シータ・カイリを探せ 1

 鉱山都市マルティ―ジョから南に離れたところにある小さな集落に、細工師の夫婦が暮らしていました。

 夫婦は長い間子どもに恵まれず、日々新たな命を授かることを願い続けていました。


 そんなある日、ついに夫婦は念願の新たな命を授かることができました。

 小さな集落でしたから、その報せはすぐにみなが知ることとなり誰もが喜び祝福を口にしました。


 生まれてくるのは男の子かしら、いいや女の子かも。

 あなたに似ているといいわ。お前に似ている方がいい。


 日に日に大きくなっていく奥さんのお腹をなでながら、旦那さんは幸せそうに笑っていました。

 しかし、夫婦がそれ以上幸せになることはなかったのでした。




 名前もない小さな集落に引き連れた悲鳴が響き渡る。この世のすべてに絶望したかのような悲鳴は聞く者の心を陰らせ、不安にさせる魔性の響きを持っていた。


 家の外で待っていた夫はそれが妻の叫び声だとすぐに理解し、慌ててドアを開けて家の中へ駆け込む。


 今日は彼と彼の妻の間に芽生えた新たな命が生誕する日であり、本当ならばこんな悲鳴が聞こえてくるはずがないのだ。一体何があったのか。妻も、子も無事なのか。


 夫は心のうちを埋め尽くす大きく暗い影に飲み込まれないようにわざと大きく足音を立てて出産がおこなわれている部屋へ飛び込んだ。


 ベッドに寝かされた妻が白目をむいているのを見つけて思わず叫ぶ。


「マードレー!!」


 駆け寄って肩をゆすっても、頬を叩いても、名前を呼んでも妻は一切反応を返さない。

 尋常ではない恐怖の表情で失神している妻の肩を抱きながら夫は部屋につめていたはずの助産師の姿を探した。赤子の泣き声は聞こえなかった。


「おいお前! マードレ―と子どもをどうしたんだ!!」


 部屋の隅で助産師がうずくまっているのを見つけた夫は怒鳴りつける。けれど助産師は抱え込んだ膝に頭をこすりつけて顔をあげようとしない。

 衣擦れの音がする。大げさなほど震えている助産師の様子に何かがおかしいことに気づいた夫は、ゆっくりとベッドの近くに置かれた台の上に視線を向けた。


「……は?」


 ぽかん、と口を開けた滑稽な顔をさらした夫はしばらくそのまま動けなかった。


 おそらくそこはとり上げた赤子をのせるための台なのだろう。清潔な真新しい布が置かれているし、そのすぐそばには助産師が使ったのだろう道具や湯が張られた桶も置かれていることから間違いはない。


 しかし、そこにいるのは毛むくじゃらな何かだった。濡れた毛玉だった。


 頭の上についた耳、長く縦に伸びた鼻と口、短い尻尾。


 それがなんであるのか、そして何であるのかを理解した夫は全身で絶叫した。





 アストラル天文台には様々な学問の研究をしている学者が存在する。たいていの学者は自分の趣味ややりたかったことをなんとか研究という形に押し込めて体裁を整えているが、中にはきちんと学者をしている者もいる。


 シータ・カイリは天文台でも数少ない学者になりたくて天文台に来た学者だった。


「シータ? あぁ、あいつなら……ってあれ? どこ行った?」


 もぬけの殻になっているスペースを見て目を丸くする学者は、どうやらシータの居場所どころかどこに行ったのかすら知らないらしい。


 やっぱりか、と内心でうつむきながらローボは情報提供の礼をした後すぐにその場を去った。

 頼みごとをしたいと相手の顔にははっきり書いてあるし、正直なところ聞いてやりたいところはある。が、聞いてやれない。ならせめてその場を一刻も早く去ることが一番だろう。


 全部片づけた後ならともかく今は別の優先事項があるのだから。


 振り向いてとどまってしまいそうになる自分にそう言い聞かせながらローボは駆け足で研究室を出た。


 ローボは今、ウルのお世話役を任された身として必要だと思うことを為すためにシータを探していた。


 どう考えてもおかしなことばかりの、自分よりも輪をかけた外れもの。

 だが、その言葉の意味を理解してやりたいと思った。


 ウルの知識は間違っているのかもしれないが、それを正しいのではないかといってくれる誰かを見つけてやりたかった。あわよくば、同じ視点で同じ物事を語れる誰かを。


「……俺が、理解してやれたらいいのにな」


 そうすれば、俺にも少しは―――。そんな埒もあかないことを考えながらローボはシータが近くにいないかと宙を嗅いでみる。

 古い物を研究する学者だからか、どこか埃っぽい独特な臭いの学者だ。近くにいればすぐにわかる。


 しばらくフンフンと鼻を動かしていたが、結局においの残滓すら見つけることは叶わなかった。


 ため息をつきながら、うつむいて瞳を揺らしていたウルの姿を思い出す。


 この世にただ独りであるという事実を共有することはできるが、自分にない知識や常識を共有することはできない。

 なによりウルの話を聞き続けるだけの度胸がローボにはなかった。


 ちっぽけで頼りない自分がさらに小さく見えない空気のようになってしまうような気がしたからだ。

 シータが研鑽地区のどこかにいてくれることを願いながら、ローボはひとまず片っ端から探していくことにした。




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