使徒、来訪 3

 学舎地区にそなえつけられた立派な講堂の中に詰め込まれた学者や学徒、天文台に関わる全ての者たちは突如鳴り響いた緊急事態を知らす鐘の音について各々好き勝手に憶測をめぐらせているようだった。


 ここに来て長い者たちはまたトゥーラが何かしでかしたのではないか、と勘繰っている。


 なにせこの間の哀れなカエルはまだかわいいもので、毒霧をまき散らすウシや空を泳ぐ肉食魚など常識から外れた怪生物を生み出す、もはや原型が何だったのかわからない溶けた肉塊が研鑽地区のあちこちに流れ込む、一瞬で研鑽地区が崩壊するような天を衝く巨木を生やす、などあげたらきりがない常習犯だ。


 最近は遺跡から持ち出された遺物の観察を行っているようだが、いつまた何かしでかすとも限らないとは誰もが持つ共通の認識だ。


「って、考えてるんだろうけど残念でしたー。アタシは今回なんにもしてないから」


 ナギに抱きかかえられながら現れたトゥーラがそう高らかに宣言しても、大半の者たちは不審げに睨みつけるだけ。

 針のような視線にさらされて、実はトゥーラという学者は本当にやばい人なのではないかとウルはひっそり思った。


 疑わしげにしている学者や学徒と、生き生きとしているトゥーラの口論を止めるべくナギが仲介に入る様子をぼんやりと見守りながら、ウルはなにかがここに近づいている予感に気を取られていた。なにか、大きな力の一端がすぐそばまで来ている。

 自分とは正反対な存在のなにかが。


「ウル!」


「ローボさん!」


 人ごみの中から突然ひょっこり現れたローボに思わず駆け寄る。ローボの後ろにはこれまたいつの間にかルサルカと人魚姫の座っている車椅子を押しているラックがいた。


 とりあえず知っている存在が近くにいることに安堵したのもつかの間、講堂の檀上に誰かが現れた。その場にいるだけで目を引き付ける異次元の存在に、自然と皆が口を閉ざし視線を向ける。


 ウルもついさっきまで感じていた気配と同じそれに目を向ける。


「親愛なる我が財よ。急な招集に関わらずよく集まってくれた。今日はトゥーラ・ミエティの起こした事件による避難ではなく、我が弟たっての願いで行われる集会だ。なにぶん頭の足りぬ愚弟ではあるが根気よく話を聞いてやってくれ」


 楽しげに笑い金の髪をなびかせているニュサの隣では、金の髪を逆立てて目を刃物のように光らせている使徒が立っている。どう見ても怒っていることは明白で今にもニュサの首をへし折りそうな気配を漂わせている。


 秩序の支配者という言葉から受ける印象とはかけ離れているようにも思える2柱の使徒にウルは首をかしげる。

 

 もっと厳格かつ整然とした清廉な人物像をイメージしていたのだが。というよりも、ウルの知っている使徒という存在に該当するであろうものは実際にそういうあり方をしていたのだが。


 やはり、これもウルの知っていることとは違うということなのだろうか。


「ユサ、お前が話すといい。お前のやったこと、お前が見たこと、お前の感じたことすべて。自由にお前の思うがままに」


「うるせぇよ。感情に左右されて本能のままに動くなんざしねぇ。理性的に、あくまでも事実だけを言えばそれで十分だろうが」


 小さく2柱が会話を交わすのを講堂に集まった者たちはかたずをのんで見守った。


 使徒に会うこと自体は珍しいことでもないのだが、2柱以上そろっている場面に出くわすことはあまりないだろう。そういう意味では彼らは今貴重な体験をしているに違いなかった。


「今日の明け方、俺のナワバリにある古代遺跡に侵入し調査だ研究だとほざいたアホを厳罰に処した。テメェら、ここでどんなことしてんのかは知らねぇが『するな』と言われたことぐらい覚えてんだろうな? 古代遺跡に足を踏み入れることも、調査することも、研究することも、絶対にやるなって教わったよなぁ? 約束も守れねぇやつらが知識だのなんだのとほざくな」


 くいっと横に控えていたクナーレにユサがあごで指示を出す。クナーレは奥歯が軋むほどきつく歯を食いしばりながら抱えていた布袋を差し出す。


「これは見せしめだ。ルールを守れねぇやつはこうなるってな」


 布袋から取り出されたのは赤く染まったぼろ布をまとった死体だった。誰もがそれがどういった状態であるのかを理解できなかった。理解できるわけがないのだ。


 彼らは老衰以外の死を見たことが一度もない。誰一人としてベッドの上で穏やかに迎える死しか知らなかったのだ。だからそれが死体であることも、死の状態であることも理解できなかった。


 とうとうクナーレが泣き崩れた。彼の交流関係を知っている者たちは、人目もはばからずにむせび泣く星読みの天才の姿にそれが誰であるのかを理解できてしまった。


「シータ、たいちょう?」


 古代遺跡調査隊の隊員であるナガイは呆然とつぶやく。


 確かに厄介な上司だとは思っていた、いなくなってくれればせいせいすると思ったこともある。けれど、決してこんなことを望んでいたわけではない。


 結局、今回も好きなように行動して勝手にいろいろやって、ケロッと帰ってきてお土産といって面白いものや話をしてくれるのだと。当たり前のようにそうであるだろうと思っていたのに。


 こんなのはあんまりだ。

 それがどういう状態なのかは理解できないが、それでももう二度と当たり前の日常は戻ってこないことだけは理解できてガナイは絶叫した。

 




 クナーレの慟哭、ガナイの絶叫を皮切りにざわめきが一気に講堂中に感染する。


 目の前にさらされた理解不能なもの、理解したくない物から逃げるように次々と講堂から人々がかけ出ていく。

 一人が出て行ったあとはもうまとまりも何もあったものではなかった。


 我先に逃げだそうとする者が続出し、止めるものがいないことも相まってあっという間に講堂内には苦労せずに数えられるほどの人数しか残っていなかった。

 ニュサは舞台のそででため息をついた。


(頭を勝ち割った時点で死は確定しているというのに、さらに心臓をつぶし、その上四肢を叩き潰したのか。過剰な暴力は禁則事項を破ったことに対する罰則と脅しだと能無しは主張するが、それでは古代遺跡に触れられるのが怖かったから滅多打ちにしたと告白しているようなものだ。あぁ、あれが身内とは恥でしかない)


 己の掲げる暴力と死の象徴に天文台の者たちが怯え、逃げ惑うように見えているのだろう。満足げにしている己の同胞を冷酷に見下しながらニュサは顔を覆った。





 怯え、恐怖に硬直する者たちであふれている講堂内を見回す。二度と古代遺跡に関わろうと思わぬように、という見せしめは上手くいったらしいとユサは安堵していた。


 と、講堂内にめぐらせていた視線が一つの異物を見つける。それが目に入った瞬間、暗闇から突如伸びてきた生白い腕に喉元を掴まれたような寒気が全身を駆け巡った。


 とっさに掴み上げていたシータの死体を投げ捨てて飛び上がる。後ろで悲痛な悲鳴が上がったが、そんなことに気を取られている余裕はなかった。


 目を見開いて自分を見上げてくる赤金の瞳を今すぐ抉り出して、激痛を与えたい。透明な角も、体の各所に生えている透明な石も抜き取って踏み砕きたくなる。


 自分でも制御しきれない暴力的な衝動に導かれるようにしてユサは固く握った拳を生きた人形にたたきつけた。


「ウル!!」


 そばにいたローボがとっさにウルの体が吹き飛ぶ方向へ身を滑り込ませる。


 しかし、使徒が放った力任せの暴力の勢いに耐えられるわけもなく体が後ろに飛ばされそうになる。体を丸めて少しでも衝撃を和らげようとしたローボの背中に誰かの手が添えられる。


 ラックはピタっと止まったローボの体から手を離して重々しくため息を吐いた。


「悪い、助かった」


「……別に」


「愛想がないわね。それよりその子は大丈夫? ちゃんと生きている?」


 ルサルカの落ち着いた声に慌ててローボは慌ててウルの体をゆする。

 呻きながらうっすらと赤金の瞳がのぞいたことに安堵の息を吐いたのもつかの間、怒りの形相でユサがまた迫ってくる。


「テメェがなぜここにいる?!! セバン・ペンカン!!」


 聞いたことのない名前に各々が首をかしげるなか、ウルは目を見開いていた。

 

 もやがかかっていた頭の中が急激にはっきりと晴れていく感覚に顔をしかめながらも、何かに納得がいった様子で立ち上がる。


 赤金の瞳の中に極彩色の光が浮かび、透明な角や石も同じく極彩色の光を放ち始める。


「……戦争はタリの勝利で終わったのですね」


「テメェらは残らず破壊したはずだ。おい、ニュサ! これはどういうことだ!!」


 壇上からユサの隣まで移動してきていたニュサは緩やかに笑ったままウルの顔の前に手のひらをかざす。


「これについては後でまたきちんと説明してやろう。とりあえずはお前が解いてしまった縛りをかけなおさなければな」


「あぁ?」


「支配者の名のもとにお前に名を与える。お前はウル。ウル・カーティオモスだ。わかったら復唱しろ」


「……うる・かーてぃおもす。わたしは、うる・かーてぃおもす」


 赤金の瞳に浮かんでいた極彩色の光が消え失せる。角も、石もただの透明なそれに戻ってしまう。


 人形のように大人しくなってしまったウルをそばにいたローボに投げるようにして渡した後、ニュサはユサをほぼ無理矢理引きずって講堂から姿を消した。


 講堂に残っていた者たちも触らぬ神に祟りなし、というように誰も何も言わず何もせずに講堂から逃げるように出ていく。


「いやなものを思い出してしまったよ。まったく」


「あら、珍しく同感だわ。あなたと同じものを味わったという事実は認めたくもないけれど」


「いやぁ、相変わらず辛辣だねぇ。大丈夫だってアタシはキミを切り刻んだりしないから」


「……やっぱり、あなたは嫌いよ」


 二人がにらみ合う隣ではラックが無言で座り込んでいる。それとわかる程度には顔がゆがんでいることから、ウルが名づけを受けた光景はそれなりに嫌な出来事を想起させられたらしい。


「ウル殿の様子は?」


「今は眠ってるよ。……ユサ様が言ったのがウルの名前だったのかな」


「おそらくは。ウル殿は本当に不思議な御仁だ」


 使徒にあれだけの憎悪を向けられる存在はそれこそ秩序の破壊者ぐらいなものだろう。

 目の前で眠っている人形のようなヒトがそうであるとはとても思えないが、これまでの言動からしてもしかしたらと思わずにはいられない。


 もう思い出せない使徒が口にした名前に思いをはせながら、ローボはウルの体を抱き上げた。

 殴られて青くなっている部位にそっと手をのせる。どうか、早くこの痣が消えますように。


 ローボが切実に願うのはそれだけだった。

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