異常であって異常でない 2
ナギとトゥーラが突如襲い来た衝撃から立ち直ったころをみはからって、改めて自己紹介をする。
「初めまして、この天文台の支配者であるという使徒からウルと名前をいただいてます。えっと、〈始まりの神殿〉? という場所から連れてこられたそう、です」
〈始まりの神殿〉と聞いてもともと輝いていたトゥーラの目がさらに輝く。口の端からよだれがたれているのは決して見間違いではないだろう。
「あぁ!! キミが謎の遺跡群の遺物かぁ! 石が貫通してるみたいだけどなんでその手は動かせるの? その足は? なんで喋れるの? あぁ、実にいい、いいよ! ねぇねぇ、キミを、いったぁ?!」
「そなたは少し黙っていろ」
常人離れした俊敏さと怪力で脛を蹴り飛ばされて飛び上がったどうしようもない相棒を睨みつけながら、ナギは嘆息した。
なぜこの変態学者はこうも己の欲望に忠実なのか。黙っていればそこそこ美しい見目をしているし、膨大な知識や明晰な頭脳は確かなものだというのに。
「ンン! ……ナギ・カクキと申す。ウル殿、そなたはあまりこやつに近づかぬがよろしいだろう。厄介ごとしか引き起こさん上に平気で巻き込んでくるからな」
先ほどまで自分に向けられていた視線を思い出して身震いするウルと、実際に経験があるのか遠い目をするナギとローボ。やけに周囲の学者たちの話声や風の音が大きく聞こえた。
と、そんな空気は関係ねぇ! といわんばかりにトゥーラが起き上がってウルの肩を掴んだ。
「大丈夫! ナギ君の話は真に受けなくてもいいから!! まったくナギ君ってば本当にひどいよねぇ、こんな美人を捕まえておいて猪女だなんてさ! ちゃんとトゥーラって呼んでよ! それに、アタシが猪だって言うならナギ君は鬼だよ、鬼! アタシの邪魔ばっかりするし、晩御飯のメインを消し炭にするし! あげくの果てにアタシの体を貪るだけ貪って自分は全然モガガ」
「果てしなく誤解を生む発言をするな!!! そもそもそなたが勝手に食べるよう迫ってくるのではないか! 拙は被害者だ!!」
「ンムー! ムムム、ムフーム!!」
ナギは顔を真っ赤に染めながら慌ててトゥーラの口をふさぐ。これ以上誤解を招く発言を繰り返されては、この変態学者ではなく自分が変態のそしりを受けてしまう。それは断固として防がねばならない事態だ。
じたばたと暴れるトゥーラを腕力で抑え込んで黙らせたナギは、重々しくため息をついてローボを見上げた。
「して、ローボ殿はいかなる用件で?」
「え、あ、あぁ。ルガ先生がウルの検査とか観察は変人に頼めっていうから、その、とりあえず声をかけてみようと思ったというか」
「……失礼を承知で言うが、なぜそんなに目に見えて明らかな人選ミスをしたのか理解に苦しむな」
渋面を作った角の生えた青年の苦々しい言葉に目をそらして、ローボは首回りの毛をかきながら頭の上にある耳を伏せた。
「一応、他の外れものにも合わせといたほうがいいかなと思ったんだけど……人選ミスの件は本当にそう思うよ。けど、俺が知ってる中で一番知識が豊富で、一番ウルにもわかりやすく説明してくれるのはトゥーラだけだからさ」
力なく伏せられた耳とうなだれる尻尾にならうようにナギも頭を下に向けた。
ウルを研究対象として見るのは他の学者もトゥーラも変わらない。けれど、この耳長の変人学者は誰に対してもある意味で平等であり、同じように接してくれる。
疑問に思った事にはこたえてくれるし、自分勝手に進めるにしてもこちらの話もまぁまぁ聞いてくれる部類に入るのだ。この事実を初めて知った時は認めたくなかったが。
ナギに押さえつけられているトゥーラの顔を覗き込むようにしてウルがしゃがみこむ。
「あ、あの、トゥーラさん。私は、その……異常なのでしょうか?」
「いんや別に?」
口の拘束を外されたトゥーラはその切実な問いかけに実にあっさりと答えを返した。
澄んだ翡翠が強く静かな光をたたえている。
「アタシも、キミも、ナギ君もローボ君も、ここにいないけどルサルカ君やラック君も。たまたまこの形に生まれついて、世界の中でもごくごく少数の集団になってしまっているだけ。それは異常なんじゃない。命の可能性、世界に秘められた可能性ってやつだよ」
「で、でも、ルガさんは私が異常だって」
「そりゃあヒトのくくりで見たら異常そのものだからねぇ、アタシたち」
「……? さっき異常ではないと」
「うん、異常じゃないよ」
首をかしげるウルを見上げて穏やかに笑う。いつの間にかナギはトゥーラの上からどいていて、ローボと一緒に耳を傾けているようだった。
白衣についた草や土をはらいながら立ち上がって大きく伸びをしたトゥーラはゆるりとウルの角をなでた。
「おぉ! ナギ君のとは違ってツルツルだねぇ! ナギ君の角は爪だけどキミの角はどうかな。ちょっともらってもいい?」
目を輝かせるトゥーラにナギはそっと己の角に手を当てた。ざらりとした感触と一部が小さく欠けているそれに苦い表情になる。
「どうかしたのか?」
「いや、なにも」
握ったり、こすったり、叩いたりと触感や硬さを確認しながら透明な角を覗き込む。さらに喉、手、足を貫いている透明な石を覗き込む。
「へぇ、すごーい! 本当に貫通してるんだ! 指は動かせるんだよね、どういう感覚なの? いや、それよりなんで喉がつぶれてるのに喋れるのかな?」
「え、えっと……」
「ん? アタシなに話してたんだっけ? えーっと、あり? なんの話をしてたんだっけー? ……あー、そうそう。キミは異常じゃない。ただヒトじゃないってだけ。アタシたちもだけど」
突然質問攻めを始めたかと思うと、異常かどうかという話の続きを始めるというマイペースぶりを発揮しつつ会話が続いていく。
ほぼ一方的なものだったが、それでもウルは心が少しだけ落ち着く気がした。
「今の常識に照らすとヒトではないことは異常なのだと思われますが、あなたはヒトじゃないことは異常ではない、けれど異常でもある。と言うのですか?」
「トゥーラ、それは俺も当てはまるのか? 狼の姿をした俺でも、異常じゃないってあんたは言うのか?」
「もちろん。そうだよ」
トゥーラはなんと言うことはないというようにうなずきながら、廃材の山の中を探りだす。
木材の木っ端の山の中から引きだした黒板と石灰の塊を手にきらりと目を光らせるトゥーラは、ウルとローボを自分の前に座らせてひそやかな授業が開始した。
「イノシシとかオオカミ、カエルみたいにヒト以外の生き物はいくらでもいるのに、それらを異常呼ばわりする学者はいない。それはヒトという種と同じように、多くの個体が同じように存在して群れを形成しているからなんだ。もしくは明らかに無理のない理屈でその生態を説明できるからかもしれないけどね」
唯一無二ではない、理屈をつけられるということはそれだけで異常でないと判断する要因の一つになる。とトゥーラは断言した。
「は、はぁ」
「……そう、なのか?」
釈然としない様子の二人と興味深そうに聞いているナギの視線を一身に受けてトゥーラは楽しそうに黒板に絵を描いていく。
イノシシやオオカミ、ヒトの絵の横に耳が長いヒトや角をはやしたヒトの絵が追加されていく。
「その点、アタシたちは個人で一つの種を形成している。この世で唯一無二の存在であり、アタシたちと同じ特徴を持つ個体の群れもいない。それになにより、ヒトに似通った姿をしているのに道理では測れない力を持っている」
角をはやした男が岩を砕く絵や、足が魚に成りかけている女が歌っている絵が付け足されていく。
「じゃあ俺がヒトの姿だったとしても、異常扱いされたってことか」
「……ローボさん?」
隣からかかってきた声にローボは慌ててだらりとたれてしまった耳と尻尾をぴんと立たせた。眉尻が下がった顔を見下ろして笑って見せる。
今大事なのはそんなことではないのだから。
「人は理解できないものを怖がるからねぇ。どう考えてもアタシたちはヒトから派生したものだけど、ヒトにはない特徴や固有の能力を持ちすぎてる。だから自分たちの亜種、もしくは遠い親戚のようなものだとわかってはいても認められない。無害であるかもしれないと思ってもそれを信じられない」
だから異常だと言われるんだよ。
そう締めくくられて終わった授業の内容は、ローボ自身考えたことのないものだった。
無言で授業を聞いていたナギが不信そうに口をはさむ。
「つまり拙たちはヒトとして見た場合は異常そのものであるが、生き物としてはまったく異常ではない、ということか? しかし、知性あるものがヒトの形をしていない時点で異常だと拙は思うぞ。いや、形だけではない。中身、つまり持っている能力もヒトから外れていれば、ヒトと似通った姿かたちでもそれは異常だ」
なにせ自分たちと同じようなものが過去に存在したことはない。
それはつまり、自分たちは世界に今までも、これからも存在するはずのないものであるということに他ならない。
眉間にしわを寄せてあくまで自分たち外れものは異常であると主張するナギを無視して、トゥーラはウルの赤金の瞳を覗き込んだ。
「……ところで、ウル君は古代文明の遺物だったね。そこら辺の認識は古代と異なっているのかな?」
純粋な問いにけれどウルは即答できなかった。
自分が知らなかっただけ、自分が間違っているだけで、もしかしたら初めから自分の知覚していた世界などなかったのかもしれない。胸の奥底で渦巻く粘り着く泥のようなよどみに足を取られてあるはずの記憶がうまく思い出せない。
大きく見開かれた目があちこちにさまよい、呼吸が浅く速くなる。
今と昔で認識は本当に違っていたのか。自分はちゃんと正しく世界を知覚できていたのか。
「な、なぁ! えっと、と、とわぎわ? とか、いらは? ってやつが何かわかるか?!」
ウルが目を見開いて自分を凝視していることにすら気づかずに、ローボは必死に答えが出てくることを求めてトゥーラに問いかける。
「山を削ると山の王が怒るのはなんでだ? 山の王ってなんだ? よもやってどんな生き物だ? きむむはどこにいるんだ? なぁ、一つくらいわかるだろ?!」
「ローボさん……」
「ちょ、ちょっと待って! えーと、えー……なんかシータ君がそれっぽい単語を言ってた気がしなくも……うーん……」
「思い出せ! 今すぐ!!」
「ローボ殿、落ち着かれよ。そなたがそこまで誰かに迫るとはらしくもない」
今にもトゥーラにかみつきそうになっているローボの襟首をつかんで引き寄せたナギは、珍しいものを見る顔をしていた。腰を浮かせたウルはそのまま硬直してしまっている。
記憶の片隅に何か引っかかっているような気がして思い出そうとしているトゥーラを睨みつけるようにしながら、ローボは返答を待っていた。一つだけでもいい。何か知っていると言ってほしい。
「えーっと、……」
「……山の王とは、山の主のことか?」
「何か知ってるのか?!」
ためらいがちなナギに食いつくようにローボが叫んだ。勢いに押されたナギが一歩後ずさりながらぎこちなく頷く。
「山の主というのは一つの山に必ず一体の山の主がいて、森を守り管理しているというおとぎ話だ。確か……山の主がいる森は命の循環が正常に行われ、森に害をなす外敵も悪さできない、という話だったと思う」
ばッと持ち上がったウルの顔を見たローボは、それが求めていたものだと直感した。
続けてトゥーラも何か思い出せたのか大きく声を上げた。
「あぁ! 思い出した! たしか、山の王っていうのは古代の人々が信仰していた守り神的なものだってシータ君が言ってたよ。なんでも、〈始まりの神殿〉を含む謎の遺跡群に残されていた石碑とか記録媒体にそんな感じの話があったんだって」
「……そっか、そっかー」
さらにトゥーラもつい最近同僚から聞いたという山の王の話をする。それを聞いたローボはヘタっとその場に座り込んだ。一気に脱力感に襲われるが、まだやるべきことは残っている。
「てことは、ウルが知っていることは古代に実際にあったものなんだな。俺たちが知らなくて、学者先生たちも知らなくて、誰も彼も忘れてるだけで、本当にあったことやものなんだよな」
「ローボさん」
「いや、山の主の話はあくまで」
「そうだね! そうだよ! 今まで見つからなかった〈始まりの神殿〉があったくらいなんだ。他にアタシたちが知らない事、見つけられていない事なんていくらでもあるさ!!」
目を輝かせて語る腐れ縁の相棒にナギはそれ以上否定的なことは言えなかった。
明らかにトゥーラやローボの言わんとしていることは世の理と矛盾しているしあり得ないことであるが、それでも少なくともローボが誰のためにそう主張しているのかを察してしまった。
だから頭ごなしに否定することはできない。肯定もしないが。
「ウル、俺がシータ先生に会えるようにするからさ。一緒に話を聞きに行こう!」
ウルの手を取って立ち上がらせたローボは尻尾を大きく揺らしながら嬉しそうに笑っている。赤金の瞳にあった陰りは消えていた。
「あ、じゃあアタシも一緒に」
「そなたは研究所の再建が先だ」
どさくさに紛れて一緒に行くと宣言しようとする変態を捕まえながら、ナギは久しぶりに晴れ晴れとした気分だった。
結局古代との認識の差がなぜ生まれているのかはわからないが、今になくて古代にあったものがあるかもしれないということは何とも言えない解放感を伴っていた。
断絶させられていた道のかけらが見つかったような、目隠しの隙間が少しできたような。
そんな小さな解放感をおぼえたことに苦笑しながら、ナギはひとまずトゥーラの口を手拭いでふさいだ。
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