第2話

 村の西の森に暮らしている道士様のことを知ったのは、それからしばらくしてからのことです。それまでも「道士」という言葉を聞いたことはありましたが、それが「教会の指導を受けずに魔術を習得した人」という意味であることは知りませんでした。


 その日私は、日が落ちた頃にお父ちゃんに言われて、西の森に水を汲みに行きました。夜の森は暗くて、怖くて、水を溜めた水瓶は重くて、心細くて泣きそうになっていると、紫の服を着た女の人がやってきて、一緒に水瓶を持ってくれました。

 その人は、家の前まで私に付き添ってくれて、それから、元いた方に戻って行きました。後でそれが、「道士様」と呼ばれる人なのだということを知りました。5年ほど前から西の森に暮らすようになった道士様は、都の偉い司祭様でも使えないような術をお使いになられるのだそうです。雨を降らせることもできるのだと言います。2年前の干害の時は、道士様が雨を降らせて、土の力を強めて、作物を守ってくださったのだと言います。

 私は驚きました。そんな力を持った人がこんな近くに暮らしていたということにも驚きましたが、その人に村のみんながあまり親しんでいないことにもっと驚きました。一度お会いした限りでは、道士様はお優しい人に見えました。みがかれた鋼のような艶やかな黒い髪がとても綺麗で、紫のローブがよく似合っていました。

 少なくとも、あの司祭様よりもずっと素敵な人に見えました。そして、教会の司祭様よりも強い力をお持ちなのであれば、その方に司祭様のお仕事をやっていただけば良いのにとも思いました。

 お母ちゃんにそのことを聞くと、お母ちゃんは「道士は異端かもしれないんだ」と言いました。私にはやっぱり、何のことかよくわかりませんでした。


 私は、その次の日、今度は自分から、昨日と同じ西の森に水を汲みに行きました。またあの人と会えるかも知れないと思ったからです。そしたらやっぱり、昨日と同じ場所に、道士様がいらっしゃいました。昨日と同じように、優しく微笑んでおられました。

 道士様は、私がここに来ることをご存知でした。私が、お会いしたいと思っていたことを知っておられるようでした。そして、私が病弱で、この痣のせいでいじめられていて、友達もいないこともわかっておいででした。

 私はそれから、時間があれば道士様に会いに行くようになりました。道士様は色々なお話を聞かせてくださいました。道士様は、生まれつきとても強い魔法の力を持っていて、そのせいで故郷の街で怖れられて、道士としてひとりで生きるようになったのだそうです。道士というのはそういうものなのだと。


 私が道士様と知り合ってから3ヶ月ほどした頃のことです。村に疫病が流行りました。教会のあの司祭様や、隣の大きな町のシスターが病人を治療しようとしていましたが、うまくいきませんでした。うちでも弟の1人が、疫病に罹りました。私はすぐに、道士様のところに駆けつけました。司祭様に治せない病気でも、道士様なら治せるはずです。

 私は、道士様の館に行って、疫病から村を守ってくださいとお願いしました。道士様は少し考えるようにして黙っていましたが、それから、疫病のことはどうとでもなるけれど、一つ、こちらの頼みを聞いて欲しいとおっしゃいました。

 その頼みというのは、村を出て、道士様の館で一緒に暮らしてほしい、というものでした。身の回りのことをやってくれる人間が必要だから、ということでした。

 断る理由なんて一つもありませんでした。家や村には、私の居場所はもうありませんでした。そもそも、私の家は貧乏な上に兄弟もたくさんいたので、私がいつまでも家にいるわけにも行きません。でもこの顔ではお嫁に行く先もないんです。何よりも、道士様とずっと一緒にいられるのが私は嬉しかったのです。

 道士様は約束通り、弟はもちろん、村のみんなの病気を治してくださいました。村のみんなは、最初あまり嬉しそうにありませんでした。道士様に何かをしてもらったら、後から何かすごく大変な要求をされると思っていたみたいです。だから、司祭様にどうにもできない病気が流行っても、道士様に助けてもらおうとする人はいなかったのです。でも、道士様が今回の仕事をする代わりに、私が道士様の家に行くことになったのだと聞くと、みんな安心したようでした。


 こうして私は先生の――その時から私は、道士様のことを先生と呼ぶようになりました――館で暮らすことになりました。

 先生は、普段はご自分の部屋で本を読んで調べ物のようなことをなさっていました。


 ……何を調べていたか?

 さあ、それは知りません。…第一、先生の書斎にあった本は、あなた達が全て没収してしまったじゃないですか。先生が何を調べていたか、あなた達の方がわかるんじゃないんですか?


 それからの2年間は、私が生きていた中で一番幸せな時間でした。先生は、私が風邪をひいたら優しく看病してくださいます。暖かいスープを作って飲ませてくれます。体調を崩してそんなふうに優しくしてもらえるのは初めてでした。身体が弱いことは、人に迷惑をかけること。私はずっとそう言われてきました。風邪をひいて、熱が出たり咳が出たりすることよりも、お父ちゃんやお母ちゃんに責められるのが怖くて、惨めでした。先生は、私を責めませんでした。

 私は、先生に読み書きや算術や…いえ、読み書きや算術を教わりました。自分で本が読めるようになると、世界がうんと広くなったような心地がしました。私の心の中に溜まっていた嫌なものを、吐き出すやり方を、先生に教えてもらいました。私は、先生と出会って、初めて人間になれたような気がします。これから先、ずっと先生と一緒にいられるならそれで私は満足でした。


 ……もういいでしょう?先生はどこですか?先生が、私たちが何をしたって言うんですか?

 私を誘拐した?嘘です!今も言ったでしょう?私は自分で望んで先生のところに来たんです。誘拐なんかされていません。先生が私に危害を加えたこともありません。私を傷つけたのは教会の司祭様です。あなたの仲間です。先生は何もしていません。

 先生に会わせてください。私や先生が迷惑だというなら、私たちはどこか別なところに行きます。私たちを放っておいてください。どうして邪魔をするんですか?私たちが、あなた方に何をしたっていうんですか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る