あり得ないモノ 2

 研鑽地区の中央から少しずれたあたりにある検査棟の前に立ったウルは、自分に注がれる視線の多さに面食らっていた。

 自分の研究に没頭している学者もいるようだが、大半の者は窓にへばりつくか外に出てきてウルを一目見ようとしている。


 頭から生えた透明な角だけでも目を引くが、両手両足、さらに喉も透明な石が貫通しているとあっては一体あの体の中身はどうなっているのかと誰でも気になるだろう。


「あまり気にするなよ。俺もここに来たばかりの頃はものすごく見られた。俺たちの通過儀礼ってやつだ」


 数歩離れた先で検査棟の窓から覗いている学者たちを懐かしそうに見上げた後、振り向いて苦笑したローボを見上げてウルはぎこちなく頷いた。


 確かに、今までの断片的な情報を組み合わせると、ローボの姿かたちは珍しいどころではないだろう。ここにいる人々にとっては野にいる獣がヒトと同じように動き話しているとしか見えないのだから。


 そう言われてしまえば珍獣という意味では自分もそうなのかもしれない。ウルは一人で勝手に納得した。




 初めて踏み入った検査棟の中はごく普通の建築物と変わらなかった。あえて言うならばツンとした特徴的な臭いがするくらいで、構造や材質自体に特別な何かがあるわけではないらしい。


 迷うことなく進むローボの後をついて行きながら部屋から顔をのぞかせたり、廊下ですれ違いざまに自分を見ている学者や学徒にチラリと目を向ける。

 目が合うとすぐに引っ込んでしまうか目をそらされるが、嫌な感じはしない。あくまで興味深い対象、という認識なだけで一瞬想像した排他的な空間ではないらしい。


 そのことを実感したウルは詰めていた息をそっと吐いた。ローボの言葉を疑ったわけではないが、それでもいっそ執念すら感じるほど1種族だけで構成された集団の中に放り込まれる怖さはぬぐえない。


「ついたぞ、ここだ」


 少し早足だったローボがある部屋の入り口でぴたりと止まる。

 ドアの横には〈ルガ・エッカン〉と書かれた札がかけられている。どうやら部屋の主の名前らしい。


「あー。先に言っとくけど、ここの学者先生は決して悪い人じゃないし怖い人でもないからあんまり怖がらないでくれな」


 言っていることが矛盾している気がしなくもないが、とりあえず素直にうなずいた。それを確認したローボは丁寧な所作でドアを軽くたたく。

 ほんの数秒、静寂がおりたあとドアが内側からゆっくり開けられる。


「だれ。つーかなんのよう?」


 突き放すような物言いをしながら上背の高い黒い影がぬっと出てきて、ウルは思わず一歩後ずさった。ぼさぼさの頭と目元の濃い隈、よれよれになった白衣が特徴的な学者だ。


 しかし、ウルが一番気になったのはドアの向こう側から漂う独特で強烈な不快臭だった。文字通りオオカミであるローボはさぞつらかろうと見上げれば、意外なことに臭いにひるんだ様子はなかった。


 キムヌの中でも一部の感覚だけが獣ではなくヒトに近いものはいたが、彼もそうなのだろうか。


 ウルがそんなことを考えていることに気づくはずもなく、ローボはギラリと目を光らせている学者にひるむことなく挨拶をしていた。


「おはようございますルガ先生、ローボです。ウル……えっと、〈始まりの神殿〉の遺物を連れてきましたよ」


「あ? 遺物? なんで遺物がうちにくんだよ。そういうのは変人の巣にでも放り込んどけよ。だいたい、こっちは昨日の騒ぎのせい、で……」


 とげとげしい物言いで拒否したルガだったが、ローボの後ろに立っているウルを一目見た瞬間目を見開いて固まった。

 じっ、と何を言うでもなくするでもなく見つめられるだけの状況にどうすればいいのかわからずローボを見上げる。


 その意図を正確にくみ取ったローボが恐る恐るルガの体を揺らした。


「あのー、ルガ先生? どうかしましたか? 先生?」


 と、突然ルガがその場にしゃがみこんだ。心配の声は耳に入っていないようで、返事どころか何の反応も返さない。


 さすがに誰か人を呼ぼうかとローボが周囲を見回した瞬間だった。ルガがいきなり、電光石火の動きでウルの足を掴んで顔を近づけたのだ。


「ひっ!」


 反射的に足をひこうとしたウルだったが、見た目に反してすさまじい力で押さえつけられて動けない。


 目を見開いたまま動けない二人など眼中にないルガは、真剣な表情で石が貫通した足でも歩けるようにと急いで作ってもらった裏側の一部がなくなっている厚底のサンダルをしげしげと眺めている。

 いや、正確にはおそらく足を貫通している透明な石とその周囲の肉付きなどを観察しているのだろう。


 足の観察が終わったのか、次は手首を掴んで手のひらを自分に向けさせた。足と同じく大きく透明な石が貫通した手の平と甲を見比べながら何かをつぶやき始める。


「……これは……爪、いや……あれの角とは……」


 こわばった表情で自分を見上げてくるウルに力なく首を振ってローボはため息をついた。

 こうなってしまってはルガの気が済むまで好きに観察させるしかない。もし邪魔をすればどうなるかは、トゥーラが騒動を起こすたびに見ているのでよく知っている。


 遠い目をしているローボに自分を助ける気がまったくないことを察したウルは、どうにか放してもらえないか体を動かそうとする。

 が、そのたびにすさまじい形相で睨みつけられてしまう。ヘビに睨まれたカエルがどういう気分になるのか。知りたくもないことを身をもって知る羽目になってしまった。


「おい、てめぇ」


 喉を触っていたルガが独り言ではなく明確な呼びかけをしてきた。それだけで体に入っていた力が抜ける気がする。


「何かしゃべってみろ」


「え、あ、はい。……えっと、一体何を」


「もういい、黙れ」


 なにか得るものがあったのか、今度は口を開けさせて喉の奥を見ているようだ。

 その後、再び首回りと喉を貫通した石を触り始めた学者の真剣な表情にウルは抵抗することをあきらめたのだった。


 頭の角の観察が終わったあたりでようやくローボが声をかける。


「ルガ先生、そろそろ部屋に入りませんか?」


 小さな人だかりができた周囲を見回しながら、ルガは舌打ちを一つして部屋の中に引っ込む。そのあとをついていくローボの後を追いかけながら、ウルは鼻にしわをよせた。





 ルガ・エッカンの研究室の中はヤニと薬品の濃い臭いが混ざり合った独特で強烈な臭いが充満した部屋だった。

 隠すことなく盛大に顔をしかめるウルを見やりながら、ローボはこの部屋に初めて入った日のことを思い出して苦い気分になる。

 あの時は本当に鼻をもぎ取って捨てたくなったものだ。


 今はちょっとした小細工をして嗅覚をつぶしているおかげで問題はないが、まともに嗅覚が残っていたら確実に失神するか意識が飛ぶだろうことは経験上よく知っていた。

 

「ルガ先生、窓開けますね」


 部屋に入るなり、再びウルの体を隅から隅まで観察しつくそうとしているくたびれた格好の学者が答えるはずもなく、ローボはほぼ無断で研究室の窓を開け放った。途端に空気の動きが薄かった部屋に透き通った風が吹き込んでくる。


 こもった臭いが少しだけ薄くなったのか、あるいは外の空気が入ってきたことを感じ取ったのか。ウルはひたすら窓の方を見て呼吸をすることだけ考えているようだ。


「動くな」


 短く命令されてすぐに臭いのきつい方を向かされてしまったが。

 




 ルガ・エッカンはアストラル天文台に所属する医術士であり、医学の研究をしている学者でもある。今まで多くの常識はずれな存在を診察し、観察してきたがウルはその中でも群を抜いて異例づくめだった。


 まず第一に、声帯や気道がある喉を石が貫通しているのに何不自由なく呼吸して話せるという事。

 初めは石が喉の表面から二つ、前後に飛び出るようにして皮膚から生えているのかと思ったが、爪などのように皮膚から直接生えているわけではないことはすぐに分かった。


 次に、ヒトのものではない関節だ。

 これは人形などの関節と同じく球体に各部位がくっついているような形をしていた。乱暴なたとえをするならば、人形の体が見た目はそのままにヒトと同じ肉質な体へ変化したような姿だった。


 他にもあげ続ければきりがないが、ともかくこの二つだけでも到底普通ではないことは証明できる。


 いつも自信がなさそうにしている知り合いの顔を思い出してルガは舌打ちをした。

 

「失われた古代の遺産、混沌の象徴たる生きた人形だと? んなもん、認めるかってんだ」


「あ、あのー」


「脈があるし心拍も正常、瞳孔の動きも動物と変わらない。肉体の感触も生物のそれだが、およそ生物のつくりとは思えない関節とおそらく貫通しているだろう石のようなもの。にもかかわらず呼吸にも運動にも支障はない、か。おい、この石や角に触角はあるのか?」


 よどみなく観察の結果を並べ立てながら思考を組み立てていく様に呆然としていたウルだったが、突然矛先を向けられて飛び上がってしまう。


「え、あ、いいえ。そうい」


「そうか、だとすればやはり爪の変異の可能性もあるな。角は髪、手足は爪だとして喉はなんだ? いや、皮膚の表面から生えているのではなく肉の中にまで貫通しているとしたら埋め込まれたのか? それならばつぶされた喉でなぜ喋れる」

 

 ウルへの問いではなく自分への課題提示の独り言。

 置いてけぼりにされたローボたちは何とかルガの意識を現実に引き戻そうと声をかける。


「ルガ先生、そろそろ休憩しませんか」


「あ、あの……私は確かに珍しいですけどそんなに不思議がることもないと思いま」


「寝言をほざくな。黙ってろ」


 ぴしゃりと進言を打ち捨てられた二人は顔を見合わせる。これはもしかしなくとも一日中放してもらえないかもしれない。ローボはふと、そんな予感を感じた。


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