第7話 子孫

 大勢の人の行き交う大きな町の中。わたしは茫然と意思のない亡者のように立ち尽くすしかありませんでした。彼女の家が時が止まったように綺麗な状態で残っていたからです。

 扉を開けたらセカティアがいるのではないのでしょうか。間近で見ると、家が何度も修復されていることに気が付きました。


 わたしと彼女は家の側面の壁の隅に、やんちゃな子供がするような落書きをしました。彼女とその兄弟に両親。わたしの六人の似顔絵です。それが無くなっていました。千年近くもたてば劣化すると思われるかもしれません。しかし、しっかりとした塗料で石に描かれた絵は長持ちします。


 例えば、五千年ほどむかしにわたしが描いた壁画は、二千年ほどしっかりと残っていました。きっと何度も家を作り直したのでしょう。

 そのようなことはそう珍しくありません。家がボロボロになったから作り直す、なんの変哲もないことなのです。しかし、あぁ不思議です。なぜこうも悲しくなってくるのでしょうか。実に不愉快です。


「何してるの? 人の家の前でじっとして。今度は私の顔を見て何かついてる?」


 世界とはどうしてこうも不思議なのでしょう。わたしの止まった時がわずかにでも動き出しかけるほどの衝撃です。記憶の彼女と瓜二つの少女が目の前にいるためです。セカティアに子供はいません。彼女の兄かその妹の子孫でしょう。


 本当に繋がりとは言葉にできません。少女は耳たぶを触って椅子。手で耳たぶを軽く触る行為は彼女もしていました。大体困惑したときや言い合いで負けたときにやっていました。

 少女は彼女が蘇った存在なのかもしれません。ある国に行ったときのことです。その国では権力者が死んだ場合、その亡骸に特殊な加工をして棺に丁重にしまっていました。なんでもそうすると死者が蘇るというのです。

 実際に蘇った事例はありません。ただの死者への祈りでしょう。それに彼女の死体は加工などせずに普通に焼いて埋めました。


「すみません。知り合いにとても似ていましたので、少し感動してしました。そのよければ名前を教えてください。すぐにここから立ち退きます」


「カルアですけど」


 彼女の家系には代々ティアを付ける風習がありました。すでに途絶えてしまったのでしょう。少し寂しいです。ともあれ、ここを退くとしましょう。


「ええ、ありがとうございます。わたしはメルルと言います。また何かありましたらお願いします。それでは失礼」


 困惑しているカルアさんに背を向けました。セカティアの墓地を探します。かつて棺を埋めるとき、埋葬式に参加できませんでした。なので、見つけるのに苦労した記憶があります。やがて墓地の奥の奥、森に飲まれた場所で彼女を見つけました。


 おそらく埋める場所がなくなったのでしょう。ゆえに、その手前に墓を増築して行ったのです。そして時代の移り変わりとともに人が来なくなり、手入れが行き届かなくなったのでしょう。その代わりに墓を纏められずに済んでいます。苔が生えてしまっています。


「帰ってきましたよ。とても懐かしい限りです。あなたが安らぎを得てから、もう千年近くも経ちます。とても綺麗だったあなたの墓標は苔まみれです。あなたの名誉のために剥がしてあげましょう。……あなたは消えることができましたか? わたしは自身からそのような気配を感じられません。今も体に無限が、言葉の通りに絶えることなく渦巻いています」


 我ながら女々しいとは思います。しかし、いつか彼女ですらも忘却の彼方へと忘れるのです。忘れてしまうまえに思い出に浸かりたくて仕方ありません。

 事実、この金のネックレスの送り主をもう覚えていません。セカティアと等しいほどに大切だったはずです。なのに声も顔も、そして思い出もなく、ヘアメセスと書かれた名前と思わしきものしかわかりません。


 恐ろしいかと聞かれたら、恐ろしくはありません。恐怖よりも悲しいのです。自分の中に穴が開いてしまうような感覚。言葉では言い表せない喪失感。

 その喪失感もやがて塞がります。穴が開けば、その穴に土や水が流れます。穴はいつしか時間とともに消えるのです。

 ゆえに恐ろしいのではなく悲しいのです。いつか、わたしの中の二人の影は無数の影たちと溶け合うでしょう。


 一晩ほど墓場で何をするでもなく、思い出に浸かっていました。そろそろ動くとしましょう。また数百年ほど経っていたなどあり得てしまいます。

 あいにくと職を探そうにも伝手がありません。仕方ありません。不審者扱いを覚悟してカルアさんに聞いてみましょう。誠意を持って頼んだら、何か紹介してくれるかもしれません。


 彼女の家の扉をトントンとノックします。家の中から人の気配はしません。おそらく仕事に励んでいるのでしょう。家と家の間に座り込み、乞食や放浪者のように待つとします。


 空が赤く染まりました。人々の多少生活の様式は変わったようですが、今も昔もそう変わりません。多くの人が和気あいあいと楽しそうに家に帰っています。その一方で暗い影を孕んだ人物も少数ながらいます。大多数の楽しそうな人に、少数の辛そうな人、どんな文明、どんな国でも見てきた光景です。


 カルアさんはどちらかに分類するなら、和気あいあいと活力のある人物でしょう。パッと見なのでもしかしたら違うかもしれません。ただセカティアも明るく奔放だったので間違いありません。と、噂をすればなんとやらです。


「少しお話をしたいのですが大丈夫ですか?」


 家と家の隙間からトカゲか虫のようにニュッと出ます。彼女は悲鳴を発し、瞬発的に平手打ちを披露して来ました。突然現れた不審なものに攻撃するのは至極当然でしょう。無頓着であるため、叩かれるリスクを見落としていました。


 彼女の力はとても強く、子熊に殴られたような衝撃が襲ってきました。セカティアも力強かったので、これもまた繋がりでしょう。

 それよりも重要なのが、彼女にとても驚かれた点です。見た目でウグルと勘違いされてはたまったものではありません。弁明の言葉を発しなければ、衛兵なりなんなりを呼ばれてしまいます。それで牢屋に串刺しにされて放置されてしまいます。そうなっては働くどころではありません。


「話を」話そうとした瞬間に腕を掴まれ、とても強い力で引き寄せられました。家の中までズルズルと引きずられます。掴まれた腕はムカデに噛まれたように赤く腫れてしまいました。セカティアよりも力は強いかもしれません。

 まるで冒険家の家の中のようです。見覚えのある壁にかけられた大陸の地図に、どこから持ってきたのやら巨大なマンモスの骨。それに女が使うには厳しいと思われる大きなピッケルに、頑丈そうなリュック。カゴに入ったリコの実という鮮やかなオレンジ色で、シャリシャリとした食感の甘い果物だけが、唯一女性らしさを感じさせます。それ以外の他は絵に描いたような部屋です。


 地図には覚えがあります。セカティアに色々と地名や場所について聞かれたときに、説明するため自ら描いたものです。右下のあたりにサインを付けました。見つけました、テューエと書かれています。そうです! セカティアと出会ったときに名乗った名前はテューエです。間違いありません。名前を思い出した途端に、彼女との記憶がより鮮明になってきました。しかし、なぜこれほど大事な名前を忘れていたのでしょうか。まぁそういうときもありますね。


「その地図に見覚えある?」


「いいえ、ありません。ただ珍しいものなのでつい目に入っただけですよ」


「嘘。目線が掠れたサインに向いてた。普通に見るのなら注目するはずのない点、というか気づけないはずだよ。メルル、あんたの本名ってテューエ? ご先祖様の日記に出てくるのと似てる部分が多いし。うん、きっとそう。昼間に違和感を覚えてたからね」


 下手に誤魔化さないほうが得策かもしれません。ごまかそうとしてウグルとされては面倒で仕方ありません。それに間違いなく否定しても認めさせてくるでしょう。かつての彼女がそうでしたから。


「そうですよ。わたしはテューエ。かつてあなたのご先祖様と世界を旅した不死ですよ」


 仕方がないので正直に話しましょう。

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