異常であって異常でない 3
車椅子に腰掛けたルサルカとその背後にいたラックがそろって涙を流して痛みにうめいている様子を、トゥーラが興味深そうに観察している。
陸を歩くよりも激しい痛みでありながら、決して不快なわけではないこの衝撃と苦痛の中でルサルカはぶしつけな視線の主を睨みつける。
海色の瞳が涙にぬれて美しい。
「他人の苦しんでいる姿を見て喜ぶなんて」
「喜んでないよ。面白いなって見てただけだから」
ヘラリと笑っておそらく自分と同じような現象に見舞われているルサルカをじっと見つめる。けれど、ルサルカは無遠慮な視線にこみあげてくる吐き気を飲み込んで憎まれ口をたたくことが精いっぱいだった。
「なおさら悪いわね。本当に悪趣味で下品な猪ですこと。呪い殺されればいいのに」
「そうなったらそうなったで面白そうだなぁ。呪いで殺されるってどんな感じなんだろうねぇ。あ、呪いの怨霊とかがアタシを食べてくれるかも?!」
ラックは呻きもせず微動だにもしていないが、トカゲの瞳から流れ出す涙は果てがない。いつもより割増しで表情が浮かばない顔は真っ白だ。
そうなるだろうな、と予想していたローボはトゥーラとルサルカの睨みあいにオロオロとしているウルをそっと自分のそばに引き寄せる。
トゥーラはともかく、ルサルカもラックも何かをしでかすようなタイプではないが何となくそうした方がいいような気がしたのだ。
しばらくたったころ、ようやく涙と痛みが治まったルサルカはじっとウルを見上げる。
「それで、あなたが例の可哀想な子?」
「……かわいそう?」
「えぇ。あなたも可哀想。見知らぬ場所、見知らぬ人々の中にいきなり放り込まれて。好き勝手に検査されて、体の隅々まで観察されて気持ち悪いって捨てられる。本当に可哀そう」
四肢に絡みつくような声で憐れみを口にするルサルカ。その声を聴きながらウルは密かな期待と予感に胸を満たしていた。
「あ、あの。もしかして、あなたは海に選ばれたんですか?」
「……何を言ってるのかしら? 可哀想に、夢と現実の区別もつかないのね。私のこれは〈人魚症候群〉という病よ。体が徐々に魚になるの」
水底のよどんだ影を宿した瞳にがウルを覗き込まれむ。ウルはきょとんとした後、ほとんど魚に成りかけている脚を眺めながら小さく苦笑した。
「……? 違いますよ。あなたの声に聞きほれた海が自分と共にいてほしいと願っているんです。塩水、特にあなたに惚れている海の海水に浸かっていれば魚になることはありません」
「なにそれ?! ウル君、詳しく!!」
「……とんだ空想好きの子どもが来たものだわ。可哀想に、海が声に聞きほれる? そんなことあるわけないじゃない。与太話もここまでくると笑えないものなのね」
興奮気味のトゥーラと対照的にどこまでも冷たく冷静なルサルカはラックに自室へ向かうように指示を出す。
「夢にいきたいなら、次に会うときはもう少しましな嘘を考えることね」
嘘じゃない。
ウルがそういう前にルサルカはその場からいなくなってしまった。
「私、何か怒らせてしまうようなことを言ったのでしょうか」
「悪い、俺も正直よくわからないんだ」
「ルサルカ君はひねくれてるからねぇ。ウル君の話も素直に聞けないんだよ」
「むしろそなたがおちょくったせいで余裕を保てなかったのだと思うが……。ともかく、安心してくれウル殿。ルサルカ殿は癖はあるが悪い方ではない。今回は虫の居所が悪かったのだろう。挨拶はまた後日、この猪女がいない所ですればよい」
結局、その日ルサルカがそれ以降部屋から出てくることはなかった。
それから数日後、海洋都市プラリーフのとある港町からとってきた海水にルサルカが浸かったところ、目に見えて症状が改善したと報告があり学者たちは騒然とした。
何でも本人たっての希望だったそうだが、なぜそんなことを言いだしたのか本人に聞いても曖昧な返事しか返ってこない。
結局なぜその海水に浸かった途端症状が改善したのか、なぜそんなことを思いついたのかは誰も知ることはなかった。
「……これ以上、あの子をあなたたちの玩具にするわけないじゃない。今でも十分可哀想なんだから」
ぬるい海水に全身を浸しながらルサルカは宙に向けてつぶやいた。部屋の隅でそれを聞くともなしに聞いていたラックは静かに目を閉じた。
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