使徒、来訪 2
遺跡群調査隊の隊員であるガナイは、隊長であるシータがまた勝手に一人で遺跡群に調査に行ってしまったことを知って頭を抱えていた。
基本的に学徒も学者も好き勝手している天文台であるが、唯一出入りに関してはひどく厳しい制限が課せられていた。
外出するにはニュサに申請書を提出し許可されなければならない。しかし、ニュサに書類が渡り許可が下されるまでには短くない時間が流れる。その時間を惜しんでごくたまに研究熱心な学者が天文台を抜け出すことがあった。
もちろん、見つかれば厳罰は逃れられない。研究の形に仕上げれば好き勝手に好きなことをできる学問都市ではあるが、その分少しでも不備が見つかれば手ひどい仕打ちが待っている。
幸い、今回の調査はきちんと申請を出して許可を取っているらしい。それを確認したときのナガイの安堵の仕方といったら、世界滅亡が回避されたかのごときだった。
それでも、もしかしたらと肝を冷やす羽目になるのはどうにも不条理に思えて仕方がない。
「あぁ、なんでわたしがこんな目に」
各地に残っている遺跡にはどういう意味があるのだろうかと興味があったことは認める。それを調べたいとも思っていた。
けれど、ナガイが求めたのはこんないつ上司の身勝手な行動や不手際で罰則が与えられるのかとびくびくしながら行う研究ではない。
ゆったりと、のんびりと遺跡に行って眺めていられればそれでよかったのだ。なのに一緒にされてしまったシータというはた迷惑な学者のせいでそんな夢はついに叶うことはなかった。
こんなことなら兄と一緒に医学の研究をしておくのだった。ヤニと薬草の濃いにおいさえ我慢すれば下手にこっちに干渉してくることもない兄のそばがいかにえがたい場所だったのかを再確認しながら、ナガイは再び頭を抱えた。
一方、〈トゥーラの研究所〉跡地。ようやく小屋の基礎組が終わった空き地にて今日も青空授業が開催されていた。
「トゥーラさんってもっと問題ばかりおこす人なんだと思ってました」
手のひらを貫く石を日の光に透かしながらウルは思わず、といったようにつぶやいた。その発言に肩眉を器用に持ち上げたトゥーラは腰に手を当てる。
「んー? 誰かな、そんなこと言ってたのは。……まぁ今は資料を保存しとく場所も、研究経過を観察できる施設もないからこれしかやることないんだよねぇ」
ナギが組み立てた黒板を立てかける用の足を設置しながらつまらなさそうにつぶやく。
実のところ、トゥーラは退屈しているわけではない。
ウルとの授業は今までの常識が覆されたり、当然だと思っていたことも本当にそうなのか? という疑問が生じるいいきっかけになっている。むしろこれは楽しいものだ。
しかし、実際に自分が思いついた事柄を立証するための実験などを行う事ができないということもまた非常に歯がゆかった。
今までの功績のせいでトゥーラは研鑽地区の研究棟や検査棟に出禁になっているため、この空き地に研究所となる小屋が建たなければ何もできないのだ。
「食べたいものはまだまだあるし、レシピや材料もある程度そろってるのに厨房や食器とかを使うなって言われてる感じだねぇ。そうしている間にも食べたいこととかレシピ、材料とかはどんどん増えていって料理したい事柄だけ増えていく感じだ。いや、これはこれで有意義で楽しい時間だけどね」
いい加減欲求不満でウル君を直接食べちゃいそうだよ。
ふざけた様子でうそぶくトゥーラが、実は半分以上本気なのをナギはよく知っている。早く小屋の再建を終わらせてもらおう、と改めて強く思ったのだった。
黒板の前に仁王立ちしたトゥーラの前に大人しく膝を抱えて腰を下ろしたウルは、今日の授業はいったいどのようなことをするのか不安と好奇心がないまぜになった心境で思考をめぐらせた。
使徒と地理は昨日たいていやったので、次は生活に関することだろうか。それとも植生に関することだろうか。
「ふふーん、今日はアタシたち外れものの紹介をしまーす!」
「皆さんの、ですか? 自己紹介は初めて会った時に済ませていると思いますが」
「いやいや、名前を名乗ってよろしくねって握手しただけじゃん。それじゃあ相手のことは何にもわかっていないのと一緒。味を感じる以前に口に何を入れたのかすらわからない状態なんだから」
なぜそこで食べるという行為に例えるのかが謎だが、言いたいことは何となく理解できる。ようは挨拶をしただけで相手のことを理解できるわけがないので、この授業は無駄じゃないという事らしい。
トゥーラたち異常なものを当たり前のように受け入れているウルに何かを期待しているようでもあった。
一応納得したような顔をしたウルに満足げに笑って早速授業を始めようとした瞬間、アストラル天文台に大きな鐘の音が響き渡った。
はじかれたように顔上げたトゥーラはそばにいたナギとアイコンタクトを取ると、すぐさまウルの腕をつかんで引き起こした。
あわただしく立ち上がったウルは、耳のすぐそばにまだ残っている鐘の音に顔をしかめながら導かれるままにトゥーラの弾力のある体にしがみつく。
「ウル君、しっかりしがみついててね。あれだったらナギ君の角を掴んでてもいいよ。折れても怒らないから」
「勝手なことを言うな」
こんな時でもいつもの調子を崩さないトゥーラに呆れつつナギはその白衣に覆われたふくよかな体を抱き上げる。
横抱きにされたトゥーラの上に乗っかる形になったウルは、やはり突然のことに身を硬くするしかなかった。
「あ、あの。さっきの鐘は」
「あぁ、あれ? あれは緊急集会の鐘の音だよ。ウル君にわかりやすく言うと、なにか重大なことが起きたから全員集まれって知らせる音」
「……いったい何があったんでしょうか」
「さぁねぇ。アタシが研究所を爆発させたり、被検体を改造しすぎたりしたときも鳴ったりするから何が起こったのかは予想しにくいよ」
「おしゃべりはそこまで。ウル殿、口は閉じていた方がいいぞ。舌を噛んでしまう」
さらりと放たれた問題発言について聞くよりも早く、ナギがぐっと足に力を込める。ウルがとっさに口を閉じた瞬間、体に横殴りの突風が襲い掛かった。
霊峰アストラルに唯一いたる道、獣谷の終わりにつくられた厳めしいつくりの門の前に1柱の使徒が仁王立ちしていた。
背中に光翼の輝きを背負いながら、逆立てた髪を風に揺らして秩序の守護者は門の向こうにそびえる巨大な山を見上げた。
「霊峰、ねぇ。収監山脈の間違いだろ。なぁ?」
鼻で笑いながら自分の数歩後ろに立っている星読みのクナーレに首だけ向ける。
成人男性一人分はあるだろう布袋を背負いながら肩で息をしている星読みの天才は、血がにじむほどきつく唇をかみしめているようだった。
激しい感情も焼き焦がす心も生きているが、それを目の前の秩序の執行者にぶつける意気までは持ち上げられずにもろともに沈んでいく。
だからこそ理性を保っていることができているようだが、同時に狂ってしまった方がいっそ楽なほどの地獄も味わっていた。
「お前のオトモダチもバカだよな、ガクシャってのはもっと頭いいんじゃねぇのかよ。やるなつってんのに古代遺跡の研究だ、知識の研鑽の邪魔すんなってのぁどういう意味だ。やっちゃダメって言われたことはやっちゃダメなんだってママに教わらなかったのかよ」
「きょ、許可ならニュサ様にきちんと……!」
「あぁ? 俺の許可はとってねぇだろうが。山にこもりっきりのナマケモノの許可がなんだってんだ、あそこは俺のナワバリだぞ。許可も罰も俺が決めるし俺がやる。当然だろうが」
押しつぶされそうな圧がクナーレの両肩にのしかかってくる。
睨みつけられただけで自分とは根本的な部分が違うと叩き込まれるこの理不尽さ、暴力的なまでの圧力。
クナーレは口元を歪めて顔を伏せることしかできなかった。
「そこまでだ。私の財に危害を加えることがどういうことか、脳のないお前でもわかるだろう?」
厳めしく誰をも退ける門が錆びついた音をたてながら開く。その先にいたのは金の髪を風になびかせる天文台の長、学問都市の支配者であるニュサだった。
ギギギ、と音を立てて閉まる門を背景に楽し気に笑っている彼は、弟でもある荒々しい使徒を前にして大仰に腕を広げて見せる。
「久方の再会だ。この兄の胸に飛び込むことを許そうぞ」
「うるせぇよ引きこもり野郎。テメェを兄貴だと思った事なんざ一度もねぇ」
「相変わらずだな、ユサ。お前はお前のやるべきことを為したのだろう? ならばなぜ笑わんのだ。そう怒りに燃えることもあるまいよ。誇り胸を張ってこの兄に報告するのがお前のあるべき姿なのでは」
「うるせぇってんだよ!!」
轟音がとどろいて門の片方の扉が吹き飛ばされる。熱くなった拳を砕けそうなほど握りしめながら自分を睨みつけるユサの目に、ニュサは歓喜した。
あぁ、あぁ、もう少しだ。
もう少しでこれは壊れるだろう。
「……すまない。口がすぎたようだ」
けれど、まだ。まだだ。
これを壊すのはまだ。やるべきことはまだまだ残っているのだから。
舌打ちをしてユサも拳をひく。吹き飛ばされた巨大な門の片扉をまたぎながら2柱の使徒と、秩序の支配者の恐ろしさを身をもって知った星読みは天文台へむかった。
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