トゥーラ先生のためになる授業 3
「じゃあ話の続きと行こうか。使徒たちはそれぞれの都市を治め、秩序を守っていることは話したから……そうだなぁ。次はそれぞれの都市の特色をより詳しく話しておこっかな」
「特色、ですか?」
「そう。例えば教育の格差について」
ウルが目を見開く。
「学問都市アストラルは知識の蔵、世界で最も学問が発達した場所。だけど同じ使徒が治める都市でも産業都市では教育というものがない。農業や畜産とかの産業は盛んだし、それに関する経験は口伝で伝えられていたりする。けど、それがどうしてそうなるのかという理屈とか文字の読み書きとかは教えてもらえないし、そもそも考えたりもしない」
「それは、それはおかしいと思います。だって、人形じゃないんです。生きているのなら、思考できるのなら不思議に思うことや知りたいと思うことはいくらでもある、はず……です」
最後の方は声が小さくなって聞き取りにくくなったが、言いたいことはトゥーラにも理解できた。うんうんと頷いて空を見上げる。
「そうなんだよねぇ。アタシを含めたここにいる人たちはそうでもないからそこら辺の感覚はよくわからないんだよ」
なにやら考え込んでしまったウルをほほえましそうに眺めながら、トゥーラは黒板に図や絵を付け加えていく。
「情報の差はそのまま生活の差につながる。自分がどう生きるのかという人生設計という意味でね」
波が立つ水面に浮かぶ船。
ウシやブタ、野菜などを育てるヒト。
穴を掘るヒトの姿や、きらめく石。
絵や音符などが羅列された図。
「一見バラバラで、それぞれの特色が濃く見えるでしょ? まさに多様性というやつだね。けど、実際に思うほどの多様性はないんだなぁこれが」
「……それは、どういう」
「例えば、畑仕事を生業にしている親から生まれた子は畑仕事を生業にすることが生まれた瞬間から決まってる。他の職業や労働をしている人たちについても一緒。アタシたちは生まれてからきっかり60年がたつまでの間に将来を自分の意思で選択することはない」
仕事や働く環境、生き方に多様性はあってもそれは決められた多様性。
芸術を生業にする家に生まれた子どもは決して鉱山で働かないし、畑仕事を生業にする家に生まれた子どもは海を知ることなく一生を終える。
その事実に閉塞感と強い困惑を感じてウルは顔をしかめる。そんなことがあり得るはずがない、と顔に書いてあるのを見て取ったトゥーラは困り果てたような顔をしながら木の枝で黒板に描いた図をペシペシと叩いた。
「うんうん、とりあえず話を聞こうとする姿勢は素晴らしいね。けど、たまには真っ向から自分の意見を主張することも大事だよー?」
「……誰も反発したり、自分で別の道を選んだりしないんですか?」
「するよ。もちろん。だけど、そもそも自分に親と同じ道以外の生き方があることを理解できる子が少ないんだ。お隣さんが果物畑で果物を作ってても、芸術家の子はそれが自分の将来の姿に成りうるとは考えない。果物は食べるし、観察したり何かのモデルにするかもしれない。けど、自分が果物を作ったらという想像はしないし、ましてやそれで食べていこうなんて微塵も思わないだろうね。それが一人二人ならまぁ、そういう子なんだろうなと思うけど全体的にそうだと気味が悪いよねぇ」
ウルはトゥーラの言葉から発せられる圧倒的で執念すら感じる拘束感に息を詰まらせた。
全身の肌が粟立つのを感じながら、あまりの認識の差、生き方の違いに本当にここは自分がかつて生きていた世界と同じ世界なのか疑わしくなってくる。
親の背中を追って憧れているのとはわけが違う。もしそうならばそれは夢と呼ばれるもので、希望に満ち溢れた素晴らしいものだ。けれど、それは世界中のみんながみんなに当てはまることでは決してない。
本当にトゥーラの言う通りなのだとしたら、その生き方は知性ある生物の生き方ではない。糸で操られた人形と変わらない。それでは本当に生きているとは言えないだろうし、多様性があるとは確かに言えない。
「で、反発したり別の道を選ぼうとした問題児たちは例外なくこの学問都市に閉じ込められる。アタシたちはみんな、やることがないから勉強したり研究してるだけで実際のところ本当に学者になりたかったのは一握りだけなんだよねぇ」
「……まぁそうだな。実際のところここにいる学者も学徒も、学ぶこと以外のあらゆる行動には制限が付けられている。歌を好きに歌うこともできず、絵を描くこともできん。畑などつくれんし、工作も認められない。だから皆、研究と題してそれに必要な作業として己のやりたいことを正当化しなければならないのだ」
「ニュサ君は変なところでズボラっていうか、管理が下手くそだからね。禁止してることでもこれは研究に必要なんだ! って主張してちゃんと研究の形にさえしていれば口出ししてくることがないのが救いになってるよ」
それはあまりにも管理がずさんなのではないだろうか、とウルは一抹の不安を覚える。仮にも秩序を守る使徒がそれでいいのだろうか。
ふと中央地域の方へ視線を向ければ、見える範囲にいる学者たちは皆満ち足りたような顔をしている。
ウルはやっと、発表会がない理由を理解できた気がした。発表の場を作る必要などないのだ。
だって彼らは、学者という名の夢追い人。知識の研鑽を積んでいるのではなく、ただ自分がいきたいように生きるための手段として学者、研究者、学徒という姿をしているだけなのだから。
「たまーに天文台に所属せずに自分の好きに生きてる子がいるらしいんだけど、そういう子はやっぱり生きづらいだろうね。やってることが日常的に役に立つようなものならまだしも、ナギ君みたいに剣の道を究めたいとかだと村八分にされるだろうし」
「拙は決して村八分にされていたわけではないぞ! そなたが拙につきまとうから皆が離れていったのではないか!!」
「そうだったっけー? 独りだからそなたのような変態を連れ込んだところで文句を言う者もおるまい、なんて言ってた寂しい人はどこの誰だったかなー」
こめかみをひくつかせているナギを放っておいて、トゥーラは木の枝を適当に放り捨てた。
「さーて、なんか話がだいぶとっ散らかったけど今日はここまでにしよっか! 何か聞きたいことがあったら授業を続けるけど、どう?」
「……一つだけ、いいですか?」
もちろん、と頷くトゥーラをまっすぐに見上げてウルはこの授業の初めからずっと疑問に思っていたことを口に出した。
「もしかして、今の時代には一つの言語と文字しか存在しないのですか?」
「……もうちょっと詳しく」
「はい。この文字は王都の文官が使用するものですが、本来学者が使うものではありません。表現できる事柄が狭まりますし、言葉に含まれる概念的にも学者には不向きだからです。それに学者たちの公用文字はイラハの言語体系を用いることが一般的ですし、イラハであるトゥーラさんがそれを使わないのは不自然だと思います。また、ウトとイラハの言語は体系もまるで違いますし、見たところナギさんは混ざりものなしの純血のようですから外とのかかわりもなかったでしょう。そうなると初対面でいきなり会話を成立させることはほぼ不可能です」
ナギは興味深そうに目を輝かせて聞き入っているトゥーラが暴走したらいつでも止められるように準備しながら、ウルの発言は妄言の類であろうと推測する。
自分はヒトから生まれた異端児であるし、トゥーラと初めて会った時も言葉が通じないなどということはなかった。
そもそもいらはだのうとだのという名称は聞いたことがないし、文字や言語に複数の種類があるなど聞いたこともない。
過去に多岐にわたる言語があったのならばそれは当然今日まで続いているはずで、失われたなどという与太を信じるような酔狂ではなかった。
けれどトゥーラは違う。確かに、これが初めて聞いた話であっても面白いこと、興味深いこととして関心を持ち信じただろう。
だが、トゥーラがこの話を聞くのは初めてではなかった。欠けていた何かがかっちりとはまり始める感覚に笑みを深めながらウルの肩に手を置く。
「地域によって話す言葉が違い、使う文字が違った。……うん、やっぱりキミは一度シータ君に会った方がよさそうだね!」
「シータさん、ですか? ……あ、ローボさんが会いに行こうって言ってた」
「そう! シータ・カイリ。失われた古代文明があると主張し続けている異端児にして、多分キミの話をちゃんと理解できる唯一の学者。アタシがいつか食べてみたいと思う一人だよ」
目を見開いたウルと、最後の最後で余計な一言を付け加えたことに頭を抱えるナギをよそにトゥーラは胸躍る心地のままに笑っていた。
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