第15話 宿へ

 太陽が姿を一片として表していない頃に、幸せな世界から追い出されました。不死になってからも不要ですが眠れるは眠れます。それに夢も見れますが長時間の睡眠ができなくなりました。

 それが不幸であるというわけではありません。ただ心地のよい睡眠の途中で、無理やり起こされたかのような中途半端感がどうしてもついて回ります。そのわずかな不快感はあまり嬉しいものではありません。

 もう不思議な虚像以外の方法でしか、彼女とのひとときは味わえません。偽物だと分かっていましたが、ともに寝た、ともに過ごした時間の充実感は何があろうと不快感に侵されることはありません。

 さて兵士さんが来るまで、カルアさんの隣でゆっくりと微睡んでいるとしましょう。夢と現実の境界線で、意識がふわふわとした水に揺蕩う気分も久しぶりです。それから程なくしてカルアさんが目を覚ましました。


「……おはようございます。いい夢を見られましたか? わたしはとてもいい夢を見られたので気分がいいですよ。ただ町をめぐることが楽しみすぎて、少し早く起きてしました。その間は退屈でしたよ」


「おはよう。私はとても微妙よ。とにかくひとつ言いたいことがあるの。離れてくれない。というかベッド二つあるのに、どうしていつもわざわざ私のベッドに入り込んでくるわけ?」


「単純に落ち着くからですね。別にあなたを彼女の代替と見ているわけではないのですが、心が安らぎを覚えるのです」


「あんたって本当にご先祖様大好きね。とっとと町に出るための準備をするわよ」


 彼女はわたしよりも先にベッドから降りました。窓の隙間から入ってくる神々しく不変の太陽の光を浴びながら、うーんと体を縦に思いっきり伸ばしています。あのように寝起きの体を伸ばすと、不思議と寝ぼけた気持ちもパッチリと消えるものです。すると気だるかったのに一日の気力もすっかりと湧いてきて、やる気に満ち溢れます。久しぶりにわたしもやってみましょうか。こう、うーんと体を伸ばすのです。


 それからすぐ簡素な朝食をカルモさんが運んできました。今日のカルモさんはとても上機嫌で、我々との別れが悲しくないのかと泣くふりをしながら理由を聞いてみます。どうやら彼の従兄弟のパン屋の家庭に新しい命が天より降ろされたようです。実にめでたいお話。

 てっきり雑談の軽いネタ程度のことで喜んでいると、勝手に思っていました。なので、とても驚いてしまいました。別に彼を見下しているわけではありません。彼は些細なことでも大事のように喜ぶのです。

 例えば昨日のことです。彼が我々に昼食を届けた後、彼もまた食堂へと向かいました。そこでパンのわずかな切れ端を料理人からもらったことを、それはもう今日の祝福すべきことと同じように嬉しそうに話すのです。

 彼は仕事に対してはとても真摯であり、家族や友人、町に住む人々を守る気合を持っていると断言できます。それに多くのものに、深い感謝の念を忘れない気持ちも持っています。きっと彼は出世するでしょう。


 ……それから軽い質問などを受けて我々は無事に解放されました。牢の閉鎖感と薄暗さに、思いのほか嫌気を感じていたのか妙に世界が広く感じます。はてまで続く青い空は美しいです。


 宿に向かって移動していますが、意外にもカルアさんが寄り道をしたいと言いません。あれほど解放を喜んでいましたので、てっきり屋台を冷やかして回ると思っていました。きっとセカティアならわたしの予想通りに動いて、厳つい店主から買う気がないのならどこかに行けと怒鳴られていたでしょう。

 セカティアに似た彼女の性格からして、間違いなく屋台に惹かれているはずです。港町特有の貝殻に色を塗って、宝石とさえ思えるほどにキラキラと光る砂浜の砂をちらした一種のお土産品。此方の大陸には存在しない、赤やら黄色やらのいくつもの花弁が折り重なり、祈る手のような形の花。それらは彼女の興味を絶対に刺激しています。


 必然的に彼女は興味を我慢しています。単純にわたしの考え過ぎなだけかもしれません。ただ以前も言った通り、今回は安全安心の旅を心がけるつもりです。もしも気分が落ち込んでいるのなら、それを取り除かなければなりません。病は気からです。

 ……しかし、最近を振り返っても変わったことはありませんでした。いつも通りの朝を迎え、変哲のない話を交えながら朝食を食べてここにいます。それ以前に原因を探っても、今に至る理由は見当たりません。少々乱暴な手ですが好奇心をくすぐってみましょう。


「カルアさん、あの鳥さんを知っていますか。あれは海鳥の一種で、その名の通り海に面した陸地付近に生息していて、海の魚を狩る鳥です。その狩猟方法はとてもユニークで、実は海に飛び込んで我々が銛でつくように鋭く嘴で掴むんですよ。その習性から彼らのいるところは魚群があるため、海神のように豊漁の証にもなっているんですよ。ほら、あそこの屋台。木彫りの海鳥ですよ。しかも丁寧に羽の茶黒も再現されてますよ。ご利益がありそうですね。もし……」


「あんた」


 さらに言葉を発そうとしましたら、とても強い怒気のこもった声に遮られました。彼女の髪が空中に揺らめいているような、悪魔の姿を連想させるほどの威圧感。

 一体どれが彼女の堪忍袋の線だったのかわかりません。ですが、ひとついえるのは確実に知らず知らずのうちに、虎の尾を踏んだのだけはわかります。


「人が気になるとか、もっと見ていたいとかを宿のために我慢してるのに、ペラペラ意識が向きそうなことを話して。もしかしてだけど、カルモに紹介してもらった宿に確実に泊まれるなんても思ってないわよね」


 つまり、宿を得るまでむやみやらたに時間を使ってはいられないということです。たしかに確実にそこに泊まれるわけではありません。

 旅の安定のための宿を確保するまで寄り道しないというのは、至極当然の理由でした。そうとは知らずに、飢えた獣のまえに餌を吊るしてしまったわたしはなんと謝ればいいのでしょうか。


「すみませんカルアさん。あなたの気質から、色々なものに興味を示すと思っていました。しかし、そのような素振りを見せなかったので、心配になってしまったのです。何か気に病むことがあったのではないのか、何か痛いところがあるのではないのかと、ただわたしにはその理由が皆目検討も尽きませんでしたので、無神経なことを申し訳ありません」


「なら、直接聞きなさいよ。別に心配されたからと言って、カンカン怒るわけでもない。むしろ今回みたいに遠回しに聞かれるとイライラとするから単刀直入に来なさい」


「ええ、わかりました。と、どうやらカルモさんが言っていた宿はここのようですね。レンガの壁が一部かけてます。何やら木材で補修した後も見えますし、決して立派なものを想像していたわけではありませんが、ここで大丈夫ですか?」


「雨風を凌げれば十分よ。あんたの無駄に整った見た目からしてちょっかいをかけてくる奴なんていないわよ」


 町の端っこにある少々年季の入った宿屋の扉を潜ります。中は綺麗とは言えません。しかし、決して不衛生なわけではなく、昼過ぎ辺りですが意外と店内は賑わっていました。

 ただその客の姿はわたしに似た容姿のウカル。それに目の下にくっきりとしたクマが浮かんでいて、髪の毛がボサボサで小刻みに体を震わせている注意が必要そうな女性。真っ昼間から度数の強いお酒に潰れる男性、貧民街を思い出すようなものたちばかりです。

 カルモさんのような良い人が、このような場所を紹介するとは、やはり牢の中でも思った通りわたしのような容姿のものは泊まれる場所が少ないのでしょう。


 店主のニュースさんは、童話に出てくる魔女のような鋭いとんがり鼻、白髪で骨と皮だけの怪しげな老婆でした。それで無事に一部屋借りることができました。料金に関してはかなり安く感じられる額で、カクタスさんからいただいたお金を無駄遣いせずに使っていけば、この町で一ヶ月は稼ぎがなくと生活できそうです。

 ただ彼にお金を返さなければなりません。多少なり旅の途中で稼ぐことを意識しなければいけないでしょう。


「あんた。名前はなんと言う?」


「メルルと言います」


「メルル、そうかいどこかで聞いたような気がする名前だねぇ。まぁありきたりな名前だからかね。それで他にも名前はないのかい? あんたのような容姿で神官の道に進まなかった連中は大体複数の名前を使ってるもんだよ。ここ数年で使ったやつでも良いよ」


「ありません。わたしはここ数年間をこの名前ひとつでやっています」


「嘘は承知しないよ。そうかい。ならとっとと上にお行き。何があっても暴れたり喧嘩をしたりするんじゃないよ。見ての通りここはオンボロなんだから、簡単に底が抜けちまう。修繕費を負担するってんなら話は別。それと明日の朝は自分たちで用意し。その分の金額は貰ってないから安心しな」


 ウグルが出たときは朝食以外の食事も宿が準備し、宿代も半額になるそうです。また料理は領主からお金が出るそうで、無駄に豪華なやつを期待するといいそうです。ただ代わりに部屋から出ることはできなくなります。しかし、カルアさんは自由に出入りしていいそうです。

 糞尿に関しては桶にしろと言れました。わたしは何を食べても出せません。牢と同じようにカルアさんに協力してもらいましょう。


 指定された部屋に入ります。外装や客の様子から部屋の心配をしていましたが、かなり綺麗です。それに三人いても、十分に使えそうなほどに広々としています。ベッドの数がひとつしかない点は傷です。その分とても大きく作られています。眠る障害になりません。

 とてもグレーゾーンなこともできるように作られているのでしょうか。そういう需要を満たす場所も必要でしょう。しかしそうなりますと、カルモさんが黙っているとも思えません。なのでただの深読みに過ぎないでしょう。


「色々と思うことはあるけど、旅は多少融通が効かないことのあった方が楽しいはず。メルル、早速町の観光を始めるわよ」


 今までは広大な自然の一端を楽しむのが中心でした。しかし、これからはその自然から生まれた、とても不思議な生きものを楽しむとしましょう。

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