第8話『首途』

 コボルト種とウルフ種のレイパーを倒してから、一ヶ月が過ぎた、ある朝。


 目覚ましが鳴るより早く、自室のベッドでレーゼは仰向けで目を覚ます。


 レーゼは普段はとても寝起きが良いのだが、今日は何だかベッドから出る気分になれなかった。


 何だかとても温かいのだ。あまりの心地良さに、いつもなら絶対にしない二度寝すらしてしまいそうになる。それに体が重い。別に体調が悪い感じでは無いのだが、起き上がるのが億劫と思ってしまう。


「……ん?」


 そこでレーゼは、ようやく違和感に気がつく。


 誰かが、自分の体にしがみついていた。


 誰の仕業か容易に予想がついたレーゼは、顔を横に向ける。


「……すぅ、すぅ」

「またか」


 思った通り、そこにいたのは雅だった。レーゼの腰に手を回し、体をぴったりくっつけている。レーゼがさして驚いた風ではないのは、これが初めてでは無いからだ。


 今回で十回目。無論、最初は悲鳴を上げたのは言うまでもない。


 なお雅だが、気持ち良さそうに寝息を立てている様はとても可愛らしい。……何故か素っ裸であることを除けば、だが。


 裸で抱きつかれれば気が付きそうなものだが、不思議なことに、こうして寝ている間に雅に抱きつかれても違和感を覚えることは稀。寧ろ雅と一緒の時の方が快眠出来てしまう。


 抱き枕としては上等だが、残念ながら彼女は人間。相手が女性とは言え、素っ裸で抱かれるのはレーゼだって恥ずかしい。


 床には雅のパジャマがあった。きちんと畳まれている辺りが小憎たらしい。せめて脱ぎ散らかせと、良く分からない突っ込みをしたい衝動に駆られるレーゼ。きっと寝ぼけて頭が回らないだけなのだろう。


 なお、レーゼはちゃんとパジャマを着ている。雅的にはレーゼの裸も見たかったのだが、自分が裸になる勇気はあっても、レーゼをひん剥く度胸は無かったのだ。良く言えば節度を弁えたということだが、悪く言えばチキンである。


 それは兎も角として、改めて、レーゼは思う。


 ヤバい女が、異世界からやって来た……と。


「ちょっと」

「んみゅぅ」


 レーゼは雅の頬をツンツンと指でつつくと、雅は薄らと目を開ける。


「あぁ、レーゼしゃん……おはようございまふぁーぁ」

「まだ頭が起きてないのね。丁度いいわ。ほら、体を起こしなさい」


 雅は寝ぼけた頭で、レーゼの言う通りにムクリと起き上がる。


 そのままレーゼに導かれるように部屋のドアまで連れていかれ、そして――


「ぎゃん!」


 雅は部屋の外に思いっきり蹴り飛ばされた。裸のまま。


「ちょぉぉぉおっとレェェェエゼさぁぁぁあんっ? 追い出すこと無いじゃないですかぁぁぁあっ! 風邪引いちゃいますよおぉぉぉおっ!」


 今の一撃で完全に目を覚ました雅は、慌てた顔で、閉められ鍵を掛けられた部屋の戸をドンドンと叩く。


 そんな雅に、パジャマを脱ぎはじめたレーゼは部屋の中から告げる。


「馬鹿は風邪引かないわよー」




 ***




「ミヤビ、出発は夕方の四時よね?」

「はい。もう準備は終わっているので、後は街の人とか、バスターの人達に挨拶だけしていこうと思います。ご飯食べたら、昼頃まで出掛けてきますね」


 朝食の準備をしながら、雅とレーゼはそんな会話をする。


 今日の朝ご飯はピザだ。トマトペーストを薄く塗ったパン生地に、細かく乱切りにしたリンゴ、チーズ、そしてベルガリアンハーブ――アランベルグ全域で採れる、バジルとパセリの中間みたいなハーブだ――をトッピングしたもので、この世界の一般的な朝食メニューの一つである。二人で協力して作ったものだ。


 あれからレーゼは時間がある時に雅から料理を習い、今では簡単なものなら難なく作れるようになっている。実は教えはじめた最初の頃は初心者が裸足で逃げ出す位悲惨なありあさまだったのだが、今ではその面影は全く無い。よくここまで成長したものだと、謎の上から目線ではあるが雅は内心で感心していた。


 成長したといえば、雅もだ。


 コボルト種レイパーとウルフ種レイパーを倒してから一ヶ月の月日が経ち、あれから七体のレイパーが出現した。その全てを、雅とレーゼが協力して倒したのだ。そのお陰で、雅もかなり強くなった。戦い慣れした、というべきか。実戦に勝る練習は無いとはこのことだ。


 なお、レイパーの出現によって出た被害は決して軽い物ではないが、最後にレイパーが出現してから数日過ぎたこともあり、街も現在は、元の落ち着きを取り戻しつつある。


 ――全てのレイパーを倒し、皆が明るく、安心でき、希望を持って人生を歩んでいける世の中を取り戻す――


 これが今の雅の目標だ。特別な目標ではない。この世界の人も、雅の元いた世界の人も、似たような事を目指している人は大勢いる。その大勢の中に、雅も含まれただけだ。


 しかしその大勢の中で、二つの世界にレイパーが存在することを知っている者はごく僅か。現状では雅とレーゼだけだ。


 もしかすると、その事実を知っている者にしか出来ないこと、分からないことがあるかもしれないと、雅は考えた。


 だから――


「……本当に、行っちゃうのね?」

「はい。でも、また戻ってきます」


 雅は旅に出る決意をした。目的は二つ。


 一つは、元の世界とこの世界を自由に行き来する方法を探すこと。片方の世界では解明されていないことも、もう片方の世界では解明されている、あるいは解明するためのヒントがあるかもしれない。二つの世界の知恵を一つに纏め、レイパーを絶滅させるための『何か』を生み出すのだ。


 もう一つの目的は、仲間を集めること。これから先、雅はたくさんのレイパーと戦うことになる。本当は一人で戦いたいが、雅とて自分の限界は弁えているつもりだ。目標を成し遂げるためには、一緒の志を持つ仲間が必要だった。レーゼはその仲間の一人だし、元の世界には雅の友達もおり、協力してくれそうな人には心当たりがある。雅は何となくだが、仲間集めは何とかなりそうな気がしていた。


 なお、最初の目的地はセントラベルグだ。アランベルグの首都である。レーゼ曰く、そこの図書館ならレイパーについての色々な文献が閲覧出来るとのこと。もしかすると元の世界に帰るための手掛かりもあるかもしれないので、そこで情報を集めようと考えた。


「本当は私もついていきたいけど……この街を守る役目を放棄するわけにはいかないから……ごめんなさい」

「全然大丈夫ですよ。私一人で、何とかしますから!」


 そう言って、雅はサムズアップをする。アランベルグでも、サムズアップは了解や肯定の意味を持つ。


「困ったことがあったら手紙を頂戴。可能な限り手助けをするわ」

「ありがとうございます。本当は通信系の魔法を覚えられれば良かったんですけど」

「しょうがないわよ。元々魔法が無い世界で生まれたんだから」


 残念なことに、この世界では誰でも使える『遠方にいる相手と話す』魔法や『手紙を一瞬で相手に届ける』といった魔法を、雅は覚えることが出来なかった。恐らく、この世界の人なら誰でも持っている『魔力』を、雅は持っていないのだろうという結論になった。雅ががっかりしたのは言うまでもない。


 そんな会話をしている内に、朝食の準備が整う。


 二人は席に着くと、出来たてのピザにかぶりついた。




 ***




 そして夕方の四時。


「それじゃ、レーゼさん! 色々お世話になりました!」


 ノースベルグの外れにある、馬車停にて。この世界には電車やバスは無い。移動手段は馬車を用いるのが一般的だ。ちなみに雅とレーゼ以外の人は、ここにはいない。


 やや大きめの鞄を持った雅は、レーゼに敬礼する。やや大袈裟な仕草に、レーゼは苦笑いした。


 なお、今の雅の服装は、元の世界の学校の制服である。2221年の日本の技術により、学校の制服は下手な服よりも洗濯が楽で丈夫であり、実は旅に向いている服装なのだ。


「ミヤビ、これ、着けときなさい。私からの餞別よ。……あなたとの生活、楽しかったから、そのお礼」


 レーゼはポケットから小さな箱を取り出して、雅に渡す。


 開けてみれば、そこには白いムスカリを模ったアクセサリが入っていた。


「ヘアピンよ。多分、あなたに似合うと思う」

「――っ! ありがとうございます! 大切にしますね!」


 そう言って、早速それを髪に着ける。


 桃色の髪に、その白いヘアピンが夕日の光を受けてキラリと光った。


「……馬車、来たわね」


 レーゼが言うと、雅は遠くの方で何かがこっちに向かってくる音が聞こえることに気がついた。


 目を凝らしてみれば、黒いたてがみの白い馬がこちらに走ってきており、後ろには木製の客車が見える。


 馬は一頭だが、それにしては異常なほど客車が大きい。随分と無茶をさせるものだと、雅は少し眉を顰めた。


「……ん?」


 だが、段々と近づいてくるにつれ、馬の頭に、何やら奇妙な物がついていることに気がつく。


 そして馬車が到着した時、馬だと思っていた自分が間違っていたことを知る。


 頭についている『奇妙な物』の正体は、細長い角。


 馬だと思っていた生き物は、ユニコーンだったのだ。


 馬車が到着したことを知らせる汽笛を聞きながら、改めて、ここが異世界だということを感じた雅。


「馬車を見るのは初めて?」


 ポカンと口を開けた雅に、レーゼは面白そうに聞くと、雅は頷く。この世界では、これが普通なのだとか。


「じゃあ、しばらくお別れね。行ってらっしゃい。体に気をつけるのよ」

「あ、はい! 行ってきます!」


 客車の入り口が開き、車掌に搭乗チケットを見せてから雅は乗り込む。


 指定された席に荷物を置いて、雅は窓を開けて顔を出した。


「レーゼさんも、お元気で!」


 ユニコーンが嘶き、馬車が走り出す。


 雅とレーゼは、互いの姿が見えなくなるまで、手を振っていた。




 こうして、雅の旅が始まったのだ。

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