序章 灯る夜

「わぁ……」

 はじめて歩く夜は、きらきらとかがやいていた。


 満月の下、街には数えきれないほどのとうろうらめいていた。

 いつもは暗く静まりかえっている通りは、まるで昼間かとまがうほどこうこうと照らしだされ、風になびく五色の布にいろどられている。

 圧巻は、見上げるほどの高さにりさげられた無数の灯籠──灯樹だ。ばした枝に花をつけた樹木のように灯籠がかざられ、さながら満開の光の花だ。

 そのあかりのもとで楽隊がはなやかな音色をかなで、様々なおどりや曲芸などの見世物がろうされている。

 老いも若きも通りをそぞろ歩き、灯籠をながめ、見世物に足を止め、年に一度の夜を楽しむ。

 びやくれんもまたぶんれず、きらめく夜に目をうばわれていた。


 よいは正月の十五日──じようげんせつ

 年に一度の夜行の解禁日だ。

 ここりよう国の都・せいようは、広大な街がかいどうによって整然と区切られ、ぼうと呼ばれる居住区が百余りある。坊ごとにかべで囲まれ、出入り口である坊門は日暮れとともにたいの音が鳴りひびき、翌朝までざされてしまう。

 以降、出歩くことは禁止され、破れば『はん』として厳しくばつせられる。

 だが、年に三日間だけ出歩くことが許される夜がある。

 それが上元節、すなわち今日から三日間なのだ。

 この日ばかりは門を警備する兵の任が解かれ、人々は灯籠で飾られた夜へとこぞってりだす。時には、こうていや宮女たちもおしのびで見物にでるとかでないとか。

 なにはともあれ、成陽の住人たちは年に一度のいききの機会を一晩中楽しむのである。

 白蓮はそんな人波にまぎれ、はじめて見る景色に心をおどらせていた。

 両親は夜のおとずれとともにおのおの供を連れ、都大路へとそれぞれの楽しみを求めてでかけていった。そうほうむすめのことなどかえりみないあたり、家族の仲がうかがい知れるというものだ。

 ならば自分も好きにしてなにが悪い。

 白蓮は両親がはらい、家の中がうすになったのを見計らってやしきを抜けだすことにした。

 さすがに、だんの格好で小娘が供もつけずに出歩けばどうなるかくらいはわかる。おまけに、両親ごまんのこの顔だ。なにも起こらない可能性の方が低い。

 というわけで、街の人々が男女の別なく着る、小口のちようほうをあわせたふくへとよそおいをえ、念のためうすぎぬかぶる。

 こうして準備ばんたん整え、白蓮は夜の都へと足をみだした。

「大体、十五にもなって子どもだからって留守番させられる意味がわからないんだけど」

 世間ではけつこんしていてもおかしくないねんれいなのだ。だったら、じやだから、とはっきり言われた方がすっきりする。

 とはいえ、年ごろだからこそ、身分にかかわらず危ないのは言うまでもない。

 深窓のれいじようと言われる身分ではあるが、こうしんは人一倍、昼間なら供を連れて出歩くこともある。

 また、書物を、人の口をかいして、外の世界がどんなものか多少なりともわかっているつもりだ。なにしろ、うわさ好きでおしゃべりな使用人というのはどこにでもいるもので、すまさずとも自然と耳にはいってくる。

 白蓮ははじめて見るげんそうてきな景色に心がきたつのを感じつつ、気をひきめてしんちように周囲へ目を配った。

 暗がりをけて人通りの多いところを選び、そぞろ歩く集団にまぎれて、あたかも供の一人です、というぜいで歩く。

「待ってよ、兄さん!」

 横を子どもたちがかんせいをあげてすり抜けていく。兄妹きようだいだろうか、はしゃぐ男の子に手をひかれ、女の子がけんめいに足を動かしてあとを追う。

 かわいいなぁ、と微笑ほほえましい光景に白蓮はほおゆるめた。

 自分にも兄がいるが、あんな風に手をひかれたことなど一度もない。そもそもあとりとして自尊心が高く、まわりを下に見ているような人物で、世話係より遠い存在だ。

 妹も、いるにはいるが……。

「──きゃぁっ」

 その時、けんそうって耳に届いた悲鳴に、白蓮は声の方をり返った。

 一人の少女が二人組の男たちにからまれているのが見える。連れもいないのか、きやしやうでを男の一人につかまれ、路地の暗がりへとひきずられていく。

 周囲へ助けを求めるように顔をあげた少女に、白蓮は大きく目を見開いた。

「! あの子…っ」

 あんなところでなにを、と考えるより先にけだしていた。

「すみません、とおしてください!」

 被っていた紗をぎとり、人波をかきわけるようにして少女の方へむかう。

 見物人たちの中にもさわぎに気づいて足を止める者があるが、巻きこまれるのをおそれてか、遠巻きに見ているだけだ。

 白蓮は少女の腕を掴む男の死角から近づくと、バッと手にしていた紗を男たちへたたきつけるようにして被せた。

「ぅおっ」

「なんだ、こりゃ!」

 とつぜん視界をさえぎられた男たちが、頭からしやへい物をとろうともがく。

 男の手が少女からはなれたすきいて、白蓮は彼女の手首をとった。

「走って!」

「あ……」

 少女はとつじよ現われた新手にいつしゆん身をかたくしたが、こちらの顔を見てあからさまにほっとした表情を浮かべた。

 その顔に、白蓮はことのだいさとった。

 少女の手をひいて走りながらみする。

 ──この子、わたしのあとをついてきたんだ…っ

 自分を見ておどろかないことがすべてを物語っている。

 大方、抜けだすところをぐうぜんもくげきしたのだろう。あとをつけて邸をでてきたものの、ちゆうで見失ってさがしているうちに、あの男たちに目をつけられた、というところか。

 ──そんななりでふらふらしてたら、そりゃ目もつけられるわよ!

 灯籠の光を受けてつややかにきらめく金茶色のかみに、黒ともかつしよくともちがう、どこかなぞめいたはしばみいろひとみ。すっとした高いりように、うすべにいろの小さなくちびる

 そんな異国の風情の、まだ幼さを宿した愛らしい少女が、いかにも着古した服でうろうろしていたら、自分とは違う意味で悪漢たちの目をひく。やつかいな後ろだてもなさそうな上玉が、無防備に目の前に転がっているのだ。格好のものとばかりに飛びつくだろう。

「──あの、っ」

 箱入りとは逆の方向性で、世間知らずすぎるのだ、この異母妹いもうとは!

 なにか言いたげな妹に、口を開くひまがあったら走れ、とばかりに、白蓮はひく手に力をこめた。

「待て、このやろう!」「がすかっ」とうしろから追ってくる声が、だんだんと近づいてくる。追いつかれるのも時間の問題だろう。

 これだけ走っただけでもう息があがっている。おまけにこのひとみでは思うように進めない。

 それでも、どこかに警備のがいるはず、と息苦しさの中、必死に左右に目を走らせていた白蓮だったが、

「キャッ」

 悲鳴が聞こえ、がくんっ、と身体からだけ反る。

 たたらを踏んでなんとか持ちこたえながら振り返ると、地面にたおれる妹の姿があった。

「! もくらん…っ」

「ハッ、ようやくつかまえたぜ」

 手間かけさせやがって、とあらあらしくき捨てた男が、がっちりと妹の腕を掴んでいる。この男に捕まって地面にひき倒されたのだ。

「よくも手間かけさせてくれたなぁ」

 掴んだ腕をひき、ちからくで立ちあがらせようとする男に、木蘭の顔がきようと痛みにゆがむ。

 その表情を見て、かっと頭に血がのぼった。

「その子を、放しなさい!」

 気づけば、妹の腕を掴む男へとかたから体当たりしていた。

 思いもよらぬ白蓮からのこうげきに意表をかれた男が、うしろへとよろける。ひように男の手が離れ、木蘭が再び地面へと倒れこむ。

 逃げるのはもう無理だと、白蓮は妹と男の間に身体を割りこませた。背中に木蘭をかばい、男たちへたいする。

「てめぇ、さっきといい邪魔ばっかりしやがって!」

「ガキが、なめた真似まねしてくれるぜ」

 再び横やりをいれられた男たちがいきりたつ。獲物に手をだされてよほど頭に血がのぼっているのだろう、紗をとった白蓮の顔を見ても目の色のひとつも変わらない。

「とっととそこを退きやがれッ」

「! おねっ──」

 代わりに、大きく腕を振りかぶる。

 あがりかけた悲鳴めいたさけび声を遮るように、白蓮は身をよじり妹の頭をかかえこんだ。こんなところで余計なことを口走られてはたまらない。

 そのままおそってくるだろうしようげきえるために、ぎゅっと目をつぶる。

 ザッ、と空気の動く気配がする──が、いっこうになにも起こらない。

「……?」

 一体どうなったのかと、そろりと目を開けて背後をうかがう。と──

「──まったく、騒がしい夜だ」

 あきれたような、うんざりしたような、静かな深い声がおちてくる。

「え?」

 首をひねって上を見返った白蓮の目に映ったのは、黒いかげとぎょっとしたように身をひいた男の姿だった。

 よく見ると、影だと思ったそれは男性らしき後ろ姿だった。逆光にかびあがった人影は、細身でありながらもたくましさを感じさせる。

 手をあげた男の姿が見えないことから、どうやらこの人が助けに割ってはいってくれたらしいと気づく。

退け」

 だが、助かったことにほっとするよりも、白蓮はかたしにかいえる横顔の、男たちをするどへいげいする『』に目をうばわれていた。

「このままろうにぶちこまれたいなら話は別だが」

「! あんた、軍の…っ」

 その言葉に男たちは目の前の人影が何者なのか気づいたらしい。

 いまいましげに舌打ちした男は、「いくぞ」ともう一人にあごをしゃくり、さっさと身をひるがえした。

「おい、待てよ!」

 人影に腕を掴まれていたらしい片割れは、あわてて手を振りはらうと逃げだした男のあとを追う。

「……」

 そんな男たちを無言でえる『眼』はりんぜんとしてるぎなく火明かりにきらめき、白蓮の心へせんれつに焼きついた。

 強い『眼』だ。

 静かでいて油断なく、まるで野に生きるけもののような──。

はくろう殿でん!」

 と、背後からかかった声に、彼がひとつまたたいた。

 白蓮もまたはっとわれに返る。

 ──いけない、ぼーっとしてる場合じゃなかった。

 おそらく彼の部下だろう兵たちがくる前に、この場を立ち去らなくては。あれこれせんさくされて家のことがばれるのはまずい。なにしろ、おしのびででてきているのだ。

「──いくわよ」

 白蓮はじようきようをいまいちみこめていない妹のうでをひき、立ちあがるよううながす。

「お助けいただき、ありがとうございました」

 顔をせ、人影にむかって口早に礼を告げると、聞こえてきた足音とは反対方向へ歩きだす。

「あっ、」

 ひっぱられるままよろけるように足を動かした木蘭が、人影に気づいたように足を止める。それを無視して歩を進めれば、

「あのっ、ありがとうございました!」

 首を捻ってうしろへむかって礼を投げる姿が、視界のはしに映った。

 足早にけんそうにまぎれこみながら、白蓮もまた背後をいちべつする。

「──ハクロウ殿下」

 部下が追いついたのか、ちょうどこちらに背をむけた後ろ姿に、さきほど聞こえた名を刻みこむようにつぶやく。

 そうして、すぐさま視線をはずした白蓮は、名残なごりしげな妹を連れてその場をあとにした。

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