裸足とアスファルト

夏が背広を正し始めた六月半ば

旧友と連れ立った駅前商店街の居酒屋にて、

鉄板に盛られたお好み焼きを切り分けながら

私は10年前に失踪したクラスメートの事を思い出していた。

それは毎年訪れる儀式のようなものだった。

薄情者のレッテルを貼られないための、義務的な回想である。

自分で自分に貼ったレッテルほどはがしにくいものはない。

今となっては彼の顔も声も、下の名前も思い出せない。

家を出たのは日曜の午前中

家族との口論の後、着の身着のままいなくなった。

靴を履いておらず、裸足だったらしい。

そんな身なりでいったいどこへ消えおおせたというのか。

担任から聞かされた失踪時の状況が

矢継ぎ早に浮かんでくる。


やがて浮上してくるあの頃の情緒


何故私にそこまで詳しく話すのか。

そう問うてみると、先生は

「あなたは彼と仲が良かったようだから」と

やや申し訳なさそうに答えた。

「仲が良かったようだから」

全く的外れとは言わないものの、私は彼と数回しか会話を交わしていない。

大多数のクラスメートは彼とまともに会話をしたことがなかったようだから、

相対化して考えると確かに私は仲が良い方だったのかもしれない。

「ようだから」と濁したのは私への配慮か、それとも彼への配慮か。

どちらも違った。

人づての情報であったから、少し濁した伝え方をしたに過ぎなかった。

何とも言えないやるせなさを感じた。

それは「仲良し」の烙印を押されたにもかかわらず、彼の事はほとんど何も知らない自分自身に対してであり、彼の交友関係を正確に把握できていない先生に対してであり、ほとんど話したことがない私と「仲が良い」と評されている「彼」の名誉に対してであった。


握り込んでいるグラスの中で、ビールは新鮮な温度を失いつつあった。


六月の私の心には相変わらず彼が生きている。

部屋着に裸足でどこかの線路沿いを歩いている。

彼が生きているのか死んでいるのか私は全く知らないし、

知るつもりもない。


彼が生きていようが、ただ暮れる日々を眺める私の中に彼はいない。

彼が死んでいようが、六月の私の中で彼は生きている。


向かいの席でお好み焼きをつついている友人の中に、

彼はいるだろうか。

聞いてみて、当時の事を掘り返したい気持ちもあったが、声にはならなかった。

そこに彼がいなかったら、またあのやるせなさが肩を叩いてきそうだったから。


気の抜けたビールをあおって店を出る。

いつも通り歯切れの悪い挨拶を交わして私たちは帰路につく。


電車の中でSMSを眺めていると、アイドルの引退報告が流れてきた。

所属事務所の投稿ポストには経緯の説明と謝罪の言葉が綴られており、

活動終了を惜しむファンの投稿が数多く寄せられていた。

彼女は生きているけれど、いま彼女のファンは各々彼女の死を悼んでいるのだ。

それはごく自然なことのように感じられた。

それと同時に一抹のやるせなさが胸をくすぐった。






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ラフスケッチ 烏瓜一 @karasu_uri

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