第1章幕間・閑話

第1章幕間

 雅が旅に出た頃。雅が元いた世界にて。


 時は五月八日の午後五時三十九分。


 ここは新潟県立大和撫子専門学校付属高校。


 異世界転移なんてトラブルが無ければ、雅が通っていたはずの高校である。


 新潟市中央区白山はくさんにある、レイパーと戦うための技術を学ぶために設立された学校だ。一一六号線を挟んで校舎が二つあるのが特徴である。


 その二つある校舎の内、日本海側にある建物の五階に、雅の親友、相模原さがみはらゆうが配属されている教室があった。


 今は行方不明の扱いとなっている雅も、ここに配属されている。


 教室の窓際、後ろから二番目の机が彼女の席だ。そのすぐ後ろは空席で、ここは雅の席となっている。


 その席を、優は椅子に逆向きに座り、背もたれに胸を押し当ててジッと眺めていた。


 教室には他にも生徒が数人残っており、皆談笑しているせいで騒がしい。


「相模原、まだ残っていたのか?」


 非常に聞き取りやすいアルトボイスが、横から聞こえてくる。落ち着きのある声色で、優の背筋もゾクリと震えてしまった。


 そちらに目を向ければ、そこにいたのは、長身で三つ編みの女子生徒。


 彼女は篠田しのだ愛理あいり。雅と優とは同じ中学出身で、その頃から付き合いがある女子だ。


 きりっとした眉と整った顔立ちで、背が高いのも相まって可愛いというよりかっこいい印象が強い。


「愛理? あぁごめん。ちょっと考え事してて」

「珍しいな。いつもは学校が終わるとすぐに束音の捜索に出るのに」


 愛理は、心配そうな顔でそう言った。


 実は優は、学校が終わると鞄を持って、雅のことを探しに出ていたのだ。


 雅がいなくなってから、自殺してしまうのではと思う程に落ち込んでいた優。だが、最近は少しだが前向きになっていた。


 だが、相変わらず捜索の成果は無し。


 愛理は、中々雅が見つからないことで、優が以前のように落ち込んでいるのではないかと思ってしまったのだ。


 だが、優は愛理の言葉に、首を横に振る。


「いんや、今日も探しに行くよ。大事な親友だしね」


 そう言うと、優は鞄を持って立ち上がる。


「なら、今日は私も行こう。束音が大事なのは、私も同じだからね」

「ありがとう。でもいいの? 忙しくない?」

「大丈夫さ。問題ないよ」


 愛理も鞄を取りに行き、帰り支度が整った二人は教室を出る。


 今日はどこに行こうかと二人で相談しながら廊下を歩き、階段へと続く曲がり角にさしかかった時だ。


「――っ!」


 同じタイミングで歩いてきた女子生徒と優はぶつかってしまう。


「おや、二人とも大丈夫かい?」

「あいたたたた、ごめんなさい……」

「ああ、いえ。こちらこそ不注意で――って、あなたは相模原さんではありませんの。どこに目をつけていらっしゃいますのっ?」


 ぶつかった女子生徒は、最初は謝ろうとしていたが、相手が優と分かると態度を変えた。


 途端、優も薄らと青筋を浮かべる。


 愛理は面倒なことになったと、目を閉じて額に手をやった。


 優がぶつかったのは、優と愛理の中間くらいの身長の、パーマっ気のあるゆるふわ茶髪ロングの女性だ。


 彼女は桔梗ききょういん希羅々きらら


 優や愛理と同じクラスの女子生徒である。良いところのお嬢様であり、言葉遣いも、いかにもそれっぽい。


「……希羅々ちゃんの癖に生意気な」

「希羅々ちゃん言うなっ、ですわっ!」


 成績上位、運動神経も抜群の希羅々だが、名前がキラキラネームなのはコンプレックスを抱えている。


 何かと理由をつけて突っかかってくる希羅々に対し、優は彼女のコンプレックスを業と刺激して怒らせるのが常だった。


 なお希羅々の名誉の為に言っておくと、彼女が突っかかるのは優だけで、他の人には礼儀正しい。


 何故優にだけこんな態度なのかは謎だ。


「えー、いいじゃん希羅々ちゃん。可愛い名前だよ希羅々ちゃん」

「同じことを何度も何度も! それしか脳がないのですかこの庶民!」

「大体ぶつかったのだってお互い様じゃん? そんなことで怒るなんて気品が足りないのよ気品が。お嬢様の癖に!」

「黙らっしゃい!」

「小学生の喧嘩か……」


 取っ組み合いの喧嘩に発展しそうになる気配を察知した愛理は、溜息を吐きながら仲裁に入る。


 二人の諍いは、最終的に互いにアッカンベーをしながら別れたことで終わりを迎えた。




 ***




「全く、何であの子は私にばっかり突っかかってくるのよ!」

「君も君だ」


 学校を出たところで優が憤ると、愛理はそれを嗜めるように小突く。


 優はバツの悪そうな顔で咳払いした後、それでもまだ火種は燻っているのか、フンと鼻を鳴らす。


「あんな奴、みーちゃんにドMに調教されてしまえばいいのよ。覚えているでしょ? 中学の時にいた苛めっ子。あの子みたいにさ」

「あー……あれは凄かったな。人はあんなにも変わるのかと思ったよ」


 当時を思いだした愛理は複雑な顔をする。


 三人がまだ中学二年生だった頃、クラスに女王様気取りの女子がいた。高飛車で傲慢で、気弱そうな女子生徒を集めてはパシり、役に立たない者がいれば暴力さえ振るう程だった。


 あまりにも好き勝手が過ぎるので優も愛理も見かねていたのだが、二人が行動するより先に動いたのが雅だ。


 雅はその女子生徒をなんやかんや言いくるめてお持ち帰りし、一週間後、件の女子生徒は顔を赤らめて雅のことを「ご主人様」と呼ぶようになっていた。それから女子生徒の行いは鳴りを潜め、クラスは平和になった。クラス中が女子生徒の変わりように仰天したのは言うまでもない。


「……ま、まあ彼女のことは置いておこう。桔梗院だが、確かに束音が見たら手を叩いて大喜びしそうなタイプではあるな。あんな典型的なお嬢様は、束音も大好物だろう」

「愛理、それはちょっとみーちゃんを分かってない。あの子は女の子なら誰でも大好物よ。前に一度、大真面目な顔で『女性だって確証があれば、胎児でも骨でも愛せる自身があります』なんて言ってたから間違いないわ」

「とんでもないな」

「そう、とんでもない変態なのよあの子。私や愛理だって、間違いなくみーちゃんのストライクゾーンに入っているはずよ。何か心当たりあるでしょ? 特に声関係で」


 聞くと、愛理の顔が少し強張った。思い当たる節がいくつかあったのだ。


「……そう言えば昔、歯の浮くような台詞をいくつか録音させて欲しいと頼まれたことがあったな。耳元で無限ループさせるんですとか言っていたから、流石に断ったが」

「あぁ、みーちゃんの気持ちは何となく分かるわ。そんなんあったら私も欲しい」

「もしそんなものが出回ったら、私は死ぬ……。おい、私の話はもう止めよう。相模原も何か話せ。君なら束音との恥ずかしい話、いくらでもあるだろう?」

「……ライトな話とディープな話があるけど、どっちが聞きたい?」

「……ライトな方で頼む」


 ディープな話も興味はあるが、自分の理解を超えそうな嫌な予感がした愛理は、若干尻込みしながらそう言った。


 それを聞いた優は少しだけ考え込む素振りをしてから、口を開く。


「そうね、あれは私とみーちゃんがまだ小学六年生だった時のことかしら。みーちゃんが、お医者さんごっこがしたいなんて言いだして――」

「それはライトな話とは言わん」


 愛理は頭を抱えた。




 ***




 二人がやってきたのは、学校から少し離れた空き地だ。数ヶ月前はコンビニがあったのだが潰れてしまい、建物もその際取り壊された。住宅街からも離れており、閑散とした所である。レイパーはどんな場所でもお構いなしに襲いかかってくるが、こういった場所では他の場所と比べ、遭遇しやすいというデータがあり、非常に危険だ。


 優はどうやって雅を探しているのかと言うと、こういう人気の無い場所をふらつきつつ、レイパーに襲われるのを待ち、現れた奴を倒すという手法をとっていた。


 雅が消えた際、人型種蜘蛛科のレイパーは体を発光させていたため、同じようなレイパーがいるのではないかと考えたのだ。


 勿論同じ現象を確認したからといって雅が見つかる確証は無いが、雅に繋がりそうな手掛かりがこれしかない以上、優は縋るしか無かった。


 雅を探しはじめて三週間ちょっと経つ。優はその間、三体のレイパーと戦い、その内二体を一人で倒していた。残り一体は愛理と捜索していた時に出会い、二人で一緒に倒している。


 しかしそのどれもが爆発四散し、体を発光させる奴はいなかった。優がスキル未所持ということを考えれば、相当な成果なのだが……。


 二人の右手に嵌った指輪が輝き、優の手には弓型のアーツ『霞』が、愛理の手には刀型のアーツが握られる。


 これは『おぼろ月下げっか』だ。メカメカしい見た目をしており、刀身は一メートル程もあるアーツである。


 今日出てくるレイパーはどんな奴か……そもそも出てくるのか不安を抱きつつも、空き地の中を歩き回る二人。


 だが、探し始めて、十分ちょっと経った時。


「――っ!」


 空き地の真ん中辺りをうろちょろとしていた優の右足に、鋭い痛みが走ったと思ったら、何かに引っ張られる。


 つんのめったものの転びそうになるのは何とか堪えた彼女が下を見れば、地面から腕が生え、優の足を掴んでいた。


「相模原っ?」


 愛理が異変に気がつき、優を掴む手を朧月下で斬りつけようと振り上げる。


 しかし振り下ろした刹那、手は地中へと消えてしまう。空を斬った刀は虚しく地面に突き刺さるが、優を助け出すことは成功だ。


「ありがとっ!」

「お出ましだな! 油断するなよ!」


 刀を中段に構え直し、辺りに目を配りながら叫ぶ愛理。


 瞬間、愛理の背後の土が爆ぜ、何かが姿を現した。


「しまっ――っ?」


 全身茶色。長い触角に、鍬の返し刃のようなものがついた手。まるで人型のオケラだ。レイパーである。分類するなら『人型種螻蛄科』といったところか。


 愛理の背後をとるように出現したレイパーは、彼女を両腕で羽交い絞めにした。レイパーの手の返し刃が不気味に光り、愛理の顔に向く。


 あの手に掴まれたのかと思うと、顔が青くなった優。掴まれたところは少し痛むが、肉を抉りとられなかったのは運が良かったからに他ならない。


 優は弓を空に向け、弦を引く。矢型の白いエネルギー弾が作られ、弦を離すと同時に放たれる。


 上に飛んでいった矢は急激に曲がり、レイパーの頭の上目掛けて落下していく。


 だがレイパーは愛理を放り投げるように解放すると、再び地面の穴に飛び込み、攻撃を躱した。


「大丈夫っ?」

「ケホっ、ケホっ……すまないっ! 助かった!」


 互いに声を掛けあうと、二人はレイパーが潜った穴に目を向ける。中は暗く、底が見えない。一体どれ程の速度で地中を動き回っているのか、優と愛理には想像もつかなかった。


 どうやって戦えばいいか、二人が顔を強張らせながらも頭を回転させ始めた、その時だ。


 優の背後の土が、勢い良く盛り上がる。


 咄嗟にその場を離れる二人。人型種螻蛄科レイパーが土をかき分けて出てきたのは、そのすぐ後だった。


 地上に出てきたレイパーは、すぐさま穴に潜り直し、姿を消す。


 愛理は奥歯をギリっと噛み締めた。


「まずいな……これでは攻撃を当てる隙が無い。いや、攻撃さえ出来ん」


 状況を打破するために、愛理は頭を悩ませる。


 刹那、二人の足元が僅かに振動を始めた。


「来るわ!」

「こっちだ!」


 振動が段々と近づいてきて、同じ方向に二人は走り出す。


 二人がほんのさっきまでいた場所の地面が爆ぜ、レイパーが頭を出すと同時にまた潜る。


「また消えた! どうしようっ?」

「一か八か、何とかする!」


 愛理は大きく深呼吸をした後、アーツを下段に構え、目を閉じる。


 そして自然の雑音や感触の中から、僅かな異音や振動、そして殺気を探し――


「――っ!」


 愛理が後方に大きく跳び退くと同時に、五度レイパーが地上に出てくる。


 完全に愛理を捕らえられる気でいたためか、レイパーは先程のように頭だけでなく、全身を顕わにしていた。


 着地と同時に、愛理は地面を蹴って勢いよくレイパーに近づき、刀を振り上げる。


 そのまま斜めに振り下ろすと、アーツの切っ先がレイパーの胴体に傷を付けた。


 そして、続けざまに突き刺さる、優の放った白い矢型のエネルギー弾。


 痛みに呻くレイパーに、追撃をしかけんと刀を振り上げる愛理。


 しかし、レイパーが腕を振り払うように動かし、その一撃が腹に命中。愛理は仰向けに吹っ飛ばされてしまった。


 そして、レイパーはまたしても地面に潜ろうと身を屈める。


「逃がさない! 絶対に!」


 愛理が作ったチャンスを、逃すわけにはいかない。


 優は、今度地中に潜られたら、もう一度地上に引きずり出すより先に自分達の体力が尽きるのが先だと悟っていた。


 ここが正念場だ。


 アーツがギリギリと音を立ててしなる。優が、霞の弦を限界まで引いたのだ。


 頭に浮かぶは、助けを求めようと自分に手を伸ばしていた、あの日の親友の姿。




「勝手にどこかに連れてって……いい加減返せ! 私のみーちゃんを!」




 すると、アーツ全体が白い輝きを放ち、優の方へとその輝きを移す。


 三度空振りに終わっても、まだ雅の生存を信じて疑わない優の心を認め、アーツがスキルを与えたのだ。


 弦を離すと矢型のエネルギー弾が放たれ、刹那、矢は霞のようにその姿を霧散させる。


 これは放ったエネルギー弾を視認しづらくするという、優の持つアーツ『霞』が元々持っている特性だ。


 レイパーがそれに気がついた時には、エネルギー弾はレイパーの体を貫き、親指ほどの太さの風穴を開けていた。


「うそっ?」


 優は驚きの声を上げる。今まで何度もレイパーに矢を放ってきたが、レイパーの体を貫く程の威力は無かったはずだった。


 彼女は悟る。これが、自分が授かったスキルの力なのだと。


 優が得たスキルは『死角強打』。標的が優の攻撃を視認していない場合、その威力を倍増させるというスキルだ。


 人型種螻蛄科レイパーは、くぐもった声を上げ、貫かれた場所を片手で押さえる。


 そして一際声が大きくなったと同時に、レイパーは爆発四散した。


 飛び散る肉片と、強く吹き付ける熱風。


「……倒した、のか?」


 愛理の言葉に、優は頷く。


 二人は肩で息をしていたが、やがてそれが落ち着くと、揃って大きな溜息を吐いた。


「また空振りかぁ……」

「……もしかすると、ただ倒すだけでは駄目なのかもな。他にも何か条件があるのかもしれない」


 そもそもレイパーを倒せば、普通なら今のレイパーのように爆発四散する。


 人型種蜘蛛科レイパーの時はそうならなかったということは、何か理由があると考えなければならないのだ。


「……うーん、あの時のレイパーは、私とみーちゃんで倒したと思うし……変わったことなんか、何かあったかなぁ? 強いて言うなら、私は今と比べれば随分弱かったと思うけど……。もう一度、あの時のことをよく思いだしてみるね」

「私は色々と調べてみよう。倒したレイパーが爆発しなかった例は、いくつかある。そこにヒントがあるかもしれない」


 優は頷く。そういった作業は、優はあまり得意ではない。愛理もそれを知っているから、自分からその役割を買って出た。


「おや、もうこんな時間か」


 太陽はとっくに沈み、空は黒く染まっている。


 愛理が時計を見れば、六時半を回っていた。レイパーと戦って疲れた体でうろつくのは得策ではない。二人はここらで引き上げることにした。


「どこいったのかなぁ、みーちゃん……」


 優は空を仰ぎ、そう呟く。


 親友の生存を疑う気等さらさら無い。


 ただ雅のことだ。飛ばされていた先で、ついうっかり女性に不埒を働き、無用なトラブルを招いていないかは不安が残る。 


 何となくだが、優はふと、それが無性に気になるのだった。

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