第一章 宮庭に舞う①
「根付くか不安だったけど、順調に育ってる。実験に使える分は確保できそう」
満足そうに
「あとは──」
「──は夫人と白蓮さまの供で
と、塀のむこうから聞こえてきた自分の名に、つい耳をすます。
「そうなの! さすが評判なだけあってよかったわよ」
「いいなぁ、役得じゃない」
私もいきたかった、と
民衆向けの
結果、「まあ、悪くはなかったわね」と劇場をあとにするにいたったのだから、評判は本物だったというわけだ。
「お母さまを
そう、劇の評判について母の耳にいれたのは、だれあろう白蓮だった。
『最近、都で評判の作品があるとか。
自分は『知的探究心』なるものが
書物なら物語から歴史書までなんでも読むし、興味をひかれたことはすぐに調べ、実際にできることならやってみる。
評判を聞きつければ、ぜひ観てみたいと思うのは当然だろう。それがまれな
「一度は
「えぇっ、それでどうなっちゃうの?」
話に夢中になっているらしい侍女たちは、塀のむこうから立ち去る気配がない。
「もちろん、二人は結ばれるのよね?」
「それはね。でも、最後までハラハラさせられたわ」
うっとりと夢見るように語る
その気持ちは、わかる。
自分にも恋に憧れる気持ちがないわけではない。が──
「……」
白蓮は浮かんだものを
いつまでも彼女たちにつきあってここにいるわけにはいかない。そろそろ
遠回りになるが反対側へ回ればでくわすこともないだろう。
白蓮は中庭を
と、
「あっ」
むこうも人がいると思っていなかったのか、大きく見開かれた
「お姉さま」
「……
思いがけず
「──なにをしているの」
「ここは書室よ。あなたには用のない場所でしょう」
「あの、ごめんなさい……」
うつむきがちに戸の
やりとりが耳に届いたのか、さきほどまでの侍女たちの声は聞こえなくなっていた。
こちらの存在が知れたのならわざわざ遠回りする必要もないだろう、と白蓮はそちらへと足をむけた。案の定、
見て見ぬふりで、彼女たちの前をとおりすぎる。そうして、角を曲がり人目が消えたところで、無意識につめていた息を
「……あー、
「ほんと、気づかずにさっきの聞かれてたらどうなってたか」
「木蘭さまには感謝しないと。おかげで私たちは助かったわ」
「ね。でも、あいかわらず白蓮さまはあの人が
「そりゃあ、父親が外で作ってきた
「そもそも夫人が毛嫌いしてるものね」
ひそひそと聞こえてきた
彼女たちは自分がすでに立ち去ったと思っているのだろう。うっかりというのか、
「……あれはあれで色々と知れて助かるけどね」
口の中で呟き、白蓮はこれといって
むしろ、そうでなくてはならないのだ。
房へ戻り、室内に控えていた侍女にさがるよう指示をだす。
遠ざかっていく
腹の底にわだかまっていた
「あー、もうっ、あんなところで顔をあわせると思ってなかったから、必要以上にきつい言動になっちゃったじゃない」
そのままずるずると座りこみそうになったところで、ふと視界の
切れ長の
両親
ただし、『冷たい』『なにを考えているのかわからない』という言葉がつく
「……」
ふいっと自分の顔から視線をそらし、今度は細く息をついた。
白蓮には、知識を得ることのほかに、もうひとつ好きなものがある。
かわいいものだ。
コロコロとした
だが、そういった
物心ついたころから、どれがいいかと問われて答えた
これじゃない、と告げても、「似合わない」「みっともない」と眉を顰めて首を横に振られるばかりで、
それなりに
それを求められていると、わかってしまったから。
木蘭が父親に連れられこの
「今日からおまえの妹になる木蘭だ」
なにせ、自分とはまったく違っていたのだ。
まず、小さかった。木蘭は二歳年下のため当然なのだが、当時の白蓮は自分より幼い子どもをほとんど見たことがなかった。
なにより、見た目がまわりにいるだれとも違っていた。
彼女の母親は西域からやってきたペルシアの芸人だったらしく、木蘭はまっすぐで固い黒髪とは違う、ふわふわした金茶の髪をしていた。ぱっちりとした大きな二重の目の色も、薄い茶色でありながら黄みがかった不思議な色合いで、今まで見たことがない。
そんな
──かわいい!
白蓮は見知らぬ場所に連れてこられた上、大人に囲まれて不安そうな木蘭へ
「──まったく、忌々しい」
吐き捨てるようにおとされた聞こえるか聞こえないかの
言葉の意味するところは正確にはわからなかったが、いい意味でないのはわかる。なんといってもあの表情は、白蓮の好きなものを「似合わない」と
「よくしてやれ」
母親の態度に気づいているのかいないのか、父親は言い置くとさっさと
連れてくるだけ連れてきてあとは知ったことではない、と言わんばかりの態度に、思わず
心細げに去っていく父の後ろ姿を目で追う木蘭へ、
今までもそうだった。
かつて白蓮の希望通りかわいらしく
ただでさえ木蘭が気にいらない様子なのに、下手に自分がかわいがるそぶりを見せればますますこの子を嫌いかねない。
幼いながらに
「この子どもをわたくしに近づけないで」
母親は心底
それが、木蘭との出会いだ。
その後のことは、今思いだしてもひどかった。
邸の主人は「よくしてやれ」と指示したが、基本妻のことにも子どものことにも無関心だった。
長男はまだ
邸の主人がソレで、内向きのことをとりしきる夫人が、夫が外で作った子を毛嫌いしているのだから、自然と
木蘭の母親が歌と
新しくできた妹のことが気にかかり、人目を
「……あの子だって、お父さまの
連れてくるだけ連れてきてあとは知らん顔の父に
父に現状を
だからといって、このまま見過ごすことはできなかった。見て見ぬふりをするなら、知らん顔の父親となにも変わらない。
自分になにができるのか。
子どもながらに必死に考えた末、白蓮は両親が大事にしている家に『見合った』在り方──
「この子は使用人だったの? お父さまは妹だと言っていたと思ったけれど」
供をしていた侍女たちにたずねたのだ。
「お、お
「妹ということは、あの子も『お嬢さま』ではないの」
「それにあの
さらに『見合わない』ことをするたび、母親や彼女たちから言われた小言を返す。
「そ、それは……」
「あれならわたしの使い古しでも着せておいた方がマシだわ」
あたふたする彼女たちを
そうやって、満足に食事をさせていないようなら食べさせるように、読み書きなど貴族の娘としての教養を学んでいないようなら教えるように、『柳家の娘として見苦しくない』よう改善させていったのである。
一方で、木蘭自身を気にかけるそぶりは見せないようにした。顔をあわせても無視することはしなかった──できなかった──が、皮肉や小言を聞かせ、
なのに、木蘭は自分を見かけると
いい子すぎる。
ただ、それはだれに対しても同じだったようで、もともとの人なつこい明るい性質となにごとにも
結果、木蘭は使用人めいた扱いを受けることはなくなった。身形にしても、侍女たちの扱いにしても『柳家の娘』にふさわしいとはとても言えないが、母の目があるかぎりこれ以上は望めない。
だが、いつかはこの
「……それこそ、あの物語みたいに、だれかいい人があの子のことを
はあ、と
●●●
皇帝の
しかし、二年ほど前、世継ぎである
ある者は他を
なまじ子の数が多く、
父親である皇帝が太子を宣言すればことはここまで大きくならなかったはずだが、かわいがっていた
そうした混乱の最中、皇帝が
国中が
「お姉さま!」
こちらの姿を認めるなり、
自分たちのほかに
それにしてもどうしたのか、と内心首を
自身が好かれていないとわかっている木蘭は、顔をあわせれば
「大声をあげるなど、不作法な……はしたないとは思わないの」
「聞かれましたかっ?」
息を切らしてやってきた木蘭に小言を
さすがに
「あ、ごめんなさい……」
「──言葉は理解できるように使いなさい」
はあ、とあからさまに息をついて、先を
なにかあったことは間違いないし、ぐずぐずしていたらだれかがやってきて話が中断しかねない。それではこちらが気になってしかたない。
「はい、あの、さっきほかの人たちが話しているのを耳にしたんですけど、新しい皇帝がお決まりになったそうです」
「新しい皇帝が?」
これには
「そうなんです! それで──」
白蓮の反応に力を得たように強く
「その方のお名前が、
「……」
ぴくりと動きかけた表情を、かろうじて押し
しかし、そんな白蓮には気づかない様子で、木蘭は
「このお名前って『あの晩』の、」
勢いこんで続けようとした言葉を、パシリッ、と手にしていた
「──あなたがなにを言っているのかはわからないけれど」
大きな目をしばたかせた木蘭を、静かに見下ろす。
「軽々しく口の
「あ……」
「以後気をつけなさい」
ぱっと口元を押さえて
──ハクロウ。
不意打ちで耳にしたその名に、
むろん、白蓮には木蘭がなにを言いたいのかわかっていた。
あの上元節の晩、危ないところを助けてくれた人物が、新しく
彼女はそう問いたかったのだ。
けれど、白蓮はあの晩のことは『なかったこと』にしていた。後日、木蘭に礼を言われた時も知らぬ存ぜぬでとおしたし、上元節が近づくたびむけられる物言いたげな目も無視してきた。
白蓮にとってあれは不測の事態だったのだ。
一人抜けだしたことも、
とはいえ、木蘭が言わんとしたことについては、十中八九間違いないだろう。
もともと『珀狼』という名の皇子が存在することは知っていた。
当時、軍に所属していた皇子は
「あの人が、皇帝に……」
意外ではあったが、驚きはなかった。
生きる道を、人によらず自らの手で切り開くだけの強さを、あの
そんな人が
新皇帝が即位するということは、先帝の崩御により
ふいに胸をついた思いに、こくり、と
──これは、運命なのかもしれない。
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