第3話『挨拶』
「ニホン? ニッポン? ジャパン? いいえ、知らないわね」
「でっすよねぇ……」
念のために、日本と言う国を知っているかレーゼに尋ねてみたが、返答は予想通りのものだった。
日本語を喋っておいて日本を知らないはずは無い。雅は正真正銘、異世界に来てしまったことを認めるしかなかった。
「……話を要約すると、あなたはこの世界とは別の世界から来た人間で、元の世界に帰る方法が分からない、と」
事態に頭を抱えてあわあわしていた雅とは対照的に、レーゼは落ち着いた様子だ。
「は、はい……。でも、そんなこと信じられませんよねぇ……」
「いえ、信じるわ」
レーゼの言葉に、雅は目を丸くする。
レーゼは雅の身に着けている指輪に視線を向けた。
「あなたの持っていた武器、アーツでしょ? 色んなアーツを見てきたけど、あなたのアーツはそのどれとも毛色が違う。それに私達の世界に、アーツを指輪に仕舞う技術は無いわ」
そしてレーゼは視線を、雅の指輪から雅自身へと向ける。
「服装も不思議なものだし……タバネミヤビという名前も聞いた事が無い。他にもおかしなところが一杯あるけど、全体的に異質なのよ。異世界から来たと言われた方が納得出来るわ」
最後にレーゼは、倉庫の方に視線を向けた。
「あのレイパー、別の世界の人間を連れてくる能力があったのね。生け捕りにした方が良かったのかしら……いえ、駄目ね。危険過ぎるわ」
「……あいつら、こっちの世界でもレイパーって言うんですね」
世界が異なっても、自分達を脅かす化け物の名前が共通であること。いやもっと根本的な話として、こちらの世界にもレイパーがいることに、不思議な感じがした。
「私達の世界じゃ、百年前に突然現れた化け物なんです。宇宙から来たのかもとか言われていたんですけど……こっちじゃどうなんですか? ずっと昔から存在してる生き物なんですかね?」
「詳しい出生は不明よ。記録によれば、五〇〇年前くらいに突然出現したらしいけど……」
雅は、深く息を吐く。
レーゼと話している内に、少し落ち着いてきたのだ。
「この世界から私達の世界に移動出来るレイパーがいるってことは、私、元の世界に戻れるかもしれないってことですよね?」
「……まぁ、同じような能力を持つレイパーがいれば、帰れるかもしれないわね。でもあなた、これからどうするつもり? 住む場所なんてないでしょ?」
折角落ち着いてきた雅だが、レーゼの言葉に顔を強張らせる。
「……電子マネーなんて使えませんよね?」
「デンシマネー? 何それ?」
「あ、いえ、私の世界で使える通貨なんですけど……あ、そもそも私、鞄向こうに置きっ放しでした……お金ありません」
今、雅が持っているものと言えば、着ている制服とアーツくらいだ。まさかこれらを売るわけにはいかない。
その他の、雅の世界に流通している便利な道具のあれやこれやは、全部鞄の中に入れっ放しだ。少女に声を掛けた時に、近くに置いたままにしてしまった。大きな失敗だったと後悔しても後の祭りである。
「なら、しばらくは私の家に住みなさい。あんな奴らのせいで、あなたが野垂れ死ぬ必要は無いわ」
そんな雅を哀れに思ったのか、レーゼから救いの手が差し伸べられた。
「い、いいんですかっ?」
「ええ。どうせ部屋は余っているし……構わないわ」
「ありがとうございますぅっ!」
「ちょっ? 何で抱きつくのよっ?」
涙目の雅に突然抱きつかれ、レーゼは顔を真っ赤にする。だが咳払いをすると、抱きついた照れくさそうな顔で、雅の頭にポンっと手を置いた。
「全く……あなたの世界じゃ、こうやって感謝するのが普通なの?」
「ええ、そうなんです! ……一部の国では、ですけど」
「え? 何? 最後、何て言ったの?」
小声かつ早口になった雅の言葉は、レーゼの耳には届かない。
そこでふと……下半身に違和感を覚え、レーゼは怪訝な顔をする。
「……ねえ、その、なんていうか……あなたの手、私のお尻に当たってるんだけど?」
「当ててるんです。これが私の国の感謝の示し方なんです!」
「何か手つきがいやらしいんだけどっ? 息も荒いしっ?」
「仕方ないじゃないですかぁっ! これが作法なんですからっ!」
「どんな感謝の仕方よっ?」
「まだまだ続きますよっ! 私の世界では、この後相手の耳元で愛を囁いて、そのままベッドに押し倒し――」
「そんなわけあるかぁぁぁあっ!」
ついにレーゼの鉄拳が雅の腹部に打ち込まれる。雅の体は宙に浮き、「ありがとうございますっ!」と訳の分からないことを叫びながら弓なりに地面に落ちた。
「ちぃ! ヤバい奴が、異世界からやってきたわね……!」
レーゼは確信する。
彼女の国の作法は知らないが、これは絶対に間違っている、と。
「いたたたた……ふふっ! これからよろしくお願いしますっ、レーゼさん!」
「ふんっ……よろしく」
倒れたまま握手を求めるように手を伸ばす雅に応じながら、レーゼは予感していた。
この少女、タバネミヤビとは長い付き合いになりそうだ、と。
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