海の町 セイーレ

第10話 海の町へ

 轍の引かれた道に、一際小さく明日には消えてしまうような跡をかかとでズルズルと刻んでいました。墓場を出発してから引きずられています。もう自分の足が必要なくなってしまいました。


「ねぇ、あんた。そろそろ歩いてくれない? 結構体力に自信あるんだけど、流石にキツい」


「先ほどから言ってるではありませんか。わたしは足が重たいから歩けないと。今日まで返事を渡せなかったのは、足が重たくて墓場で休んでいたからですよ。ほら見てくださいよ。わたしの足で刻まれた轍を。誤解しないでくださいね。別に嫌味で歩かないわけではありませんよ」


「あなたって結構いい性格している。日記にも書いてあったわ。ご先祖さま曰く、長生きしてるくせに嫌味っぽくて、ねちっこくて、女々しいそうよ。私の近所のおばあちゃんの方が断然大人びていたわ」


「面白い冗談ですね。セカティアはそのようなことを言いませんよ。ええ、彼女はとても純粋でしたからね。ただ、まぁ足がふと軽くなりました。自立しますよ。首元を離してください」


 彼女はとてもまっすぐな性格でした。嫌なことや直してほしいところは、着飾らずに言ってくれました。なので彼女にそう思われていたなどありえません。

 そう理解はしています。ただ日記にそう書いてあったと言われると、どうしても弱ってしまいます。何故だかは分かりません。ただ心の底からむず痒いものが湧いてきて、とにかく少しでもいい形を保ちたくなるのです。


「旅に出るにしても家はどうしたのですか? あのまま放置しては良からぬものが住み着くかもしれませんよ」


「それなら問題ないわ。あの家は売ってきたもの。薄情と思うかもしれないけど、もう帰るつもりもない。どうせそのままにしても取り壊されるのがオチよ」


 ……あれはセカティアと過ごした家ではありません。しかし、大切にしていたものを手放した物寂しいさが湧いてきます。ポッカリと深い穴が開くわけでもなく、またすぐに足がつくような浅さでもありません。うまく言えない気持ちになってしまいました。どうやら完全に戻ることはできないようです。


「不服ですが、この旅の案内人を勤めさせていただきます。彼女の子孫にそこらへんでのたれ死んでは寝覚めが悪いですからね」


「頼りにしてるよ。メルル」


 頼りにされた以上は期待に応えるとしましょう。海に行くのなら、まずはセイレー漁村に向かうとします。セイレー漁村は名前の通り漁獲で生計を立てている村です。

 その歴史はかなり古く、千二百年ほどむかしに興されたそうです。また村にはかなり独特の伝統が存在しています。その海域に住むナマズを自分の手を餌にして捕まえる特殊な漁です。

 なんでも、撒き餌を忘れてしまった少し抜けた漁師さんが、強引ながらも漁をするために閃いたそうです。それから仲間達が彼をからかって船の上から餌を忘れてしまったと叫び、素手で漁をしました。すると、その年は近年稀に見るほどの豊漁に恵まれたのです。そして海神が面白がって恵みを与えてくださるという逸話が生まれだそうです。やがて成人の儀と豊漁を祈る儀式となりました。

 それを初めて見たとき、新成人が海に潜ったかと思えば、尾を激しく振るナマズに手を噛まれた状態で浮上してきました。もうとても驚きました。狩ると思ったら狩られていたのですから。


「そんな村があるの。商人から地名についてあれやこれやと話を聞いていたけど、一度も聞いたことがない。でもその伝統的な漁については聞いたことがある。セイーレっていう町で、開かれる漁のお祭りは素手で魚を捕まえるの。もしかしてだけど、その村が発展して町になったのかも」


「そうかもしれませんね。せっかくです。向こうに着いたら一回やってみますか? むかしやり方を学びましたので、教えられますよ。わたしの指導の賜物で、あなたのご先祖様は見事にナマズを捕まえることができましたので、実績もあります」


 わたしの力添えのおかげか、セカティアは妙にこの漁を得意としていました。わたしが一匹を捕まえるのに必死となっている間に、彼女は海をスイスイと泳ぎ、熟練の漁師のようにどんどん捕まえていました。

 凄まじいことに村の漁師ですら彼女の足元に及びませんでした。そして村の漁師からスカウトを受けました。なかなか奇妙なことがあるものです。

 もしもセカティアがそのスカウトを受けていたら伝説のナマズ取りとして、語られていたかもしれません。全て嘘ですが。

 本当の彼女はカナヅチでまともに泳ぐことすらままなりません。日々練習に励み、やっとで犬かきで泳げるようになったほどです。そして小柄なナマズ一匹を捕まえた程度でお祝いしました。


 あのときは喜びのあまりに年甲斐もなくはしゃいだものです。人には得意不得意があります。ですが、それを頑張って越えようとしていたものが、たとえ低かろうと壁を乗り越えた瞬間は、わたしでもなかなか心に来るものがあります。特に自分が教えていた場合は尚のこと。

 我々を沖に運んでくれていたお歳の漁師さんも、孫が技を継いでくれたようで嬉しいと、喜びを分かち合ったものです。


 カルアさんはご先祖さまの意外な特技に驚きを隠せない様子でした。それが嘘と明かしたら、顔を赤くして嘘を吹き込まないでほしいと、苛烈に抗議の声を飛ばしてきました。少し拗ねてしまう点も彼女と似ています。おそらく、この後すぐに彼女はナマズの取り方を教えてくれと頼んでくるはずです。

 セカティアもそうでした。子供のように拗ねたり、注意するとムキになるタイプでした。怪我をするからやめたほうが良いと言うと、むしろよりそれにのめり込んでいきます。

 彼女は自身が不死でないというのに無茶な行動を何度もし、まえに話した病気の件は不可抗力とはいえ旅の途中で数えるのも面倒になる程に、命の危機に瀕していました。無茶無謀を平然とするなど誰に似たのか皆目検討がつきません。なので今回の旅は安全第一です。


「まぁとにかく、ついたらやってみる。ご先祖さまができたのなら私もできるはず。いえ、むしろ川で水に多少なり慣れてる私の方が早く習得できるはずね」


「ふふ、なら期待してますよ。セカティアは残念ではありました。普段は結構器用でしたので、水に慣れていなかったためでしょう。きっと水に慣れているのなら大丈夫です。そういえば、今夜のご飯は準備してありますか? ないのならこれから調達しなければ貧しい気持ちの夜を迎えますよ」


 セカティアとの旅の途中に、険しい崖道でいろいろとあり荷物を紛失したことがあります。その晩の彼女のお腹はグーグーと食べ物を欲して鳴いていました。気分を紛らわそうと話しても、鳴き声の主張が強く、飢えと関係のないわたしのお腹がへこんでいるような気がしてしまいました。本当に貧しい気持ちになりました。肉体的な飢えはどうにかできても、精神的な飢えは不死の力でもどうこうできません。

 ただ次の日、狩りがうまくいきお腹いっぱいの彼女を見ると、わたしのお腹も膨らみました。


「なら大丈夫。堅焼きのパンや水、果物をちゃんと持ってきたからね。一応あんたの分も用意したけどいる?」


「わたしはいりませんよ。食べなくても生きられます。もし食べて食料に困っては旅に支障をきたしますので、余裕があるときにいただくとします。それと睡眠中はわたしが見張っていたり、焚き木を維持しますので安心してくださいね。適宜休みを取ることが旅で最も重要です」


「その割には初めの方は疲れさせてきましたよね。別に気にしているわけじゃありませんよ。というかあんたはそれで生きていて楽しいの? ほらご飯や睡眠って人生のスパイスみたいなものじゃん?」


「食事は好きですよ。ただ必要ないだけで。でも睡眠は嫌いです。夢を見るからです。それで楽しいかどうかですが、正直に言って生きるのは辛いですよ。楽しいと思うことがあっても、ほとんどは辛いのです。ただわたしは永遠です。限りなく続くのです。そうです! 日記を見せてください。もともとそれはわたしのためにセカティアが作ってくれたものなのですから」


「ダメ。日記には全てのページが埋まるまで決してあなたにこれを見せちゃダメと書いてある。どうせ、私の方が先に死ぬんだし、まぁ気長に楽しみとして取っておいたら」


「……わかりました。結局これからは共に歩むわけです。今からおおよそ五十年などわたしからすれば有ってないようなものです」


 さて、こうして順風満帆に終えられないであろう旅が始まりました。はたしてこれから先に何が待ち受けているのか、そして数十年後の日記が楽しみです。

 と、早速森の茂みからこちらをコソコソと見てくる四人組を見つけました。

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