星読みの天才の慟哭 1
シータの遺体は木箱の中に納められ、誰の目にも触れられないようにされていた。
悲惨な見た目の遺体をそのままに葬儀を行うわけにもいかず、かといって誰もが遺体を整えることを拒否した。
そんなわけで苦肉の策としてウルが発案した木箱(棺というらしい)に入れて葬儀を行う形になったのだった。
葬儀なんていつぶりだっけか。
遺体を数日間安置して別れを済ませ、最終日の深夜にニュサ様に引き取っていただくのが通例だが、今回はどうなるんだか。
今日の深夜にはニュサ様に遺体を引き取っていただくというのに、顔を見せに来るものは異様に少ない。
もともと常識外れなことや的外れなことを好き好んで語るやつだったから、好かれているわけでもなく、交流関係が広かったわけでもなかった。
けど、それにしたってこれは少なすぎだろう。
「クナーレ殿。そう気を落とされるな」
いつの間にか隣に腰を下ろしていたナギ・カクキの落ち着いた声がする。
あのアホトゥーラのストッパーということもあって、外れものの中では一番面識があるやつだ。ストッパーてよりは後始末係みたいになってるのは同情を誘われるのもあって印象に残っていた。
顔を横に向ければ、研ぎ澄まされた光を浮かべた切れ長の瞳がまっすぐに俺の目を見てくる。俺はどうもこいつのこの目が苦手だ。背中がもぞもぞするというか、胃の下らへんが冷えるというか。
それは目の光だけでもない。凛と背筋を伸ばして遠くを見ているようなこの男の前ではその一挙手一投足すべてにヒヤリとした感覚がつきまとう。
風に吹かれるロウソクの火のような心地がどうしてもぬぐえないんだよな。
「べつにそういうんじゃねぇよ。星読みでもこうなるってのは出てたしな」
嘘だ。星なんざ読んじゃいない。……そういや、不変の輝きの声を聴かなかったのは昨日が初めてだったな。
今まで生活のすべてを星読みで決めてやってきたんだよな、俺。
背筋に寒気が走る。思わず自分の肩を抱きしめそうになった。
自分以外の巨大で見えない何かに考えるまでもなくすべてを預け言いなりになっていた。
空に浮かぶだけの不確かな輝きに命のすべてを預けていた。その事実が恐ろしい。
『クナーレは怖くないの? 僕は怖いよ。ずっと、怖くて仕方がない』
話半分も聞かずに聞き流していたシータの言い分が今ならよくわかる気がする。
あぁ、俺、親友のことを何も理解できてなかったんだな。なぁ。シータ。お前は俺を、今までの俺を見て何を感じてたんだ? 教えてくれよ。なんで、お前は―――。
言葉なくうつむいてしまったクナーレの横でナギはじっと遺体の入った箱を睨みつけていた。
西の地平線に太陽が沈む。夜の気配を呼び出す赤い空は私が知っているそれとまったく変わってないのに、どうしてこんなにも世界は変わってしまったのだろう。
どうして、こんなにもわからないことが多いのだろう。穴が開いている気がする。なにか、とても大切なことを忘れてしまっているような。
「あの、お葬式は終わったのにシータさんの遺体は埋めないんですか?」
もう少しで完全に日が沈むのに、いまだに放置されている棺はどこにも動かされる気配がなかった。
目を閉じれば傷を縫い合わせることも、整えることもせずに放置された惨たらしい遺体が浮かび上がってくる。
確かに、あそこまでひどい死体はそう目にすることはない。だけど、それでもここの人たちの反応はおかしかった。
まるで今まで一度もそういった死を見たことがないとでもいうかのようだった。
忌避、恐怖、嫌悪。
そういった遠ざけたい感情の波が押し寄せるのを感じたからこそ提案した棺という形。
地域差はあったけど、たいていトワギワの葬儀といえば棺に遺体を入れて墓穴に埋め、その上に墓石をたてるというものだった。
ここでもそうなのだろうと思っていたのに、誰もそうする気配はなかったから提案したけど、私が何も言わなかったらきっとそのままシータさんの遺体は放置されていただろう。
それでも、ナギさんが言うには葬儀に参列した人たちはごくごく少数しかいなかったらしい。
「うめる? ……、うめるって、地面に埋めるのうめるか?」
いぶかし気に眉を寄せるローボさんは本当に分からないらしかった。多分、ここではそういった風習がないのかもしれない。
「はい。……私の中にある記録では、トワギワたちは死んだもの、壊れたものを土に埋める風習がありました。その生を終えたものは大地へかえり、他の命を育んで支える養分となるんです。そうして命は循環し、巡っていく」
当時はそれだけがすべてではなかったけど、それでも私はその在り方が一番好ましく感じていたような気がする。
……また、困らせてしまったかもしれない。
そう思ってローボさんを見上げてみると、目を細めて遠くを見上げていた。てっきり困り顔で首をかしげていると思っていたのに。
チラリと牙がのぞいて、細く息が吐きだされた。
「いいな、それ。望まれていなかったものでも、死ねば別の命の養分になるってことだろう? 死んだ後も何かの役に立てるなんて、幸せだな」
「……そんな大層なものではないかと思いますが」
目を閉じてしみじみとつぶやくローボさんの言葉に胸の奥がざわついた。
なんだかその発言を許容することができなくて、思わず硬くつぶやくとやわらかく喉の奥で笑う声が降ってくる。
「いいや大層なものだって。だってそれ、死んだ時に埋めてもらえれば死んだ後も誰かの、何かの役に立てるってことだよな。自分がなくなってもその命、その存在は別の命の糧になれる。それはいいことだ。あぁ、羨ましい。俺もそうなれるかな」
「ごめんなさい。無理だと思います」
展開の仕方を間違えたかもしれない。
特に驚くでもなく、嘆くでもなく。
ただ静かに顔をくしゃくしゃにしたローボさんを見て、私はひどく胸をわしづかみされたような痛みにうめきたくなった。
「……。だよなぁ。俺の遺体は標本にするって学者先生たちも言ってたし」
なんだか心臓の奥あたりがざわざわとして落ち着かない。
この人は、どうしてこんな顔でそんなことが言えるのだろう。
どうして、私はローボさんを困らせることしかできないんだろう。
「違います。標本にされるとか、そういうことじゃなくて。たぶん、今の生き物は大地にかえれないんです」
「かえれない? え、誰も?」
暗に自分が外れものだからではないのか、とローボさんは言っているのかもしれない。
外れもの。確かにトワギワの集団においてキムヌは以上に見えるかもしれないけど、そんな言い方しなくたって。
「はい。あくまで私の推測ですが、ヒトに限らずすべての命あるものは死んだときのまま決して変わらないのだと思います。ローボさん、腐ったものを見たことはありますか?」
少なくともトワギワ、ヒトの遺体は腐らない。山の上だから暑くはないけれど、それでも数日間も野外に防腐処理もせずに遺体を放置すれば普通は腐ってしまう。
棺に入れたところで腐臭は遮れないし、あの造りだと汁も漏れてくるはずなのにそうはならなかった。
夜、こっそり棺の中を覗いてみても傷も何もかもがそのまま、変わらずにそこにあった。まるで死んだ瞬間に時が止まってしまったみたいに。
「くさる? ……ウルと話してると本当に分からない言葉ばっかり聞くことになるな」
「ほんとうに、すみません。けれど、腐るという言葉がないのなら、やはりこの時代では生き物は大地にかえれない可能性が大いに高いです。大地にかえるには肉体が腐って地面に同化する必要がありますから」
「……ウルが言ってることは全然わからないけどさ。……そうか、そういう風に死んだ後にも続くものがあるのなら。自分というものがなくなった後にも続く変化の中にいられる世界があるっていうなら、俺は」
驚いた。
てっきり今までみたいに拒絶されるか、曖昧に濁されると思っていたのに。こんなにもはっきりとそうであったらを口にするなんて。だけど、どうして。
夕焼けから星空へと移り変わりつつある空にローボさんの言葉がとけていく。
望まれていないなんて、死んだ後にも役に立たなければいけないなんて、そんなことどうして思うんだろう。命の輝きと、それが紡ぎだす彩は生きてこそなのに。
どうして、それをないがしろにするんだろう。私にはどうあがいても手に入れられない尊いものを、ローボさんはすでに持っているというのに。
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