第6話『再来』
コボルト種とウルフ種のレイパーが出現してから、二日が過ぎた。
二体のレイパーはあれ以来、姿を見せていない。
どこに潜んでいるか分からないが、じっとしていることも出来ず、レーゼは今もパトロール中だ。
レーゼがいない時、家事の合間に雅は庭で百花繚乱を振っていた。レーゼがいると「一般人のあなたに鍛錬なんて必要ない」と言われてしまうからだ。
レーゼは怒るだろうが、次にレイパーが出たら自分も戦いに行く気である。その時に役立たずではいたくなかった。
「九九八、九九九……一〇〇〇!」
千回の素振りを終えたところで、雅は時計を見る。午後五時を回っており、そろそろレーゼが戻ってくる時間だ。
雅はアーツを仕舞うと、夕食の準備にとりかかる。
レーゼは料理をせず、食事はいつも出来合いの物で済ませている。それでいて粗食だ。食事に時間をかけるくらいなら鍛錬に回すというのが彼女の弁である。
しかし、体作りにきちんとした食事は必要不可欠だ。毎日出来合いの物で済ませていれば、当然栄養バランスも偏る。
だから雅は、レーゼのために夕食を作ろうと思っていた。この世界の一般的な家庭料理はこの二日間で調査済みだ。
今日作るのは、ベルギッシュのムニエルとスープに、リンゴとレタスのサラダだ。夕食の場合、ここにバターロールのような見た目をした、硬めのパンを付けるのが一般的である。
ベルギッシュというのはアランベルグ近郊の海域でしか獲れない魚で、元の世界で言うところのヒラメに近い見た目をしている。鱗を煮れば旨味たっぷりの出汁がとれ、これを塩胡椒で味を調えるだけでスープが出来る。
リンゴはこの世界では野菜のカテゴリで、食感は元の世界のリンゴと近いが甘くないのが特徴だ。醤油をかけたり、サラダに使うのが一般的な食べ方とされている。
ベルギッシュを捌くのに少し苦労したものの、それでもレーゼが帰ってきた頃には食事が出来上がる。
「あ、レーゼさん。お帰りなさい。食事、もう出来ますけど、先にお風呂に入りますか?」
「た、ただいま。ご飯にするわ」
ダイニングのテーブルに並べられる料理を見て、レーゼは目を丸くする。途端に、レーゼのお腹の虫が鳴り、顔を赤くした。
「……仕方ないでしょ」
クスクスと笑う雅を一睨みしてから、レーゼは手を洗い、テーブルに着く。
雅が料理を全て並べ終わり、椅子に座ると食事が始まる。
この世界には、食事前の挨拶は特別な時以外しない。
「……おいしい」
ベルギッシュのムニエルを一口食べると、レーゼはボソリとそう呟いた。
「ふふ、ありがとうございます。慣れない魚でちょっと苦戦しましたけど、口に合って良かったです」
「料理、よくするの?」
「元の世界では、毎日。とってもグルメな友達がいて、その子の舌を満足させるために腕を磨きました」
「……へぇ」
「……レーゼさんって、休みの日とか、普段は何をされてるんですか?」
「えっ?」
唐突な質問に、レーゼの食事の手が止まる。
「いえ。食事とお風呂、睡眠以外の時間は、仕事か鍛錬している姿しか見てないから」
「……それしかしてないから。物心ついた時から、ずっと」
「……そう、ですか」
レーゼの手が、再び動き出す。
それから食事が終わるまでの間、二人に会話は無かった。
***
「おいしかったわ。ありがとう」
「どういたしまして。はい、お茶です」
食事が終わった後、二人は椅子の背もたれに体重を預ける。
「あの、これからは私が食事を作ってもいいですか? 出来合いの物を買ってくるより、安く済ませますから」
「……そうね。お願いしようかしら」
レーゼは熱いお茶を一口啜る。
「久しぶりに、温かいご飯を食べたわ」
口に籠った熱を吐き出すように、彼女は言った。
「両親がいなくなって、一人暮らしをするようになってから、ご飯作るのとか面倒になっちゃって……レイパーと戦うようになってからは、食事自体が面倒になっちゃったのよね」
「もったいないですよ。レーゼさん、忙しいかもしれませんけど……食事くらい、楽しみませんか? 私、頑張って料理しますから」
「……楽しむ、か」
レーゼは少し鬱気な顔で、窓の外を見る。
「あいつらがいる間、そんな余裕はあるのかしらね」
「……まあ、食事中だろうが構わず現れる奴らですけど」
「アーツは、女性が扱わなければ意味が無い。女である以上、レイパーに襲われる恐怖は常に付き纏うわ」
「レーゼさん?」
「初めてレイパーに襲われたのは、七歳の時よ。どんな形をした奴だったかはもう覚えてないけど……必死に逃げたけど追いつかれて、抵抗したけど押さえつけられて、凄く怖かったのは覚えてる」
その時のことを思い出したのか、レーゼの湯飲みを持つ手に、力が籠る。
「どうやって助かったんですか?」
「母が助けてくれたのよ。母もバスターだったから。アーツが大破するほどの激しい戦いだったらしいけど、勝ったのは母だった。でもその戦いで怪我をして、引退を余儀なくされたけどね。それからだったかしら、私が鍛錬を始めたの」
「……アーツを使い始めたのは、その時から?」
「十歳の誕生日の時ね。父がいろんな伝手を使って取り寄せてくれたみたい。それからはずっと、鍛錬の日々だったわ。そりゃあ、私も他の人みたいに遊んだり、趣味に没頭したいって思ったこともちょっとはあったけど……レイパーに襲われて何も出来ない恐怖は、もう二度と味わいたくなかった」
「…………」
レーゼの話に、雅はどう答えて良いか分からず、ついお茶に目を落としてしまう。
「男に生まれてれば、こんな恐怖に怯えることなく、自分らしい生き方が出来たのかしら?」
「……えっ?」
「ほんと、面倒な性別に生まれちゃったわ。女になんか生まれなければよかった」
そこまで言った直後、レーゼは心の中で、己の言葉に首を横に振った。
苦しいのは、女だけではない。男は男で、家族や恋人、友人等の命を狙うレイパーと戦う術を持たないことに苦しんでいるのだ。
「レーゼさん。それは――」
雅がレーゼの言葉に何か言いかけた、その時だ。
ピクリと、レーゼの眉が動く。彼女は左の手の平を雅に向けて、言葉を遮った。
通話の魔法により、レーゼに連絡が来たのだ。この世界には魔法もあり、その一つがこれだ。
そしてその連絡だが、雅は内容に予想がついた。
「……分かりました。すぐに向かいます」
レーゼはそう言って通話を切ると、彼女は溜息を吐き、お茶がまだ残っているカップをテーブルに置いた。
「あの、もしかして」
「ええ。私の逃がしたレイパーが、また現れたそうよ。行ってくるわ」
「私も――」
「来ないで。あなたはまだ未熟。下手に戦うと、怖い思いをするわ。そんなの私は嫌よ」
そう言い終わるや否や、レーゼはダイニングを飛び出ていった。
「ちょ、待ってくだ――きゃっ?」
慌てて跡を追おうとする雅だが、足の指をテーブルの脚にぶつけて転んでしまう。
痛みを堪えて玄関まで辿りついた雅。しかし今度は玄関の扉が重く、開かない。
「えっ? なんで……っ?」
実は、レーゼが玄関を出る時に扉が開かないように細工をしていた。家の扉は外開き。だから外から扉の前に障害物となるものを置いて、開かないようにしていたのだ。
レーゼは分かっていた。どうせ何を言ったところで、雅は自分について来ようとすることは。だから、雅の足止めをした。
「……そうだ、庭から!」
突然のアクシデントに慌てた雅は、玄関以外から外に出られることをようやく思い出す。
しかし、急いで庭から外に出た時にはもう、レーゼの姿はどこにも無かった。
それでも雅は諦めず、直感を頼りにレーゼを探し始める。
そして二十分後――
突然、どこかから大きな音が聞こえてきた。
「あそこは――」
レーゼと雅が初めて出会った、あの倉庫の方からだった。
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