第16話 宝石

 旅行の楽しみは多種多様にあります。例えば、その地の広大な自然を体で感じること。この町ならばもう何度も味わっていますが、地平線の彼方までずーと広がる青い宝石のような海は圧巻の一言です。

 また海が長い年月をかけて掘り出した、自身をより美しく見せるための洞窟にも目を向けなければなりません。この町では海神の家と呼ばれる洞窟があり、案内人を少々高い金額ながらも雇い、そこに彼女とともに向かいました。すると海が発光していたのです。

 ありえないと思いになるかもしれません。本来は透明なはずの海が、濃い青の絵の具のような色になりつつも決して上品さ、気品を失わぬ姿で我々を迎えました。洞窟の天井ではユラユラと光が駆け回り、言葉を失ってしまいました。


 また獲られる魚の美しさを忘れてはなりません。魚に美しさを求めることをおかしいと思うかもしれません。しかし、一度魚の鱗に光を当ててみてください。普段は捌く時に煩わしいと感じるだけかもしれませんが、ただ種によって輝き方から色合い、全てが異なります。それをあれやこれやと試すと時間を忘れてしまうでしょう。もし余裕があったら確認してください。自然の美の一端に触れることができると断言しましょう。


 旅行の楽しさは自然の美だけありません。やはりその地にある文化を楽しまずして、何が旅行でしょうか。

 例えば、この地ならば漁でしょう。あの豊漁の祭りです。むかしよりも儀式的な色合いが薄れ、お祭りとしての側面を強めた経緯。それらを知る喜びはなかなか心地のよいものです。また豊漁の証が、海神から海鳥に変わった経緯も気になります。


 そういえば彼女はカナヅチではありませんでした。彼女はセカティアの子孫です。海に入った途端に、足に鉛玉をつけられて海の底へと沈んでいくものとばかり思っていました。ですが、波に苦戦するもののキチンと泳げていました。もう数日の練習の後には、魚を捕まえられるようになるでしょう。


「あの屋台で売られてる串に刺さった赤くてブツブツがいっぱいある奴って何?」


「あれはタコの足ですね。海に住む生き物ですよ。足が八本もあって目はヤギのように横長で、全身があの串に刺さってるやつのように真っ赤。近づくと墨と呼ばれる黒い液体で海中を黒くしますよ。味はコリコリと弾力があって結構美味しいです」


「あれ美味しいの? というか嘘ついてない? 足が八本もあるって普通なわけないし、なんで魚なのにヤギのような目なのよ。普通はまんまるよね」


「嘘をつくなどありません。全部本当のことですよ。なんでしたら漁師さんにでも聞いたみてください。ともあれせっかくですので食べましょう。ここ以外ではなかなか食べられませんよ。昔から一部地域を除くとタコは悪魔と呼びれて嫌われていますからね」


 ……イメージしづらいものに恐々としながらも、彼女は気になって仕方がないようです。早速二つ購入してきました。

 彼女は恐る恐る口に運び、おいしいと分かった途端にパクパクと食べていきます。やはり小動物的な愛らしさを感じずにはいられません。

 むかしの知り合いの……誰か、そう、はて誰でしょうか。今の彼女のように、普段食べないものを恐る恐るで食べて美味しいと言っていた人がいました。詳細が目に水が入っているかのようにぼやけています。まぁ気にしなくてもいいでしょう。タコは美味しいです。


 約束の日記をつけるための本を見に行きました。技術が進歩したらしく、むかしよりも安くなっていました。それでも我々には手出しできない金額でしたので、まだまだ当面先になりそうです。


 観光を楽しみ終え宿に戻ってきました。店内がピリピリとしています。それに昨日は大勢いたわたしと似た容姿の人々が誰一人としていません。夕方ですし、皆部屋に戻ったのでしょうか。


「こんな時間まで何やってんだい。早く部屋にお戻り。アイツらが居ないから察してるかもしれないけど、ウグルがいるなんて噂が立ってんだよ。死告人が騒いでないから噂程度だが、火のないところに煙はたたないんだよ」


 大人しく部屋へと移動しました。時折根も葉もないような噂が流れます。ただ多かれ少なかれ噂には元が存在します。なかなか警戒をしていたようですが、恐らく明日の朝は少々騒がしくなるかもしれません。

 死告人とは、その名の通り人の死を告げる仕事だそうです。ウグルの出現や流行病の流行など人が多く死ぬことが増えたため、各地で自然にできた職業です。誰が死んだのかを明らかにすることで、町の循環を滞りなくさせる力を持ちます。


「最悪ね。これじゃあ当分の間はあなたと町を回れない。私たちが今日のうち巡ったのなんて、言ったら山の麓程度でしかないでしょ。もっと高く登りたいわ。ひとりで真昼間に巡るのもいいけど、あなたの解説が無いとそれがなんなのか全くさっぱりだわ」


「わたしも色々と話したいのですが、最悪店主にでも聞いたらどうですか? わたしも結局は長い長い旅で得たことを話しているだけです。決して答えを的確に教えられません。なんでしたら、最新のことには疎いです」


「ちょっと違う。私はむかしを深く知りたい。そして私はあんたに今を見てもらいたい。ほらあんたって引き篭もってたわけで今時に疎いわけよ。ならさ、むかしはご先祖さま以外に、熱中になれるものを見つけられなかったかもしれない。けど今はどうかしら。あんたに彩を与えてくれるものが、生まれてるかもしれないのよ?」


 今を見てほしいですか。セイレー漁村が滅び、この町が生まれました。それは紛れもない変化。もうわたしが過ごしている時代はとうのむかしに滅び去ったのです。ゆえに約千年もの年月をたった今の世界を感じてほしいと。


「ええ、ありがとうございます。そうですね。……今回の旅はあなたのためだけではなく、わたしのためでもあるのですね」


 この旅は我々が我々を見つけるための歩み。決して彼女だけのものではなく、わたしのためのもの。今のわたしにとってなによりも輝きを放つ、あなたとは違う宝石を見つけるための旅行。

 ですが、あなた以上の輝きをもつ宝石など想像すらできません。海を筆頭とした広大でそこすら知れぬ自然、その中を悠々と己の道を行く生命、また多くの人々の意思の積み重ねによって生まれたあらゆる文化。そうした何事にも変え難く、もっとも美しいとされる宝石すらあなたと比べたら、それこそただのありきたりな粒でしかありません。

 もしもあなたと同じ輝きを掘り起こしたのなら、はたしてどのような選択を取るのでしょうか。おそらく何も決められずにグズグズと行ったり来たりを繰り返すはずです。はたして見つけることはできるのでしょうか。そしてあなたを砕く苦しみに耐えられるのでしょうか。

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