第5話 看病

 洞窟ではゴツゴツとした岩肌にかまわず過ごしていました。やはり、しっかりと人が寝ることを想定して作られたベッドは、とても心地が良いものです。先ほどまで座っていた椅子もまた良いものでした。


 教会がとても気になります。聞いた通り、教会は不死のヘカティアと呼ばれる人物が率いている団体です。今ではウグルの件もあり、かつてメジャーであったカレラ教と呼ばれる団体を抑えて、最も信仰されています。

 神官という信者たちをまとめる者たちは、白髪もしくは銀髪で赤眼の者のみがなることを許されます。むかしは本当に希少な容姿でした。今の時代ではたまに生まれるぐらいに増えているそうです。またその見た目のものたちをウカルと呼びます。


 教会は親の承認が得られれば、ウカルを引き取り神官とする教育を施すそうです。頃合いを見て各地に派遣します。なので、あの三人組はわたしを神官と間違えたわけです。当然引き取りを拒絶することもあります。ウグルと同じ容姿ということもあり、あまり良い扱いは受けないでしょう。

 重要なのはここからです。その特定の容姿が生まれやすくなったのは約千年前。ウグルが出現したのも約千年前。出現期に多少の誤差はあるでしょう。しかしこの二つには赤い糸で結ばれているような因果関係を感じずにはいられません。

 決めつけているわけではありません。ですが、出現時期から教会の不死殺しの台頭、他にも様々な点から勢力を拡大させるための自作自演か、別の何かを疑わずにはいられません。

 ただ調べて裏があったとしても、それを正義感に駆られて解決するつもりはありません。


 自己満足するだけです。不正を明らかにするのは、今を必死に生きる者たちが己の手でやるべきです。わたしのように責任を簡単に放棄できるものが、時代の流れに介入するべきではないのです。


 それで町に降りたら、まずはお金を得る手段を得ましょう。本を買うにしても、教会に行くにしても、町の風景に溶け込むにしても、まずはお金が必要です。

 長い生でそれなりには経験を積んできました。大体の職をこなせる自信はあります。雇って貰えるかは話として別ですが。結局、そこだけで回っていたらわたしなど必要ありません。町がどのような変化を遂げているのか、楽しみで仕方ありません。


 むかしは立派な城壁に囲まれ、レンガの家が所狭しと並んでいました。野菜や果物を売る露店は華やかで、裏路地からの少し刺激的な臭いを気にしなければ楽しい町でした。

 ……もしかしたら彼女の一族の末裔に会えるかもしれません。ただあまり期待しない方がいいでしょう。


 小屋で過ごしていますとセカティアが旅の途中で病を患ったことを思い出します。

 地平の彼方まで続く海を見に行った帰りのことです。異国の地には天まで届く高い山があると彼女に話しました。すると、今度はそれを見に行きたいと駄々をこねられました。最終的にわたしが折れて、連れて行ったお話です。


 その山がある異国の地に着くには、そもそも険しい山を越えなくてはなりません。彼女は巨峰に挑むまえの準備運動と言っており、それまで町でのみ生活し、山の登り降りに慣れていない彼女の良い練習になっていました。

 山の天気は崩れやすいものです。晴れていたはずなのに急に雨が勢いよく降り出しました。ふたりして大急ぎで山の麓の少し古い小屋へと向かいます。登るまえに一度立ち寄り、綺麗にしていたのが功を奏しました。誰が建てて放置したのかは知りません。わたしはそのものに最大限の感謝を送りましょう。そのおかげで彼女は助かったのです。


 小屋についた頃には、わたしも彼女も全身がすっかり濡れてしまいました。わたしは自身の特異性から病の心配はありません。彼女は違います。容易に風邪をひいてしまいます。それに慣れない山登りで体力を著しく消耗していました。大急ぎで暖を取りました。

 しかし、彼女はひどい風邪をひきました。触れたら火傷してしまうほどです。冷静さを失わないと自負していたのに、気が動転してしまったのは仕方ないことでしょう。


 ですが、伊達に無駄に長生きはしていません。彼女の苦しそうなうめき声で正気を取り戻し、濡れた布を彼女の脇に挟み込んだりしました。

 そのむかし、毒を使う暗殺者たちから教わったことです。太い血管には血が多く流れるため、そこから入れる毒はよく効きます。その応用で体を冷やす際は、太い血管のある部分を冷やすのが良いと教わりました。


 山から体に良いとされる食材を採取し、彼女に与え、治るように努めました。その成果に苦もなく話せる段階までは治りました。しかし、最後の一押しに到達できませんでした。

 一時期盛り返し油断してしまったのです。病との勝負は常に緊迫としたものです。一瞬の隙が命取りとなり、また日に日に山を降るかのように元気を失う彼女の姿は痛ましい限りでした。


 あまりの心苦しさに、自身の血がベッタリとついた人差し指を彼女の口の中に入れてしまおうと考えたほどです。あまりにもおぞましい行いをしようとする自分に慄きました。平生では絶対に思いつかない考えが支配するほどの状況だと理解してください。

 彼女も段々と自分が助からないという考えに取り憑かれ、気を病んでしまいました。


 病は治る気配を見せません。また病は気からというように精神が弱ってしまった影響からか、初日と等しい状態に戻ってしまったのです。

 むしろ治療を拒むようになり、悪化の一途を辿りました。それによって苦しみが増し、気をさらに病む。負のスパイラルに陥ってしまいました。


 彼女は枯れ枝を思わせる腕で、わたしを叩きながら血を飲ませてと訴えかけてきました。

 彼女はそれが何を意味するのか、理解しているはずでした。なので、とても衝撃的でした。あの健やかな日々で心があそこまで冷えたのは初めてです。そのときのわたしの顔は能面のようだったことでしょう。


 それを好機とも捉えました。気まずそうな彼女を尻目に血を皿に垂らしました。それを雨水で薄めて、万病を癒す薬を作りました。わたしの一連の動作を見ていた彼女は驚きを隠せない様子でした。

 彼女に「もしも、わたしの治療を受け入れるのならこれを飲ませてあげる」と言います。つまり、彼女が治療に協力的になってくれるよう餌をぶら下げたのです。

 わたしは神の力を行使するのも、またそれを利用するもの嫌いです。彼女はわたしを知り尽くしていると言っても過言ではないありません。なので、血を利用してまで治したいと思う気持ちを理解してくれました。


 彼女は以前の協力的な姿勢に戻りました。それでも完全に負のスパイラルから脱したわけではありません。情緒の落ち着きには波がありました。


 その度に血によるカウンセリングを行いました。次第に話すだけで心が落ち着きを取り戻すようになりました。彼女はとても心が強かったと思います。人によっては何があっても立ち直れず、病に負けてしまうのに。


 初日から相当な時間をかけながらも、彼女の体調はついに万全まで戻りました。そのまま山を登ることも考えましたが、大事を取り、最寄りの町まで引き返します。そこでは彼女と似た症状の病が蔓延していました。

 彼女はその町で病を貰ったのでしょう。余談ですが、町は病に包まれ、やがて様々な国に広まりました。歴史書に死の瘴気と称されるほどに多くの屍を積み重ねました。その発信源とされているのは、彼女との思い出から外れますので、また後日の機会に語るとしましょう。


 ともあれ、彼女と雲の上で見た朝日は、目の前の朝日と比べることすら出来ないほどにとても綺麗でした。今でも瞼に克明と刻まれています。

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