星読みの天才の慟哭 2

 オオカミの隣で沈痛な顔でうつむいているウルと名付けられたらしい遺物の人形に声をかける。


「おい、ウル・カーティオモス。ちょっとツラかせ」


「え、あ、はい。ローボさん、ちょっと行ってきます」


 遠くに意識を飛ばしてしまっているローボは返事をしなかった。

 珍しいこともあるもんだな。

 まぁ俺には関係ないか。それよりやるべきことをきっちりしないとな。


「これは?」


「シータの研究ノートだ。中身はまるっきりの白紙だったけどな」


「え?! あの、私ではなくシータさんと同じ研究テーマを持った方に渡された方がいいと思いますが」


「……俺は、ずっとこの夜空に浮かぶ不変の輝きがすべての道を示してくれると、そのすべてを俺が読み解けると信じてた。けど、けどな、今は星々の光のなにも信用できねぇ」


 神妙な顔で俺を見上げてくる人形が鍵なのだとシータは言っていた。


 随分と楽しそうに、わくわくした顔をしていたのを今でもはっきり思い出せる。

 それと同じくらい何かに怯えてもいたが。そういえば人形を遺跡から運び出すことにも最後まで渋っていたな。

 

「俺はあの日、天文台に帰るといいことがあるって星に教えられて、それを鵜呑みにしてシータに言った。それが俺のすべきことで、星が嘘を教えることも俺が読み違えることもないと絶対の自負があった。なのにあの日、あいつは、シータは使徒に殺された。遺跡調査の大罪の罰だってな」


 俺には見向きもしなかった。あいつは狂乱したようにシータを殺して、なぶった。

 俺になくてシータにあったものがなんなのか、よくはわからない。ていうか、どう考えてもシータと俺に対しての対応の差がひどすぎる。


 秩序を司り支配する使徒、という名からは大きく外れた私情まみれの暴力にしか見えなかった。


「不変の輝きに導かれた先に、導きにはない未来が突然現れたときの気持ちがわかるか? そして、残された記録からあの日の星を再び読んでみたら明らかに導きの内容が変わってた時の俺の気持ちが。……なぁ!」


 『異端の望む答えが天文台にある』が『異端は不変の意思に裁かれる』に変わってたのを見た瞬間、今まで歩いてきた道が急に雲のように定められない不確かなものに変わってしまった。


 不変の輝きとは、絶対に何があっても変わらないからこそそういう。俺は今までそう信じてきたし実際に夜空のまたたきはそれを証明してきた。なのに今更この仕打ちは一体何なのか。


 俺が間違っているのか? それとも不変の輝きは不変ではないのか? わからない。なにも、わからない!


「俺だって! 俺だってなぁ、読み間違えたのかもって! 俺が読み違えたんだって! けど!! 星はやっぱり天文台に帰るといいことがあるってことしか教えてくれてねぇんだよ! 使徒と出くわすとか、シータが罰せられるとか、そんなこと一言も!!」


 なにも、何一つ星は、空の輝きは俺に真実を伝えてなんかなかった。信じてた。絶対なんだって信じてたのに!!


「……クナーレさん」


「俺の作った記録にもはっきりと示されてたんだよ! 天文台に帰ればいいことがあるって! それ以外、なにも、なにも!! なんであいつが死ななけりゃならなかったんだよ!!! 俺の、親友がなんで! なんであんな風に……いきなり、とつぜんに……別れだって、礼だって、なにも、なにも……!」


 俺、何言ってんだ? こんなぽっと出の初対面同然のやつにこんなこと言ったって何にもなんねぇだろうが。


 お前もお前だよ、ウル・カーティオモス。なんでお前がそんな顔してんだよ。これじゃあどっちが


「私は……私は、あなたのその悲しみに何をすることもできません。だけど聞くことはできます。あなたがやりきれないと感じる死の理不尽さを乗り越えるために必要な、気持ちの整理が終わるまで私はここにいます」


 初対面だからこそ。

 知らない誰かだからこそ、さらけ出せることだってある。

 いつだったか、どこかで誰かから聞いた話だ。

 あぁ、くそ。くそったれ。

 ……ちくしょう。


 星が隙間なく照らす地上の片隅に、小さな慟哭が響いていた。



 

 目元を赤く染めて鼻をすすっているクナーレの隣で、ウルはそっと渡されたシータの研究ノートを開いた。


 クナーレの言った通り、どのページもまっさらで真っ白な新品同然のノート。けれどウルの鼻は懐かしいにおいを感じ取っていた。

 一体ここに何が書かれているのだろう。

 

「頼む。俺にはそのノートに何が書いてあるのか、どうやって読むのかもわからん。だから、あいつの集大成のそいつの答え合わせをしてやれるお前に託す。あいつの努力を、見てやってくれ」


「わかりました。頑張ってみます」


 透明な石が貫通した手で傷つかないようにノートを持つウルに背を向けて、クナーレは棺の方へ足を向ける。

 何をするのかとウルが視線をめぐらせると、棺のそばで金の糸束が揺れているのが目に入った。


 光翼を背負った使徒が棺にもたれかかるようにして地面に座り込んでいる。青く冷たい瞳は一直線に星々を見上げていて、まるでそこだけ何かに切り取られたように空気が違って見えた。

 

「わざわざおこしになられたのですか、ニュサ様」


「あぁ、死したとはいえ私の財産に変わりはない。丁重に迎えるのもやぶさかではないというものだ」


 星々を縛るように瞳を光らせたままニュサが答える。白い布地に金のラインが入った丈の長い衣服が夜闇の中でも鮮やかに浮かび上がっている。


「あの、ニュサ……様。シータさんの遺体をどうするんですか? 墓地に埋葬するのであればお手伝いいたしますが」


 ゆらり、と青い瞳が動く。瞬間、ウルの体が硬直した。自分の意思ではない体の反応に困惑を隠せない人形を眺めてニュサはくつりと笑った。

 温度の欠けた無情の目に射抜かれて体が勝手に震える。


「埋葬、埋葬か。懐かしい響きだ。しかしその心配はいらぬ世話だと言っておこう。ウル・カーティオモス。お前はさっさと己のやるべきことを為すがいい。ここには研究を行う学者か、その手伝いに奔走する小間使いしかいらぬ」


 棺の中からシータの遺体を取り出したニュサは、横抱きにしたまま歩き始める。その後ろを慌てて追いかけるクナーレの姿が見えなくなるまでウルはその場を動けなかった。


「クナーレ・コシカ。此度は災難であったな」


 ニュサの後ろに追随するクナーレにねぎらいの言葉がかけられる。

 前を向いたままであってもはっきりと聞こえてくる確たる声に何故か心細さを感じながらクナーレは返事をしなければと口を開く。


「そんな……はい。未だに整理もつけられません」


「よい。その一生を無病息災で過ごし、生まれてからきっかり60年で眠ることが決められているお前たちには酷な見世物だっただろうよ。だが案ずるな。お前はまたシータ・カイリと出会い友となる。そして同じ別れを繰り返すのだ。夜空にまたたく不変の輝きがそれを保証しようぞ」


 笑みの気配をふくんだ声の内容を理解するのに数秒かかった。

 一気に冷や汗がふき出てくる。


 微かな明かりが照らす暗い夜道。その先にある真暗な闇に飲み込まれそうな錯覚を覚えて悲鳴をあげそうになる。


 ニュサの背中を見ることが怖い。その先にあるこちらを一切振り返らない顔が一体どういう表情を浮かべているのか、考えたくもない。

 浅く激しい呼吸音にニュサの口元がいびつに歪む。


「まずはシータ・カイリ。そして、お前だクナーレ・コシカ。あぁ素晴らしい! 私がやったのでは意味がない。お前たちがお前たちの意思で起こす必要があったのだ。お前たちはまったくいつの世もよい仕事ぶりだったが、今回のこれは群を抜いてよい働きであったな」


 ゆっくりとニュサが振り向く。クナーレは目をそらさなければと必死で体に力を入れるも、意に反して肉体は金縛りにあったように筋一筋も動いてくれない。


 極上の笑みを浮かべて愛おし気に見つめる濁った青と目が合った瞬間、クナーレの意識は暗転した。





 小さく、誰かの絶叫が聞こえた気がしてウルは窓の外へ視線を向ける。

 しかし、聞こえた気がした音の残滓すらそこにはなく、ひっそりと見つめてくる星々と目が合っただけだった。


「どうかしたの?」


「いえ、なんでもありません」


「そう。それで、本当にこの真っ白なノートに何かが書かれているの? 私には何にも見えないのだけど」


 すっかりヒトの足を取り戻したルサルカが薄い青のワンピースの裾を揺らす。むき出しの素足のどこにも魚の鱗はなく、もうほとんどヒトそのものになっている。


「透明なインクでも使ったのかしら? そんなものがあるなんて話は聞いたことがないけれど、海水に浸かるだけで人魚症候群が治るんだもの。そう言うことだってあるでしょう」


「そうですね、それに近いものです。見えなくなっているだけでしかるべき手段を用いれば問題なく読めるようになります。けど」


 そこで難しい顔をして黙り込んでしまったウルの隣に椅子を持ってきて腰を下ろしたルサルカはゆったりと足を組んで組んだ手の上にあごをのせた。


「けど? どうかしたのかしら?」


 水草が絡みつくような声が耳のすぐそばに吹き込まれて肩をすくませる。

 不快感よりもいけないことをしているような背徳感の方が強い声にどう対処すればいいのか見当がつかない。


「うふふ、かわいそうに。そんなに怯えなくてもいいのよ。難しいことよりも私といいことをしましょうってお誘いしているだけなんだから」


「え、えっと、えっと、そ、そういうのは……もっと、こう、お互いの親密さが深まってから、というか、その」


 しどろもどろに必死に弁解をするウルが顔を真っ赤にして目を回している様子にくすりと笑う。

 ああ、なんてかわいそうなの。


「あら、お互いの親密さを深めるならこっちの方が断然早いわよ。そんなに震えて可哀想に。すぐにあったかくなるから大丈夫よ」


「いや、寒いとかじゃなくてですね。……あの、ルサルカさん、聞いてますか?!」

 

 遠慮なく押し付けられる柔らかな体は、やはり魚になりかけていたとは思えないほどヒトそのもので。とりあえずそれを喜べばいいのか、どうすればいいのか。

 

「ほら大人しくしなさい。大丈夫、痛くないわ。むしろ」

 

 もうこれ以上は耐えられない。

 ウルは思い切り息を吸い込むと、ありったけの大声で一番頼りになるだろう人物を呼ばわった。


「た、助けて! ローボさん!!」


「どうした!?」


 瞬間、にゅっと壁からローボの頭が飛び出してきてウルはぽかんと口を開けてしまった。ドアもなければ穴があるわけでもない壁から、するりとローボが現れる。


 のばされた手を条件反射でとって、ルサルカの手から逃れてもウルは呆然としていた。いくら常識はずれなことをのたまい続けるウルでもこれは予想外だったらしい。


 ローボはそんなウルの様子を襲われかけたショックによる放心、ととらえたらしく険しい表情でルサルカを睨みつけている。


「ウルに何したんだよ」


「なにもしていないわよ。まだ」


 とがめるような視線を無視してルサルカはうっそりと目を細めた。


「それとも、あなたが相手をしてくれるのかしら? ねぇ、可哀想な子犬ちゃん。私は相手がヒトだろうが獣だろうが何でもいいのよ」


「だ、だめ!!」


 ローボが答えるより早くウルが叫ぶ。ほぼ衝動的なもので後先考えずの発言だったが、ぎゅっとローボの腕を握って迫力のないにらみを利かせている様子に張り詰めた空気が霧散した。


 毒気が抜かれたのか、ルサルカも短く嘆息した後は何も言わずに首を振るだけだった。

 

「よ、よかったぁ」


 安堵のあまりはぁ、とへたり込んだウルに隠すようにしてローボは掴まれた腕をさすった。

 毛皮に隠れてわかりにくいが、ウルの手のひらを貫通している石が遠慮なく突き刺さった箇所はおそらく跡がついているだろう。


「けっこう尖ってんだな、あれ」


 今までウルが触れてきたことはあるが、石が突き刺さってきたことはなかった。それほどまでに切羽詰まっていたのか、普段は配慮してくれているのか。


 ポヤポヤと緩みそうな顔を見られたくなくて、このことから目をそらすようにローボはウルの顔を覗き込んだ。


「で、なんの話してたんだ? まさか最初からあんなことしてたわけじゃないんだろ」


「えっと、真っ白なノートを読むにはどうするか、という話をしてました。やり方はわかっているので、後は材料を探すだけです。シータさんの研究室にあればいいんですけど」


「へぇ、じゃあ明日案内してやるよ。ウル一人じゃシータ先生の研究室の場所もわからないだろ?」


「お願いします! あ、それと」


 仲良く話し込み始めたウルとローボを眺めながら、ルサルカは唇を尖らせていた。

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