悪趣味なのでしょう。人が楽しさや心地よさ、また喜び。清い感情の絶頂にいるとき、また汚れた感情からそれの麓に到達した瞬間に、全てを嘲笑うかのように不幸の底の底に引きずり込むのですから。そしてわたしたちは狂楽の対象とならないことを、その神に祈ることしか出来ないのです。運悪く選ばれたもの、もしくは自らを主張してしまったものは、神の雷に裁かれるか、神さまが罰として永遠の旅人としてしまうのです。

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