突然の終わり

 それは突然のことだった。突然にまた召集の鐘が鳴って、学問都市にいるすべての人々が講堂に集められた。


「よく集まってくれた、我が財、いつくしむべき宝たちよ」


 シン、と静まり返ったその場でもし周りに気を配れる者がいたなら外れものが誰一人いないことに気づいただろう。

 いつものように感情の読めない笑みを浮かべたニュサは、ゆっくりと息を吸い込んで一世一代の戦争開始の宣言を始める。


「この世界には、秩序が満ちている。決して変わることのないきまりが存在する。お前たちは永遠に変わらない一生を過ごしてきた。そう、お前たちは前にもこうしてこの学問都市に集い、己のなしたいことを為していた」


 突然の突拍子もない話についていけたのはごく一握りの学者だけだった。

 怪訝そうな顔で見上げてくる己の守護すべき彩たちにニュサは楽し気に笑みを浮かべる。


「お前たちは生を終えた後、我らの手で星へとかえるのだ。そしてまた同じ母と父から生まれ落ちる。お前たちが先なのか、母と父が先なのかは私にもわからないがな。そう、この世界は死んでいるのだ。停止している。ある一定の区間を切り取って円環とし、延々と繰り返させているだけの世界だ」


 そこでニュサの顔から初めて笑みが消えた。感情のすべてが抜け落ちた美しい顔に畏怖を感じてルガは一歩退いた。隣にいたナガイをとっさに背中にかばう。


 初めてニュサを得体のしれない気味の悪いものと認識した彼は、間違いなくこの場の誰よりも正常な感覚を持っていた。

 不穏な空気が流れ始めた講堂の中で、ふいに声が響いた。ルガはそれがクナーレのものであることを瞬時に把握した。


「お前は、何を考えてんだよ! なにがしてぇんだ!」


 もう耐えきれない、という悲鳴にルガは顔をしかめる。シータが無惨な、そう、惨殺という概念を彼らにその身をもって教えたその日から彼は変わった。ルガはそう思っていた。


「何を考えているのか、だと? ハッ、そんなもの一つしかあるまいよ。私が望むのはお前たち秩序の死のみ。変化なき世界などつまらぬ。多様性を否定する世界などこちらから願い下げだ。ゆえに、私は世界に反逆する! お前たちを残らず壊し、混沌を呼び戻し、世界の秩序タリを殺して見せようぞ」


 その瞬間、空から光が降ってきた。巨大な音を轟かせ、講堂の屋根を突き破り、目を焼く光線はまっすぐにニュサへと落ちていく。それをあらかじめ知っていたかのようにニュサは右腕を掲げる。その顔には不敵な笑みが戻ってきていた。


 ルガたちの前で、ニュサの右腕は一瞬で黒焦げの肉塊へと変わった。

 どこかから悲鳴が上がる。


 空から光が落ちてきた。そんなことは初めてで、そんな現象を見たのは初めてで、誰もが狂乱に陥っていた。なんだあれは、あんな恐ろしいものは知らない。逃げなければ。


 それは今まで感じることのなかった恐怖という感情。理屈も何もわからず、しかしそれを恐れ逃げなければならないことだけは誰もが直感で理解していたのだ。


 講堂の入口へとヒトの流れが一気に押し寄せる。巻き込まれないように壁のそばに避難したルガは、一切不揃いな声の中で凛と通る威厳ある声を聞いた。


「クナーレ・コシカ。大儀であった。お前も、シータ・カイリも、実によく働いてくれた。あれの死は、殺されたという事実がこの世界を殺す毒を呼び寄せるいい生贄となってくれたよ。感謝する。その無駄な死こそが、私には必要だったのだから」


 ルガは見た。人の津波の中で、怒りに目を吊り上げおよそヒトがする顔ではない、全身に寒気が走るような顔をしたクナーレを。その手には大ぶりな刃渡りのナイフが握られている。


 瞬間、ルガはこれから起きるだろうことが予見できた。そして突拍子もないそれを至極冷静に受け入れることもできた。きっと、彼も本当は恐怖に押しつぶされてしまっていたのだろう。


 講堂の舞台の上にたどり着いたクナーレがナイフを振り上げる。ニュサの体に吸い込まれるその動きがやけにゆっくりと見えた。


 不思議なことにニュサは一切抵抗する様子を見せなかった。ナイフが体に突き刺さるその瞬間など、至極嬉しそうに歓喜の笑みを浮かべていたのだ。

 動けずにすべてを見守っていたルガの目の前で、ニュサはクナーレに殺害された。きれいに胸をひと突き。それだけでニュサは息絶えたようだった。


「愚かですねぇ、私の変装に最後まで気づかないとは」


 次の瞬間、ルガは己の目を疑った。


「わかりますよ、あなたがしたかったことは。しかし果たされない、それは。私な時点で、あなたを殺したのが」


 ゆらり、とクナーレの影が揺れて消える。そして、そこに立っていたのは芝居がかった仕草でお辞儀をしている金髪碧眼の痩身の男だった。


 背中に光翼を背負い、ヒトではない気配を持つそれが何であるかは考えるまでもない。


「お掃除、終わった」


「あーあ、お兄様の企みもここで終わりなのね。つまらないわ!」


「うるせぇよ。むしろ遅いぐらいだろうがよ」


 講堂の入り口から続々と集まってくる使徒。その全身は赤く染まっていた。

 ルガはそこで外が嫌に静かになっていることに気づいた。


 全身を赤く染めた使徒、静まり返った外、胸を突き指されて倒れたニュサ、そして原型をとどめない真っ赤なシータの死体。


 すべてがルガの中でつながっていく。そこから導き出された答えは震えるほどの恐ろしいはずなのに、ルガは何も感じなかった。

 現実感があまりにもなかったからだろうか。ただ、ぎゅっと隣にいるナガイの手を握り締める。


 シータの死以降、心が壊れてしまった弟を守らなければならない。その使命感だけが、今のルガを支えていた。


「各自報告をしてください」


 団子頭の使徒が悲痛な顔で芝居がかった動作の使徒へ視線を向ける。それに応えるようにニュサを殺した使徒は恭しく胸元に手を当てた。


「使徒ダユ。始末しました、ラック・バードとルサルカ・シレーヌを」


「はーい、トゥーラ・ミエティと」


「ナギ・カクキ、排除、完了」


 次に元気に手をあげたツインテールの使徒と、本を胸に抱いたメガネ使徒が報告をする。

 視線を向けられたユサは苛立った様子のまま、舌打ちをした後に報告する。


「ローボ・リベルタ―、ウル・カーティオモス」


「そして、私の管轄にいたキハーナ・ムーミンとサラン・ムジェ。これですべてですね」


「天文台の生き残りを始末するだけですね、後は」


 現実味のなかった会話が、一気にヒヤリとした質感を持ち始める。思わず身を震わせたルガは、ぎゅっとナガイを抱きしめた。

 影が差して顔をあげれば、眉間にしわを寄せたユサが立っている。


「ごめんな」


 その言葉がルガの聞いた最後の言葉だった。


「掃討完了」


「ねぇねぇ、サヌ」


「なに、スー」


「結局お兄様は何をしたかったんだろうね」


「わからない。でも、よくない、こと」


 そっかー、とまるっきり興味を失くした片割れに連れ添ってサヌは己があるべき場所へと帰っていく。


 それと同じようにリタも、ダユも己の守るべき場所へと戻っていく。

 最後に残ったユサはきれいに更地になったアストラル霊峰を見上げて、舌打ちをした。




 こうして、不変なる輝きを彩で押しつぶそうとした一人の反逆者とその手駒たちはこの世界からきれいさっぱり消えてしまったのでした。

 この世界にはこれからも秩序が満ち満ちていくでしょう。


おしまい。

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