トゥーラ先生のためになる授業 2
天文台の研鑽地区の外れ、元〈トゥーラの研究所〉があった場所であり今は廃材の山がそびえたっている空き地で透明な角をはやしたネコが日向ぼっこをしている。そのすぐそばにはナギが座っていて、空の中を流れる雲を眺めていた。
「……どうだ」
「そうだね、ルガ君の言う通りだ。アタシも言われなきゃわからなかったよ」
「やっぱりな。あれは確実に気づいていないと思っていいのか?」
「多分気づいてないし、言ってもわからないと思うよ。きっと呼吸するのと同じように当たり前のことで特別に何か感じたり考えるようなことじゃないんだろうから」
透明な角をはやしたネコの姿が消える。
入れ替わるようにして現れた小さな花は花弁に重そうな石が生えている。
風にゆらゆらとそよぐ花がひときわ強く大きく揺れて、次の瞬間には透明な石が体から突き出た鳥が円を描くように飛んでいた。
肩にとまった石が生えた鳥に視線を向けてナギは苦笑している。その状態で会話ができているのか、鳥のさえずりに合わせてナギが相槌を打ったり言葉を発していたりするようだ。
くわえていた細い葉巻をつまみとって煙を空へ吹き付けたルガは、顔をしかめながらその光景を見ていた。
「やっぱ気持ち悪ぃな」
「ウル君をヒトだと認識するからそうなるんじゃない? アタシはアタシも含めて外れものたちはみんなヒトから派生した亜種、種としての親戚だからヒトの常識に当てはめるのは間違ってる。と再三主張してきたはずなんだけどなぁ」
「あれはヒトだ。ヒトなのにヒトじゃねぇ。だから気味悪ぃんだろうが。テメェらもそうだがな」
紫煙をくゆらせながらルガは吐き捨てる。
「ウル君やアタシたちがヒトであるという根拠は? 何をもってそう思うのか教えてよ」
「はぁ? んなもん、ヒトの形を曲がりなりにもとってるからに決まってんだろうが。ヒトの言葉を話して、二本足で直立しててヒトじゃないなんて妄言だ。あの狼人だって俺たちと同じ言葉を理解して話し、直立の二足歩行ができる。だからヒトだ。だがヒトだというにはテメェらは気味が悪すぎんだよ」
突き刺すようにはなたれる言葉の数々にトゥーラは顔を曇らせる。
「……そこまで気づいていて、なぜ一本道に戻るのかなぁ。まったく」
心底残念だと落胆した様子のトゥーラの言葉を妄言だと切って捨てたルガは、報告資料のまとめを投げつけるとさっさと踵を返した。
伝えるべきことは伝えた。語るべきことは語った。それでもやはり、トゥーラという外れものが何を考えているのかわからないことも、ウルという外れものが気持ち悪くて仕方がないということもルガの中では変わらない真実だった。
中央地域にある検査棟へ戻っていくルガを見送ったトゥーラは足元に落ちていた報告資料を拾い上げる。
神経質な細かい文字でびっしりと表面を埋められた紙の束の重さをかみしめながら、ゆっくりと二人の方へ体を向ける。
あともう少しで何かが掴み取れるような予感があった。
「ウルくーん、お待たせ!」
名前を呼ばれる瞬間、刹那の時に感じる重く狭い感覚にも慣れてきた。
自分の角に触れる手の感触に目を閉じながらウルは自分の形が一つに押し込められる感覚に身をゆだねていた。窮屈ではあるし息苦しさがないわけでもないが、嫌悪感などがあるわけでもない。ただ一抹の寂しさがあるだけだ。
と、ウルが上の空でそんなことを考えている間にトゥーラとナギが何か話していたようで。
「よし! 今日はお世話役をほっぽり出してどっかに行っちゃったローボ君に変わってアタシがキミに授業をしてあげよう! 正直古代の話とかいろいろ聞きたいけど!」
「ウル殿の知識は拙たちとはかなり違うもののようだからな。まずは情報のすり合わせを行わねば何が違うのか、細かいところまで把握はできぬ。古代の話をいきなり聞くよりは、まずこの世の理を知ってもらったうえで話してもらう方が効率がよかろう」
どこから引っ張り出してきたのか、昨日の青空教室の時に使った黒板よりもさらに大型のものを支えるようにしてナギが立っている。
その反対側にはトゥーラが石灰の塊とそれに色を練り込んだ物を数種、小さなトレーに並べて手に持っている。
「この間は白一色で味気なかったからね。味がないのはいけない。ほんとに。おいしくないからね!」
にぎやかな話声の裏側で黒板に絵がどんどん描かれていく。大雑把であるがどうやら図のようなものらしい。
「まずは使徒についてが無難なところかなぁ」
翼の生えたヒトの絵といくつかの曲線と丸で出来た図が黒板の上に出現した。
一番上にある曲線が重なっている図の横に文字が書き込まれていく。ウルはそれを見て首を傾げた。
「ウル殿、なにか気になることでも?」
「い、いえ。なんでもないです」
いぶかし気にしているナギの視線を感じながらウルは黒板を見上げた。今はとにかく話を聞いてみなければ。
「さて! 今から授業を始めまーす。きりーつ……は、いいや。ローボ君が話してくれたこともあるだろうけど、基礎の基礎から始めていくよ」
石灰の塊を置いたトレーを一度地面におろして、近くに転がっていた木の枝に持ちかえる。黒板の中央、広い楕円形で囲まれたあたりを示しながらトゥーラは授業を始めた。
「まずこの世には秩序を守る6柱の使徒と呼ばれるものがいるんだ。秩序とはいっても実際に何を守っているのかはよくわからない。というか秩序ってそんな大雑把な概念を守ってると言われてもねぇ……って感じ。まぁその話はまた今度にして、とりあえず使徒という存在がいること。そしてこの使徒が実質世界の支配者であることだけわかっていれば問題ないよ」
「世界の、支配者……ですか?」
「そう。支配者」
ウルの問いに大きく頷きながらトゥーラは図の中に描いた5つの四角を示す。
「そして6柱の使徒はそれぞれ一つの都市を治めているんだ」
中央に広がる草原地帯のど真ん中にあり、芸術が発達してる中央都市ファーヒル。
南に広がる海のそばにあり、海産物や造船が有名な海洋都市プラリーフ。
西の鉱山にあるあらゆる鉱山物資を担う鉱山都市マルティ―ジョ。
東の穀倉地帯にあり、産業と呼ばれるあらゆるものの中心でもある産業都市ソステーニョ。
そして、北にそびえたつ霊峰アストラルにつくられた学問都市アストラル。
それぞれが特色を持ち、重要な役割を持つ都市である。
これらの都市の周囲に散在する集落や人里離れた地域にある集落もあるが、それらの集落もそこから一番近い都市の特色に影響を受ける。
「ここでたいていの学徒がつまずく要チェックポイント! よく穀倉地帯と草原地帯をごっちゃにして覚えちゃう子がいるけど、それは絶対にやめましょう! 草原地帯とは言ってるけど、皆が思い描くような緑の草花が大地を一面に覆って揺れているー、なんて情景はまったくないので」
草原地帯と書かれた広い楕円形と右側に書かれた穀倉地帯を交互に示しながらトゥーラが楽しそうに解説を続ける。
地続きの大地で、同じ空の下にあるというのに地域ごとに特色が分かれる。その事実が心底面白い、と。
「草原地帯は雨が少なく、土壌もそこまで肥えてないんだ。だから乾燥に強くたくましい数種の雑草しか生えない。逆に穀倉地帯は雨もよく振るし土壌も肥えてる。青々とした草原はこっちの方が見られるだろうね」
「しかし、なぜ雨の量が変化するのだ? 特別、草原地帯と穀倉地帯に地理上の差異はないと思われるが」
黒板を支えているナギがふとした疑問、といった体で問いを投げかける。それにバチンとウインクをしてトゥーラは楽しそうに石灰の塊を持ち上げた。
「お答えしましょう! ズバリ、草原地帯が山に囲まれてるからでーす」
黒板の端に図が追加される。周囲を山に囲まれたへこんでいるように見える地形の図だ。そのへこんでいる部分に草原地帯、山の向こうにある平地に穀倉地帯と書かれている。
「詳細は省くけど、この山のせいで草原地帯と穀倉地帯の雨の量が大きく変わっちゃうんだ。幸い深刻な水不足にはなっていないけど、やっぱり食べ物とかを育てるのには向いていないね」
そこまで解説したトゥーラはさて、と木の枝を手のひらに打ち付けた。
「さてさて、ここまでで質問はあるかな? 気になることとか、次は何について説明してほしいとかの要望でもいいよ」
「あ、あの……その」
言葉に詰まる自分が何か言えるまで待つつもりである空気を感じてウルは余計に何を言うべきなのか迷ってしまう。聞きたいことは山ほどあるし、言いたいことも山ほどある。けれどそのうちの一つでも口に出せば、きっとまた……。
「な、なにもない、です」
「……そっかぁ。聞いてみたいことができたら言ってね」
苦笑するトゥーラを直視できずうつむいてしまうウルの様子に既視感をおぼえてナギも苦笑した。おそらく考えていることは違うだろうが、学徒たちの中に似たような反応をする子どもはそれなりにいるものだ。
二人とも、こういう時は深く突っ込まない方がいいことは知っているのだ。
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