使徒、来訪 1
外れものたちのためにつくられた宿舎の一階、共用のロビーにあるクッションが埋め込まれた椅子に透明な石を生やしたハリネズミがうずくまっていた。
今日のトゥーラの授業の中で感じた違和感が喉の奥で絡まっているような気がして落ち着かない。
言語の統一という偉業についても驚いたし感心したが、正直なところそれはすでに何となくそうではないかと察していたことでもあった。だからあくまでも事実の確認であり、驚愕の事実を目の当たりにしたという衝撃があったわけではない。
本当に聞きたかったことを口にすることはどうにもはばかられて、けれどいつかは知らなければならないことだろうとも思う。秩序の世に今さら自分が起きて何を為せるというのか。きっと、それを知ることが一番大切なのだ。
と、ドアの開く音がしてロビーに狼頭がのっそりと入ってくる。ローボの顔を見た瞬間、ハリネズミはパッと顔を明るくして椅子から飛び降りた。
「ローボさんお帰りなさい」
「ただいま ウル。今日はトゥーラたちと何をしてたんだ?」
トゥーラとも仲良くしているようだが、やはり初めに顔を合わせて世話をしてくれたローボがそばにいる方が安心するらしい。
ほおを緩ませて引っ付いてくるウルにローボも自然と相好を崩す。角や石が当たらないように配慮した触れ方が浮き立つ心をさらに温かくした。
「はい。今日はトゥーラさんに使徒や地理について教わりました。やっぱり、私の知識や常識では考えられないようなことが多くて困惑してしまいます」
「俺にいわせりゃ、あんたの知識とか常識がよくわからんけどな。あ、そうそう。ルサルカのやつ海水に浸かりだしてから調子がいいみたいだぞ。学者先生たちは理屈がさっぱりわからんって首をひねってたけどな」
ルサルカのことを思い出すとまだザワザワとした感じが肌を這い上がってくるが、それは別として病の症状が緩和されたという話は喜ぶべきことだ。
シータを探す途中で聞こえてきた話だと、ルサルカが故郷の海水に浸かりたいと言い出し、ニュサがわざわざてずから運んできたらしい。
翼を持つ使徒であれば確かに南北の端にある天文台と海を数日で往復できるだろう。
「……? ルサルカさんは海に愛されているだけですよ? 普通なら海に愛された人はその海の近くから離れられないので魚になるまで呪われることはないんですけど……。ルサルカさん、よっぽど海に冷たくしたんでしょうか?」
「いや、俺に聞かれても。海はそんな風に感じたりしないだろ」
「そう、ですよね。……あ、そういえばトゥーラさんに習って地図を描いてみたんですけど、ローボさんはどのあたりの出身なんですか?」
「俺はえっと、たしか―――」
そこからはその日一日あったことについて語り合った。
トゥーラの授業が分かりやすかったこと、研究棟にはいろんな設備がそろっていること、使徒というものにあったことがあるのか、学者たちが今まで頼んできた中で飛び切り面白かったもの。
話は尽きることがなく、二人の口は止まることなく回り続けた。結局、トゥーラが乱入してくるまで二人は何かに取りつかれたようにして会話を続けていたのだった。
天文地区の奥にある展望台中央にニュサが立っている。金の髪が星の光と背中の光翼に照らされて静かに輝いている。
空を見上げてはいるものの、彼自身は星から何かを読み解く術を持っていない。ただ不変のままに輝く星々を仰ぎながら起こり始めている変化の気配を感じていた。
ふとニュサは顔を曇らせて目を鋭く細める。楽しそうな様子から一変、今にも舌打ちしそうな様子になったことにそばに控えていたケジャンは腰を浮かせた。
星に動きがあったのかと空を見上げるも、星読みの長である彼の目には切羽詰まったものは何も見えない。
「ケジャン、シータ・カイリとクナーレ・コシカを呼び戻せ」
「はっ、ただちに」
空を駆ける雷のごとく鋭い空気は、すぐにまた愉し気な空気へ変わった。
風に乗って流れてきた同胞の気配にニュサはくつりと笑う。
空に浮かぶ不変の輝きこそ世界のすべて、と彼らの父である
目を閉じて耳をすませば、多くの嫌悪と興味、混乱に拒絶と様々な声が聞こえてくる。彼は自身が治める学問都市の一部で上がり始めた産声と、同胞たちの無意識の破壊にただうっそりと笑うだけだった。
「ニュサ様、シータたちはこちらにこさせますか」
「いいや。好きにさせろ」
無事に戻れたならばその強運に祝福を。
うっそりと笑ったままニュサは賭け事のように二人の学者の今後を考えていた。
「……仰せのままに。それから、例の占い師と用心棒が中央都市でリタ様に足止めされているとの情報が」
「またか。私のやることに異議があるならば正面から言えばいいものを。自分も他人も殻のうちに閉じ込めようとするのはあれの悪いところだ。……いいだろう。シータにあれを会わせる以上、今来られても迷惑だ。丁重に扱うようにだけ伝えておけ」
「はっ」
うやうやしく頭をたれた星読みの長のはげ始めたつむじを見下ろしながら、ニュサはこれから起こるだろう更なる変化の日々に思いをはせて胸を躍らせた。
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