外れものたち 1

 目が釘付けになった。


 硬そうなのに柔らかそうで、尖っているのに丸っこい。

 輝いているのに透明で空虚。


 鮮烈なまでに強い気配が確かにそこにあるのに、目を離した瞬間消えてしまいそうなほど希薄に感じてしまう。


 それはどう考えたって成立するはずがない概念。どうやったって、どんな存在だってつくりだすこともできない究極。


 頭に透明な角をはやし、喉を、両手を、両足を、透明な角に貫かれてなお穏やかに眠りこけているそれ。

 俺はなぜかそれがそこにいることがうれしくて、なのにどうしようもなく喜べなくて。


 気づいたら泣いていた。大声をあげて、みっともなく。

 

「なぜ、叫んでいるのですか」


 風がささやきながら問いかけてくる。

 答えられない。


「どうして、涙を流しているのですか」


 花が優しく揺れて慰めてくれる。

 わからない。


「悲しいことがあったのですか?」


 星が瞬いて不思議そうに覗き込んでくる。

 悲しいんじゃない。


「ならば、どこか痛いのですか?」


 光が優しく降り注ぐ。

 あぁ、そうだ。


「痛いんだ。なんでかわからないけど、ものすごく痛いんだ」


 鋭利な形の透明な石が貫通した手がそっと伸びてくる。胸のあたりをやわやわとなでて、涙をぬぐってくれる。


「うれしいんだ。うれしいのに、痛いんだ」


 歪んだ視界の中に金色の光が入ってくる。赤が混ざった大きな金色。


「私も、あなたに会えてうれしいです。そして、できることならば会いたくありませんでした。遠い、遠い、時のかなたに生まれた同胞よ」


 穏やかなヒトの声が聞こえて、赤い金が冬の寒さのようにひきつった。


 そこでようやく、俺は自分と目を合わせているそれを認識した。確かに目の前にいたそれは、ある時は風だったし、花だった。星になっていたし光そのものだった。

 ヒトの形をしたそれが、それ以外の何かになるはずもないのに。俺は、確かにそれを見て感じたのだ。


「初めまして。はるか遠く過ぎ去った時の狭間よりまいりました。どうか、この出会いがよきものであることを共に祈ってください」


 やわらかく緩んだ瞳にうつる自分の顔は、何とも間抜けに見えた。





 空を見上げて星を読み、世界の真理を求めんとする星読みたちの総本山。最先端の学術的研究がおこなわれている知識の蔵でもある場所。それがここ、アストラル天文台。


 ローボは世にも珍しい研究対象としてここに連れてこられた。


 オオカミの姿をしながらもヒトと似通った体を持ち、ヒトと同じように生きる生物がいればそれを調べたいと思われるのは当然のことだろう。


 まだ幼かった彼は正直なところ、天文台がどういう場所なのかはよく知らなかった。妙に険しくて面倒な道を歩かなければたどり着けない辺鄙な場所、というのが彼にとってのすべてだったのかもしれない。


 数年にかけて調べつくした結果、学者たちはローボについての結論を出すことはやめたらしい。

 この世には解明できない真実がある、といういい教訓になったとかなんとか。ローボは観察されるのも、つつきまわされることもなくなったが家には帰れなかった。


 それからここで働くようになってもう十数年、天文台に足を踏み入れてからもうすぐで二十年たつ。研究対象だった経験をいかして、似たような境遇の子どもたちの相手を任されることが多かった。


 生まれゆえか、性格ゆえか。彼は人に頼られ、何かを任されることが大層うれしいようだった。


「おーい、ローボ。ケジャン様がお呼びだぞ」


 だからその日、急に面識もほとんどない星読みの長から呼び出されたことも特に不思議に思うことはなかった。自分が必要とされて、役に立つと思われている。それだけで十分だったからだ。

 だから


「どうか、この出会いがよきものであることを共に祈ってください」


 夢がヒトの形をしたような何かにそう言われて微笑まれたときも、心底うれしかったはずなのに。

 実際涙を流すほどの喜んでいたはずなのに。


「今日からお前に世話を任せる古代遺跡の遺物だ。ニュサ様よりウルという名を賜っている。以後、この遺物のことはそう呼ぶように」


「……」


 しわがれながらも力強い賢者の声に返答しないどころか、折れ曲がって垂れ下がった耳もピクリとも動かない。どこか遠くを見ているような目をして、まさに心ここにあらずといった感じだった。


 大賢者と呼ばれる星読みの長は片眉を器用につり上げてローボを見やる。普段であれば話を上の空で聞く、などということはしないことは面識の浅いケジャンでも知っている。


「ローボ、聞いておるのか。……ローボ!」


 あまりにも上の空が続く様子に天文台をまとめる長の一喝がとんだ。ビクリ、とローボの体が揺れてふさふさの毛がついた尻尾がピンと逆立った。

 現実に引き戻された今度は焦りと混乱で硬直してしまった様子にケジャンは嘆息しながら、改めて話を進めることにした。


「とりあえずはお前や他の外れものと同じ扱いだ。いつも通り、明日から博士たちとの顔合わせや検査計画書などの打ち合わせを行うように」


「は、はい!」


「それから、ヒトの話はきちんと聞くものだ。大切なことを聞き逃し困るのはお前だけではないのだぞ」


「……申し訳ございません。以後、こんなことがないように努めます」


 身を縮めて謝罪を述べるローボがきちんと反省していると判断したケジャンはそれ以上は何も言わずに部屋から出ていった。

 静かな部屋に重々しいため息の音が響く。蝶がローボの鼻先に止まってそっと翅を開閉する。


「詳しい事情は分かりませんが、私はどうやらここに所属しなければならないようですね」


 蝶は淡々と事実を飲み込むようにつぶやく。よく見るとその蝶の頭と翅に小さく透明な突起物がついているようだ。


「そうだな。あんたは〈始まりの神殿〉から見つかったらしいし、古代文明について知るにはこれとない重要資料だから、な……?」


 ローボはふと何かがおかしいことに気づいて自分の鼻先に止まっている蝶をまじまじと見つめる。ゆっくりと翅を動かしていた蝶はふいっと飛び立つ。

 と、今度はいつの間にか部屋の中にできていた水たまりがローボを見上げながら問いかけてくる。水たまりには透明な石が浮かんでいた。


「ここの長はさっきのおじさまなのでしょうか。それともニュサというお方なのでしょうか?」


「え、あ、えっとだな。ここはアストラル天文台といって、いろんな学問の学者とか生徒とかが集まる場所なんだ。んで、ケジャン・ダイ様はそのいろんな学問の中の星読みっていう学問の長で、天文台を治めているのは使徒の1柱であるニュサ・レウス様だ」


 謎の遺跡で眠りこけていたもとい封印されていたという話だったが、その割には普通に話しかけてくることに戸惑う。古代文明の遺物というにはもっとこう神秘的というか、近寄りがたさとかがあると思っていたのに。


 ローボは強い違和感と奇妙さに振り回されながらも問いに答える。またしてもいつの間にか水たまりが消えていて、それがあった場所には透明な角を頭や手足にはやしたヒトが立っていた。


「星読み、ですか。不確定かつ曖昧な学問であるとして人気はあまりなかったと記憶していますが……今はそうでもないんですか?」

「使徒、というものは聞いたことがありませんが偉い方なのはわかりました。私の名前をなぜか新しくその使徒様というものがつけたという話でしたが、正直助かりました。ありがたく頂戴します」

「あ、ところであなたのお名前は何というのですか?」


 ヒトの形をした何か、白い鳥、炎。形が変わるたびに話が別の方向へ向いてしまう。


 小動物が駆ける回し車のごとく、次から次へと話し続けられてローボは今度こそ面食らった。目まぐるしく世界が回転している気がして、自分が今まっすぐに立てているのか急に不安になる。

 もしかしなくとも、この遺物はおしゃべりなのかもしれない。

 

「ローボだ。ローボ・リベルタ―」


 勢いに押されて何とか名前を口にするのが精いっぱいだった。ヒトの姿に戻った夢は、ローボが名乗った途端に大人しくなって静かに狼頭を見上げる。


「私は、えっと……。どうか私の名前を呼んでくれませんか、ローボ・リベルタ―さん」


 困ったように懇願されてローボは上の空で聞いていたケジャンの言葉を思い起こす。たしか、ニュサが直々につけたというこの遺物の名前は。


「……ようこそ、アストラル天文台へ。歓迎するぜ。ウル」


 瞬間、不確かにうつろい揺らめいていた夢の形が一つに定められた。


 初めてはっきりとウルの姿を見た気がしてローボは目を瞬く。


 頭と手足、喉を貫く透明な角。赤が混ざった金の瞳は夜闇に浮かぶ満月のようだ。肩口がバックリと開いてゆったりとした衣服をまとい、露出した手足は白く細い。

 関節は人形のような球体がはめ込まれたような形のものなのに、肝心の体は無機物ではなくちゃんとした肉体だった。


 と、突然ウルの体がふらふらと揺れだす。ローボが慌てて支えてやるとヒシッとしがみついてきた。足元へ視線を移すと、足の甲から裏側まで貫通している大きく鋭利な石のせいでうまく立っていられないようだ。


「とりあえず靴の調達からだな」


「お、お手数をおかけします」


 嘆息しながらとりあえず背中におぶる。古代の人々は何を思ってこんなつくりにしたのだか。

 今からでもこの足で歩けるように靴を作ってくれそうな相手の心当たりを思い浮かべながら、ローボは部屋を後にした。






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