あり得ないモノ 1

 広大な草原地帯を北に行くと、獣谷と呼ばれる険しく何ものも寄せ付けない自然の絶壁が口を開けている。

 そこを超えたさらに奥地。それこそ滅多に人が足を踏み入れられる場所ではないそこに、霊峰アストラルはそびえたっていた。


 そこははるか昔から人々が星を見るために集う聖なる地。


 すんだ空気と清らかな水が流れる世界の行く末を見つめるための場所。


 初めは星読みたちの小さな集落しかなかったその場所に、いつしか多くの学問の探究者が訪れ住まうようになった。

 それからまた時が過ぎ、知を求め、真理に近づこうと邁進する彼らを使徒が導くようになる。こうして世界有数の学問都市アストラル天文台は成立したのだった。





 研鑽地区の外れ、〈トゥーラの研究所〉跡地から少し離れたあたりに背の高い建物が建っている。

 俗に外れものと呼ばれる集団のための居住スペースであるそこからローボが出てくる。その肩には透明な角をはやした小動物が乗っていた。


「それじゃ行くか、ウル」


 ウル、と一つの存在を示す名が呼ばれた瞬間、流れていた水が凍りついたように停止する気配がした。


 ローボは何かを押さえつけてしまったような感覚に襲われて、一瞬動きを止める。腹の奥底が急速に冷えていく感覚に不快感を覚えて、慌ててその感覚を振り落とすように身震いする。


「はい」


 いつの間にかローボの隣に立っていたウルは何も感じていないのか、素直にうなずくだけだった。

 透明な石が喉を貫通しているというのになぜ普通に話せるのだろうか、と不思議に思いながらローボは気を取り直して今日の目的地へ出発した。


 今日の彼らの予定は、学者たちとの顔合わせおよびウルの身体検査などの方針や工程についての打ち合わせのようなものだ。そのため、ひとまずは中央地域に足を運ぶ必要がある。


 とはいっても研鑽地区の外れから中央地域まではそれなりに距離があるため、ローボは昨日の案内の続きをしながら進むことにした。 


「この学問都市アストラル天文台は、霊峰アストラルの傾斜を削って作られたいくつかの平地の集合体だ。平地にはそれぞれ研鑽地区、学舎地区、居住地区、みたいに用途によって名称がつけられてる。昨日ウルが俺とあった場所は天文地区で、俺たちが今いるここは研鑽地区。どっちも学者たちの研究施設なんかがそろってる」


 そう言って指さす方には白衣をまとった人々が急ぎ足で歩いていたり、のんびりしていたりと思い思いに過ごしている様子が見える。

 さらにその奥には頑丈そうなつくりの建物が密集しており、窓からはガラスの筒を振ったり、何かを観察していたりする様子も見えた。

 

「正直、俺は学者でも何でもないから何の研究をしてるのかとかは知らないんだ。知りたかったら学者先生たちに聞いてくれ。あ、ただしあんまり近づきすぎるなよ? すぐ逃げれるように十歩くらいは離れといたほうがいい。みんな自分の研究とかの話になると熱中しすぎて加減を失くすからな、下手に近づきすぎると一日中拘束される羽目になる」


「そんなにですか。……あの、発表会のようなものはないのですか?」


「……はっぴょうかい? なんだそれ?」


 釈然としない顔つきになったウルが何を考えているのかわからず、困惑しながらもローボは天文台という世界的に見ても特異な場所の説明を続けていく。


「天文台と名前はついてるけど、実際本物の天文台に近づけるのは星読みの中のさらに一部だけなんだ。俺も二十年くらいここにいるし、天文地区に入ったこともあるけど天文台の設備とかを見たことは一度もない。天文地区には入れるのはニュサ様かケジャン様に呼ばれる、もしくは許可をもらった星読みのどっちかの条件を満たしたやつだけだから、あんたも勝手に入ろうとしないように。えらい目に合うからな」


「はい、気を付けます。……ところで、質問をしてもよいでしょうか」


「おう、いいぜ。なんでも聞いてくれ」


 真剣な顔をさらに引き締めて、ウルは深呼吸をした。何に緊張しているのか知らないが、とんでもなく難しい問いが放たれるのではないかとローボも身構える。


「ここは霊峰アストラルという山を削って人の活動可能区域を広げているという話ですが、その、見たところかなり広い面積を削ってしまっているようですが、山の王はお怒りにならなかったのですか?」


「……やまのおう? 山を削るとそいつが怒るのか? なんで?」


 どんな難題を問われるのかと思ったら、まったく聞いたこともない存在について問われてローボは身構えたまま固まってしまった。難題以前の問題で、そもそも話が通じない可能性についてはまったく考慮していなかったようだ。


 何かを畏れ心配しているようなウルだったが、その意味がローボには伝わらなかったことに気づいたようで寂しそうに顔を歪めた。


「……いない、のですね」


「えっと、だな……ごめん」


「いえ、何となくそうではないかと思っていましたので。どうか忘れてください。無知な私の妄言です」


 自然そのものであり、誰のものでもない山をいくら人の手で好きにいじったところで怒られることなどあるわけがない。仮に怒られるとしていったい誰が、なぜ怒るというのか。


 そもそも、過去にあったものが今の時代にないわけがないのだ。ローボが知らない時点で過去にも存在していなかったということになり、結果としてウルの思い違い、妄言と切って捨てられる。


 しかし、とてもそうは思えなかったローボは、後でこっそり知り合いの学者に山の王について聞いてみることにした。もしかしたら彼が知らないだけで、世界のどこかにはいるのかもしれないし、学者たちの間では常識かもしれない。

 

「ほ、他に聞いてみたいこととかないか? 山の、王? のことは知らなかったけど次は答えてみせるからさ」


 目に見えて落ち込んでいるウルの様子に慌てて話しかける。ただでさえ知らない場所に連れてこられて連れまわされているのだ。これ以上心細い思いはさせない方がいい。

 透明な角が日の光を反射して小さく光る。髪の毛に当たった光が七色に分かれている。


「ではお言葉に甘えてもう一つだけ聞かせてください」


「あぁ、任せろ」


「ここは知識を学び、探究する場ということですが。その、なぜトワギワだけしかいないのでしょうか」


「……?」


 山の王に引き続いて聞き覚えの一切ない単語が出てきたことに、ローボは頭を抱えたくなった。


 何度も言うようだが、過去にあったものは現在にもあるはずであり、逆説的に現在にない知識や名称はすべて過去には存在していないはずである。ウルが即興で嘘をついて自分をからかっている、と言われた方がまだ納得できるというものだ。


 ローボに話が通じていない気配を感じて、ウルは焦ったように言いつのる。


「確かに、このような場所にキムヌやヅレーハが少ないことはわかります。しかし、彼らの持つ知識や経験、本能もまた、世界を構成する現象などを解明するには必要なものであることも、周知の事実のはずで、どれだけ排他的な地域であってもそれなりの数が所属するのが一般的なはずです」


「……そ、そうなのか?」


 一般的である、と断言したウルの発言に思わず問い返してしまう。

 もしかしなくとも、自分はこの年になってもろくにものを知らないままなのだろうか。


 ローボの心中に情けない疑問が浮かび上がった。

 どう考えてもこの世界の常識的におかしいのはウルであり、ローボの反応が正しいことは間違いない。なのになぜか自分が間違っているのではないか、物を知らないだけなのではないかと思わされてしまう。


「はい。さらに、知識の探究を行っている施設のはずなのに、イラハの一人もいなければヨモアの一体もいないのはなぜですか? 確かにヨモアという種族は気位が高く、とどまってもらえることが滅多にないことはわかります。しかし、イラハの姿がまったく見当たらないのはあり得ないことだと断言します。ここは本当に知識を学び、研鑽する場なのでしょうか? トワギワ以外に対して排他的な地域があることは知っていましたが、もしやここはその地域の研究施設なのでしょうか? いえ、それでは私やローボさんがここにいる筋が通りませんね。……まさか、ここは排他的な背景を利用した非人道的な研究をムグ?!」


「待った待った! ちょっと待ってくれウル! 何の話をしているんだ?!」


 早口で矢継ぎ早にわけの分からないことを話される状況に耐えきれず、ウルの口をふさぐ。まるでこの世界に、ヒト以外にもヒトと同じ知性を持った生物がいるかのような発言だった。それを真っ向から否定したいのをぐっとこらえる。


 話を一方的に聞いていただけだというのになぜかドッと疲れが押し寄せてきた。


 ウルの今までの発言はいろいろ聞きたいことも言いたいこともあるし、明らかにローボの認識と食い違いが発生している箇所が多く見られる。が、妄言にしろ、真実にしろ、ローボが確信できることはただ一つ。


 これ以上、この話を追求することも話させることもしてはならないという事だけ。


 早鐘を打つ心臓を抑えながら数歩距離を取る。口をふさがれた時のまま目を見開いて固まっているウルと、自分がどうやって話していたのかさえ一瞬分からなくなる。


 現在にないもの、すなわちこの世界にあるはずのないものについてまくしたてるように話す様はただ単純に恐ろしかった。自分と同じヒトならざる姿をした同胞が、別次元の不気味で恐ろしい怪物にすら思えてくる。


 絶対不変であるはずのものがいともたやすく揺らがされているような気がして、ローボはそれ以上ウルに疑問はないか問うことができなかった。

 ぎこちなくなってしまったローボの雰囲気につられたのか、ウルもそれから先なにかを話すことはなかった。

 




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