銀色の剣・桜色の願い・闇色の……


 あれから四日が過ぎた、月曜日。

〝紫色のあいつ〟に動きは無い。

 はじめ櫻子さくらこ三時限前さんじげんまえのちょっと長い休み時間、屋上へ出る扉の前で二人で座っていた。

「あの子たち、今日は出て来られるかしら?」

 櫻子さくらこがポツリとつぶやく。はじめは黙ったままだ。


 あの朝のあの後、咲子さくこは動かないまもるの手を握りながら彼の名を呼び続けた。彼女の手が、身体が震えていた。涙を流しながら……。

 洸壱こういちは二人を病院へ、壱恵かずえはじめ櫻子さくらこを、遅くなったが学校へ送り届けた。

 咲子さくこまもるは木曜・金曜と続けて学校に来ていない。


「今日も朝ごはん、食べてないの?」

 櫻子さくらこはじめの手元を見て言った。そこにはおにぎりが二つと、ゆで卵が二つ。ラップできれいにくるんである。壱恵かずえがいつでも食べられるようにと作ったものだ。木曜から毎朝、ずっと。 

「食べる気がしない。土御門つちみかどにあげる」

 おにぎりとゆで卵を差し出す。

「こんな時だからこそ、食べなきゃだめよ」

「母さんと、同じこと言うんだな」

「良いお母さんじゃない。あなたのこと、心配してるんだもの」

「……」

「……」

はじめ。面白いもの、見せてあげようか?」

「何?」

 櫻子さくらこは卵をひとつ、ラップのまま両手で包んだ。目を閉じ、何かをとなえる。

「はい!」

 はじめの目の前で両手をパッと開く。ラップの中が黄色い。

「え? 手品?」

 そうっとラップをほどいていく櫻子さくらこ

「ピヨ」

 ひよこが手の平で鳴いていた。

「どうぞ、召し上がれ」

「ピヨ」

 はじめの口元へズイッと差し出す。

「ピヨピヨ」

 ひよこのつぶらな瞳がまっすぐ、はじめを見つめる。

「ひえっ。だだだ、ダメだ。おれには食えねええ!」

「ピヨ」

「そう? じゃ、私がいただきまーす。あーんっ!」

「ピヨ?」

 櫻子さくらこがひよこをポイッと自分の口めがけて放り投げた。

土御門つちみかどー! お前の血は何色なにいろだーー!! あっ?」

 口に入る直前で、元のゆで卵にもどった。そのままパクッ。もぐもぐ。

Yummyヤミー ! (おいしい!)お母さんのゆで卵は一流ね」

土御門つちみかどの母さんじゃねえし、ゆでるだけだし……。それ、どうやったの?」

錬金術れんきんじゅつよ。ある物を別の物に変えるやつ。ほら昔、私のご先祖様がヨーロッパを旅してる時に修得したらしいの。私はちょっとしか使えないけど」

 ポーッと聞くはじめ

「でもそのままじゃ鳴かないから、幻覚をあなたに見せたわけ」

「そっか。いろいろ合体してるんだな」

「やだ。Cartoonカートゥーン、あ、テレビアニメみたいな言い方しないでよ。取り入れてるって言ってよ」

「ハハッ、ごめん。ハハハ」

「ふふ。少しは元気になれた?」

 笑ってはいるが、力はなく。頭をうなだれるはじめ

 やがて、ポタッポタッと目から床に、いくつものしずくが落ちた。

土御門つちみかど。どうしようか、おれ」

まもるがあんなになって……。咲子さくこも泣きじゃくって」

 涙と悔しさで、顔をぐしゃぐしゃにする。〝紫色のあいつ〟への憎しみも、あった。

「……泣かないで」

 はじめの背中を優しく、ゆっくりさする櫻子さくらこ

はじめ。あなたは強いわ。あの時、私を助けてくれたじゃない」

「あなたには、大口真神様おおくちのまがみさま八咫烏様やたがらすさままもってくれてるはず。だから」

 さすっていくうちに——櫻子さくらこに鳥肌が立った。

「! はじめ? どうしたのはじめ

 彼の顔を真っ黒、もっと闇色やみいろなモヤがおおっている。櫻子さくらこが感じ取ったものが今、はっきりと彼女の目に映った。

「これ……。ダメ! しっかりしてはじめ!」

 彼の胸ぐらをつかんで激しくさぶる。

「え? おれ、何かした?」

 涙目で、不思議そうに櫻子さくらこを見る。闇色やみいろは消えていた。

はじめ。あなたは……闇の色を感じて無い……」


『油断するな』


 声を思い出す櫻子さくらこ。響いた声は、このこと? それは、はじめに向けて? それとも櫻子さくらこ

「あー。いたー。え? 夫婦喧嘩ふうふげんかか?」

 はじめ櫻子さくらこを探しにやって来たクラスメイトの男子が、下から声をかける。

 彼が見たのは、はじめの胸ぐらをつかんでいる櫻子さくらこ。確かに喧嘩けんかに見える。

狼堂えんどうー、土御門つちみかどー。木花このはなが来たぞー。あいつ、なんか変だ」

 櫻子さくらこはじめの手を取って、急いで階段を駆け降りた。


 五年一組に、咲子さくこがいた。顔色が悪い。周りを女子たちと男子たちが囲んでいる。

「大丈夫?」

「なんか顔が青いわよ……」

 黙って不安そうに見ている子もいた。みんな、女子も男子もそれぞれ自分なりに彼女とまもるを心配しているのだ。

咲子さくこ!」

咲子さくこ!」

櫻子さくらこちゃん。はじめちゃん。心配かけてごめんなさい」

 駆け寄る二人。

「謝らなくて良いよ。もう平気なの?」

「そうよ。まだどこか悪いところ、無い?」

 咲子さくこは首を振る。

「わたしはすぐ、家に帰れたけど……」

 弱々しく話しを続ける。

まもるちゃん、今日も入院してるの。お見舞いに行ったら、ずっと独り言を……」

「(ねたんでい、うらんでい)って」

まもるちゃんが戻らなかったら。わたし……」

咲子さくこ。あいつのせいだ。〝紫色のあいつ〟がまもるをそんなのにしたんだ!」

 憎くて顔を歪ませるはじめ。闇の色がちらつく。

 櫻子さくらこ咲子さくこの頬を両手で包む。

咲子さくこ。あなたの名前、木花このはなは〝桜の木の花〟の意味があるの。笑って、桜色の笑顔を咲かせましょ。まもるに。ね?」

 櫻子さくらこは気づいた。決意した。自分だけでは解決出来ない。力になってくれる人が必要だ。

 それははじめ。彼には二人を思う心と、きっと何かの力がある。そして彼自身を励ますために、〝闇の色を気づかせる〟ためにたたかう。

「大丈夫。わたしが、はじめわたしが、助ける」

 咲子さくこまもるまもるために。

 咲子さくこが涙ぐむ。

櫻子さくらこちゃん」 

 教室の入り口が、ざわめいた。

天童てんどう!」

「どうしたの、その格好。病院から抜け出したの?」

 クラスメイトの声に振り向く三人。

まもるちゃん!」

 咲子さくこが叫ぶ。

 まもるがいた。入院服のままで。

 うつろな目ではじめを見る守。

「ぼくは……。はじめちゃんがうらやましかっただけなんだ。いつもまもってくれて、助けてくれて……。はじめちゃんみたいになりたかっただけなのに、あいつが、それはねたみだ、うらみだ、って。ぼくの頭に入って、ぼくを動かすんだ」

 まもるの目から涙がこぼれる。けがれのない、きれいな涙だった。

まもる、その目!」

 はじめが焦る。

「きゃあ」

 咲子さくこが小さい悲鳴をあげた。

 まもるの目の色が、にごった紫色に変わっていったのだ。

 乗っ取られていく。〝紫色のあいつ〟が身体からだを操っていく。

このままではまもるの心も、いずれ……。

はじめ! 落ち着いて!」

 はじめのシャツのすそを両手であわてて引っ張る櫻子さくらこ。彼女だけに見える闇の色が、彼からにじんできた。

「てめえ! まもるを返せ!」

 はじめが怒鳴る。闇色やみいろ身体からだを包む。


怨念おんねん〟の中へ、みずから一歩踏み入れた。


 それを待っていたかのようにまもる身体からだが震えだす。そして突然。

 銀色ぎんいろつるぎがいくつも、まもるを中心に放射状に突き出した。つるぎの先が全て外へ向いている。

 まるでつるぎのボールだ。天井に届きそうなくらいに大きい。 

「これは護法童子ごほうどうじ。オレが操る鬼神きしんだ」

 まもるの口からまもるの声で、〝紫色のあいつ〟がしゃべった。

護法童子ごほうどうじ〟仏を守護する神霊しんれいをそう呼ぶ。だがこの姿は、ただの怪物だった。

狼堂えんどうはじめ。おまえのその〝怨念おんねん〟は、あの時のオレと同じだ。良い光景だ。そのまま殺し合え」

 小さなうらやみやにくしみは、強いねたうらみになりやすい。いつの間にかふくらんで〝怨念おんねん〟となり、周りを巻き込んで害になる。

 そして最後は、全部を滅ぼす。〝怨念おんねん〟を生み出した本人までも。

はじめちゃん櫻子さくらこちゃん、逃げて。ぼくが二人をねらってる」

「逃がさない」

「ダメだ! 逃げて」

「ダメだ! 逃さない!」

 まもるが、反対の言葉を交互に言う。

 つるぎのボールが回り始めた。回転のスピードが速くなり、机やイスをバラバラに、床や壁を削る。すざましい音だ。

まもるちゃん! やめてー!」

 咲子さくこの叫びが教室の中に響く。

 まもるが叫ぶ。

「これじゃ、みんなを殺しちゃうよ。いやだ!」

ねたんでい! うらんでい!」

 まもるたたかっている。〝紫色のあいつ〟と。自分と。

 はじめは。憎しみの目で、つるぎのボールへ足を進める。

 同じように〝怨念おんねん〟の中へ一歩、また一歩。

〝紫色のあいつ〟に向かっているはずなのに、自分を滅ぼす道に近づいている。

 はじめには、まだ、見えない。櫻子さくらこだけだ、見えるのは。

はじめ! だめよ! 行っちゃだめ!」

 櫻子さくらこは、はじめの手を握りしめて引っ張る。

 彼は止まらない。このままでは地獄が待っている。

Nooooooノオオオオオ (ダメえ)!!」

 櫻子さくらこが、後ろからはじめを抱きしめた。強く。

まもるが自分とたたかっているの! はじめたたかって! 私もたたかう!!」


うらむのではい! まもるのだ! 二人ふたりで!!』


 言葉が、降り注いだ。強く、厳しく、そして暖かく。二人だけが感じた。

 はじめの目に光が宿った。櫻子さくらこの心にも。

「おれは……。土御門つちみかど、おれに言葉を」

「感じた。私にも聞こえた。戻って来てくれたのねはじめ

 櫻子さくらこはじめを、もっと強く抱きしめる。

〝紫色のあいつ〟が舌打ちをした。つるぎの回転が激しくなる。

「みんな! 廊下へ逃げて!」

 はじめは叫ぶやいなや、櫻子さくらこの手を引いて窓へ走った。

 握り返して一緒に走る櫻子さくらこ

はじめちゃん! 櫻子さくらこちゃん!」

咲子さくこ。おれたちに!」

「まかせて! 咲子さくこ!!」

 咲子さくこに返事をして飛び出す二人。

 三階から。

 はじめ櫻子さくらこをお姫様抱ひめさまだっこでドンッと着地する。土煙が上がる。

 そしてダッシュ!

土御門つちみかど、ありがとう。一緒にたたかうって言ってくれた」

Noノー problemプロブレム.(どういたしまして)誰かが私たちを見ててくれてるのよ」

「いやー。櫻子さくらこの声が一番……」

 ドッカン! とつるぎのボールが三階の壁を破って飛んで出た。

 二人の後を追う。

「腹、減ってきたなぁ」

「余裕ね。はい、あーん」

 壱恵かずえのおにぎりを差し出す。ちゃっかりしっかり、持って来てる。

 お姫様抱ひめさまだっこで走っているはじめは両手を使えない。直接、櫻子さくらこの手からほおばる。

 あーん。はむ。

「うめえな、おい」

「お母さんのおにぎりだもの。私もひとつ」

「だから土御門つちみかどの母さんじゃねえし」

Yummyヤミー ! (おいしい!)」

「とにかく、もぐもぐ。まもるを、もぐ。助けなきゃ。ゴックン。あいつから引き離そう!土御門つちみかど

「やっちゃお! Hereヒア weウイ goゴー ! 」

 つるぎのボールは、土をえぐって転がって来た。二人に迫る。校庭に深い溝が出来上がる。

「あいつの動きを止めるのが先ね。はじめならどうする?」

「一気に止めようと思わない。ちょっとずつ! 時間を稼いで後は走りながら考える!」

Leaveリーブ it toイットゥ meミー !(まかせて!)とりゃ!」

 はじめからとび降りた櫻子さくらこが、人差し指で地面を軽くタップする。岩の柱が何本も地面から生えてつるぎのボールの周りを取り囲んだ。錬金術れんきんじゅつだ。

「どこがちょっとだ。すごいじゃん」

Justジャスト a littleリトル.(ちょっとだけ)よ。ちょっとだけ。まだまだよ」

「カッケーなあ!」

 つるぎのボールは一瞬だけ止まったが、回転を強める。すぐに柱を粉々にした。

「あーダメかあ。〝式神しきがみ〟!」

 櫻子さくらこはポケットから和紙を一枚取り出し、つるぎのボールへ飛ばした。

 和紙には☆の記号を一筆書きで記した〝五芒星ごぼうせい〟があった。紙は無数の赤いアゲハ蝶に変化へんげして、つるぎのボールをおおいつくす。

式神しきがみ〟とは陰陽師おんみょうじが操る神霊しんれいのことだ。式神しきがみ変化へんげした和紙を式札しきふだと呼ぶ。

「無駄だあ!」

 まもるの、いや〝紫色のあいつ〟の言葉が轟く。アゲハ蝶はまたたく間に切りきざまれた。

「おまえ達も切りきざんでやるよ!」

〝紫色のあいつ〟がスピードを上げた。二人に追いつきそうだ。

櫻子さくらこ!」

 はじめが彼女を再びお姫様抱ひめさまだっこして走り出す。息は切れてない。もっと速く走った。

「やっぱりがんじがらめにしないと」

 はじめの腕の中で櫻子さくらこがつぶやいた。

〝がんじがらめにしないと〟 ピコーン! はじめひらめいたいた!

「体育館に行く!」

「体育館? どうするの?」

 はじめに聞き返す。

「って、キタキタ来たー!! もっと速くはじめ! Hurryハリー upアップ! (急いで!)Hiyoハイヨー Silverシルバー ! (ハイヨー、シルバー!)」

「だれがシルバーだ! 夕日に向かって投げたるぞコラ!」

 まだ三時限さんじげんです。午前中だよ。つるぎのボールが突撃して来た。二人にぶつかる!

 ヒョイッ。

 寸前でかわしたはじめ。ジャンプで、ヒョイッと。

 勢いあまったつるぎのボールは、体育館一階の支柱に激突した。

 折れる支柱。音を立てながら体育館が傾いて倒れる。つるぎのボールの上へ。

「しまった!」

まもる!」

 二人はあせった。が、瓦礫がれきを砕いてえぐってつるぎのボールが飛び上がる。宙に浮いて、しばらく止まっている。はじめ櫻子さくらこの様子を見ているのか。

「良かった!」

「じゃないわよ!」

 はじめを叱る櫻子さくらこ

「とにかく、時間をかせいで。おれは物置へ行く」

「わかったわ。どうする気かわかんないけど。その前にこれ」

 円錐型えんすいがたの、塩の塊をふたつ、はじめに渡す。櫻子さくらこも、それをふたつ持っていた。

「二人で念を込めてこれを置けば、少しは効果あるんじゃない? 時間もかせげるし」

結界けっかいか! よし、やろう」

 二手に別れるはじめ櫻子さくらこ。同じ言葉を、同時に発した。

六根清浄ろっこんしょうじょう! 急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!(我が、眼・耳・鼻・舌・身・意を清めよ! 今すぐに!)」

 さすが神社じんじゃ息子むすこ陰陽師おんみょうじむすめ。難しいことを知っている。彼らは自分を清め、つるぎのボールの真下、四方を囲むようにタイミングを合わせて念を込めて塩を置いた。

結界けっかいか。何のつもりだ。無駄だと言っただろう!」

 再び暴れようとする〝紫色のあいつ〟。だが、動けなかった。

グラグラするだけで、その場から出られない。

「よっしゃあ!」

Ohオー, yesイエス ! (やった!)」

「二人で初めて行なった共同作業です」

「どこの結婚式の司会者なの、はじめ

 ハイタッチする二人。

はじめちゃん。櫻子さくらこちゃん」

 まもるの声が。あいつに隙ができたのか、まもるの心が戻った。

まもる! 待ってろ、今そこから出してやる! 土御門つちみかど、後はたのむよ」

 はじめは物置へ走って行った。

「じゃあ、もうひとつ!」

 櫻子さくらこ結界けっかいの、盛り塩の外側を走って円を描いた。そして正確な東西南北の方角にそれぞれ〝青龍せいりゅう白虎びゃっこ朱雀すざく玄武げんぶ〟の文字を書く。これでさらに強力な結界けっかいが出来上がる。

「なかなか出られないでしょ? これでドヤあ」

 ドヤ顔の櫻子さくらこ

「なめるな!」

〝紫色のあいつ〟が叫ぶ。つるぎのボールは自らをさぶり出した。ゆっくり降りてくる。結界けっかいの中心に着いたそれは、右回り左回りと反転を繰り返す。激しくらす。

 電気みたいな光がバチバチと鳴った。力づくで破るようだ。

 結界けっかいの塩にヒビが入り、パラパラくずれ始めた。

「あらら。はじめ、まあだー?!」

土御門つちみかど!」

 櫻子さくらこを呼ぶ。

「え?」

 振り向いた時。ビュンッと彼女の顔の横を——、

 物干し竿が飛んでいった。つるぎのボールへ。はじめが投げたのだ。

 物干し竿はつるぎつるぎのすき間を通って止まった。まもるの顔ギリギリにかすめている。

「ふざけるなああ!」

〝紫色のあいつ〟が怒った。回転を始める。あっという間に結界けっかいを破って二人を追いかけ出した。

「さ、逃げるよ土御門つちみかど。うまく行くように、お祈りお祈り」

 櫻子さくらこをお姫様抱ひめさまだっこして走る。今日で何度目だろう。

 もはや様式美。うむ、美しい。なことはどうでもいい。

Whatワット ? Whyフワイ ? (なに? なぜ?)」

 櫻子さくらこが振り向くと——。物干し竿のはしっこに細い紐がくくり付けてあった。

 紐の次は少し太いロープがつながれ、その次はさらに太いロープがつながる。少しずつ少しずつ、太くなるロープが剣のボールに巻き取られていった。

Ohオーウ ……イートーマキマキイートーマキマキ」

「巻いて巻いてえ!」

 ポッカンキョットンで歌う櫻子さくらこに続けてはじめがリズム良く歌う。

 ロープは切れなかった。つるぎの力が、ロープにしっかりとかからないからだ。つるぎつるぎの間にみるみるうちに絡まる。

 最後は運動会で使う、すご太の綱引きの縄が、つるぎのボールに巻きついた。これはもう、大きな、絡まった縄の固まり。

縄玉なわだま、出来上がり!」

はじめ! Geniusジーニアス ! (天才!)」

 今度ははじめが、

「これでドヤあ! Alrightオーライ ! (よっしゃあ!)」

「な、な、な?!」

〝紫色のあいつ〟が驚いた声を出す。

 縄玉なわだまになったつるぎのボールはあっちへコロコロ、こっちへコロコロ。つるぎは縄に埋もれて突き出ていない。縄玉なわだまは困ったようにあっちへオロオロ、こっちへオロオロ……。 

 オロコロオロコロ。途方に暮れるとは、こういうことなのだろうか。

土御門つちみかど!」

 はじめ櫻子さくらこを促す。

「AT○ィールド!——んっ! んっ!」

 櫻子さくらこが咳払いした。彼女の方こそCartoonカートゥーン・アニメの見過ぎだ。

「……おい」

 あきれるはじめ。テヘぺろ、しきり直す櫻子さくらこ。もう一度、塩を置き、円を描いて〝青龍せいりゅう白虎びゃっこ朱雀すざく玄武げんぶ〟の文字を書く。もっと念を込めて。

 さらにさらに、もうひとつ円を描く。等間隔に、十二種類の記号を配置した。念には念を入れて、結界けっかいを増やした。

 これで〝紫色のあいつ〟を完全に閉じ込めたはずだ。外へ出ることは出来ない。

 思った通り、ピクリとも動けなくなった。


はじめちゃん! 櫻子さくらこちゃん!」

 咲子さくこが追いかけてきた。クラスメイトのみんなも一緒に。

まもるちゃんは?!」

「この中よ。これからあいつとまもるを引き離すの」

 櫻子さくらこ縄玉なわだまを指でさす。

まもるちゃん……。こんなに太っちゃって」

「……おい」

「……おい」

「あああ。ごめんなさい! ごめんなさい!」 

 咲子さくこはまだ、動揺している? 『こんな姿になっちゃって』と言いたかったみたいだ。

はじめちゃん。櫻子さくらこちゃん」

 中からまもるの声がした。

まもるちゃん!」

「その声、さくちゃん?」

「大丈夫? どこか痛くない? 気分は?」

 咲子さくこが次々と質問する。不安で心配でたまらないのだろう。

「平気だよ。気がついたら、暗くて。あ、物干し竿がある?」

「物干し竿? なんで?」

 咲子さくこの頭の中が? でいっぱいになる。はじめが投げた場面にいなかったのだから当然だ。

「ねえ、まもるまもるの中に、あいつって……まだいる? 感じる?」

 櫻子さくらこが慎重に聞く。

「どうだろう……。ちょっとわからないよ」

 〝紫色のあいつ〟は、こちらの様子をうかがっているのか。いなくなったのなら、まもるは元に戻るはずだ。

土御門つちみかど。今のうちにあいつを追い出そう」

大祓詞おおはらえのことばって知ってる?」

 はじめ櫻子さくらこに聞く。

「知ってるわ。これでもかって覚えさせられたもの」

「じゃ、一緒にとなえてくれるか? 時間がかかるけど、気を抜かないで」

「そっか。大祓詞おおはらえのことばなら、できるかも。やってみよう」

「ねえ。オオハラエノコトバって、なに?」

 クラスメイトの女子が櫻子さくらこに聞いた。

「え? ええと。悪い鬼とかをやっつける言葉よ。例えば……。AHアー、うー、んー……」

 どう言えばわかってもらえるか悩みだした櫻子さくらこ

「ここからは、おれが説明する! 大祓詞おおはらえのことばってのはだなあ。これを言い終わるまでの時間は、約、六分間! 以上!」

 壱が言い切る。文字どおり、話しを切った。

「…………」

「え、えと。つまり、それだけスゴイ言葉なんだな?」

 クラスの男子がおそるおそる言った。

BINGOビンゴ ! (当たり!)」

 はじめは親指を立てる。

「いくぞ。土御門つちみかど

 うなづく櫻子さくらこ

六根清浄ろっこんしょうじょう! 急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」

 声と息、心を合わせる二人。

「高天原に(たかあまのはらに)」

「神留まり坐す(かむづまります)——」

 結界けっかいの外側を囲む炎の輪が現れた。縄玉なわだまを包み込みながら噴き上がる。

 その色は、にごった紫色——。

「何これ? 土御門つちみかどさん。二人でやったの?」

「熱くないな? うわ! ビリビリくる」

 クラスのみんなが騒ぎ出す。

はじめちゃん! 櫻子さくらこちゃん! これって!」

 咲子さくこはすぐに気づいた。

「〝紫色のあいつ〟だ! まもる! まもる!」

 あわてるはじめ

「みんな! 離れて、もっと! 咲子さくこも逃げなさい!」

 櫻子さくらこは、みんなを逃すことだけでいっぱいいっぱいになった。大祓詞おおはらえのことばは失敗した。

 クラスメイトは散り散りに逃げる。

はじめ! これは結界けっかいよ! あいつが大祓おおはらえをはじくのに作った!」 

 縄玉なわだまが、沈みだした。地面の中に、まもるが沈んでいく。

「ははは。泣けよ、狼堂えんどうはじめ土御門櫻子つちみかどさくらこも泣け。天童守てんどうまもるを死なせてやるよ。こいつは護法童子ごほうどうじの魂が人間に生まれ変わってきただけ。使ってやったよ」

「大事なもの死なせてやるよ。苦しめ。ありがたく思えよ」

〝紫色のあいつ〟が、まもるの声で憎たらしく言う。

「いやあー!!」

咲子さくこ! 行っちゃダメ!」

 櫻子さくらこが止めるのも聞かず咲子さくこ縄玉なわだまへ向かって走る。紫色の結界けっかいに、手を押し当てた。

「きゃああ! 痛い!」

 手から身体全体に電撃が走った。咲子さくこは苦痛に顔を歪める。しかし、手は絶対に離さなかった。

「ちっくしょおお!」

 はじめ咲子さくこの隣に張り付いて結界けっかいに力いっぱいの拳を打つ。電撃の攻撃を受ける。

「うわわっ。痛ってえ!」

土御門つちみかど!こいつを止めてくれ!」

 はじめ結界けっかいを破れなかった。縄玉なわだまはゆっくり、沈んでいく。

「ああ。どうしよう……」

 櫻子さくらこはあせった。自分では、止める方法を思いつかない。

 こうしている間にも、まもるがどんどん沈む。

はじめちゃん。さくちゃん。もういいよ」

まもるちゃん!」

まもる!」

櫻子さくらこちゃんも、ありがとう」

「早く離れて。ぼくはいいんだ。みんな死んじゃうよ」

 まもるは静かに言った。せめて、みんなを巻き込まないように。しかし、その声には悔しさが、あった。

 咲子さくこが叫ぶ。

「あきらめないで、まもるちゃん! 自分に勝って!」


『わたしは、まもるちゃんをあきらめないから !! 』


 涙をいっぱいためた目。泣きながら、声に全てを込めて、大きく叫んだ。——

 ——時、咲子さくこの手から、桜色さくらいろの光があふれ出す。その手が、結界けっかいをつらぬいた! 縄に届いた!

「すごい。咲子さくこ!」

 櫻子さくらこが、驚きの声をあげる。

「おおりゃああああ!」

 はじめはチャンスを見逃さない。咲子さくこが破った結界けっかいを手と、根性でこじ開けた。

 身体からだを無理矢理入れ、つかんだ縄を引きちぎる。腕がミシッ、ミシッ、と鳴いた。

はじめもすごい。Coolクール ……(カッコいい……)」

 つぶやく櫻子さくらこ

土御門つちみかど! せめて、まもるがあっちに行かないようにしてくれ!」

 叫ぶはじめ

「え? え? 行かない? 行けない……。そうかっ!」

六根清浄ろっこんしょうじょう……」櫻子さくらこは再び清め、言葉の力を蓄える。力が最高まで達した瞬間。

「逆転!」

 櫻子さくらこが放ったその一言が、変えた。彼女の結界全部が唸る。そして静まった。

 縄玉なわだまが止まった。

Iアイ madeメイド itイット ! (やった! 成功!)」

 人差し指を空に向けて高く上げる。

「どうやったんだ?」

「ただ、逆にしただけ」 

 はじめの質問に答える櫻子さくらこ

 出ることが出来ない結界けっかいを、入ることが出来ない結界けっかいに変えたのだ。縄玉なわだまは地面に沈むことをやめた。しかし、無理矢理に逆転したから、効果は低い。

「今のうちよ! 時間がたてば、また沈むわ。早くまもるを!」

 櫻子さくらこも助けに走った。

「も一回、おりゃああ!」

 はじめが絡み合った何本もの縄を引きちぎる。見えた! まもるの顔が。

「よしまもる! おれの手を!」

まもるちゃん! 早く手を!」

さくちゃん……。はじめちゃん」

 まもるはじめの手を握った。上へ登ろうとしたら……。

「誰かが、ぼくの足を引っ張る!」

 まもるが下へ引きずり込まれそうになった。はじめも一緒に。

 ボールの底には——。足をつかむ腕だけが伸びていた。開いた闇色やみいろの穴から。〝紫色のあいつ〟の腕。

 あいつの執念、〝怨念おんねん〟は止まらない。まもるの口から、またあいつが。

「まだだよ。直接送ってやるよ。狼堂壱えんどうはじめ、お前も来い」

「しつこい! やめて!」

 たまらず咲子さくこまもるはじめの手をつかむ。引き上げられない、あいつの力は強い。ズルッズルッと闇色やみいろの穴へ。

式神しきがみ!」

 櫻子さくらこ式神しきがみを放った。赤い蛇となって、あいつの腕を締め上げる。が、炎を上げて一瞬で消滅した。

Noノー ! 」

 櫻子さくらこはじめの手をつかむ。動かない、動けない。これでは四人とも連れていかれる。


土御門つちみかどさん!」

狼堂えんどう!」

木花このはなさん! 天童てんどう君!」

天童てんどう!」

 クラスメイトが、櫻子さくらこはじめをがっちりとつかんだ。さらにその子たちをつかむ子、また別の子らがつかむ。そうやって順に各々おのおの身体からだをつかんでいった。

 全員がつながった。

「みんな……。ありがとう!」

 はじめがお礼を言う。

「よーし! みんなで助けるぞ! まだ引くな、合図するまでこのまま待つんだ!」

 男子の一人が声を上げる。

〝紫色のあいつ〟の腕がさらに強く引っ張る。

 はじめまもるの手が、腕がきしむ。二人の手がだんだん離れていきそうに。

まもるまもる! がんばれ!」

 はじめは歯をくいしばる。

まもるちゃん、がんばって」

はじめちゃん! さくちゃん! 櫻子さくらこちゃん!」

 まもるもあきらめない。


 ガクンと衝撃が起こった。つるぎのボールがまた沈み始めたのだ。

 その衝撃で二人の手が。

まもるちゃん!」

まもる!」

まもる!」

 まもるが、引きずられていく。闇色やみいろへ。〝怨念おんねん〟の中へ。

 咲子さくこが、頭から飛び込んだ。


『大好きだからあー!! まもるちゃん!』


 右手でまもるを、しっかり捕まえた。左手を彼の頬へ。まもるも、握り返す。名を呼ぶ咲子さくこ

まもるちゃん」

 はじめは、見開いた。

「! 咲子さくこ。それ……」

 また、咲子さくこの両手が輝いていた。光があふれる。桜の花びらのような、桜色さくらいろの光が、手から舞い上がった。

 まもるの手からも、咲子さくこに応えるように銀色ぎんいろの光があふれる。

 二人からあふれる桜色さくらいろ銀色ぎんいろ。お互いの光がお互いの身体からだを包み合う。銀色ぎんいろつるぎは散っていき、桜色さくらいろの光に。〝紫色のあいつ〟の腕は銀色ぎんいろに染まり、崩れていった。声出す暇もあとかたも無く。

 まもるの〝怨念おんねん〟が解けた! まもる咲子さくこが勝った。

 残った縄だけが、ドサドサドサッと落ちる。

「やった……。みんな! 狼堂えんどうたちがやったぞー!」

 男子の一人が叫んだ。クラスメイトたちから歓声が上がった。

「アプローーズ!(拍手・喝采!)」

 別の男子も叫ぶ。全員から拍手が湧いた。

「痛い。お尻が痛い……。あれ? はじめは?」

 縄と一緒に崩れ落ち、尻もちを突いた櫻子さくらこは、キョロキョロはじめを探す。

「タチケテ。イタイ。オモイ」

 声はすれど、姿は見えず。

「あ。はじめ

 はじめがいた。お尻の下に。正しくは、櫻子さくらこのお尻の下の縄の下。

「どうしたの! こんな所で寝てるなんて!」

「ハヨ、ドカンカイ」

 はじめの悲痛な声に、櫻子さくらこは縄をどかしだし、彼を掘る!

「ドボチテこうなるの?」

 はじめはトホホ顔だった。

「ねえ、土御門つちみかどさんと狼堂えんどう君、助けなくていいの?」

 クラスの女子が言った。

「あの四人は、ほっとけ。近づけないよ」

「四人? 近づけないって?」

 男子の言葉に首をかしげる。その四人に目をやると——。


 崩れた縄の中心でお互いの手を握る、咲子さくこまもる。なんか、語り合ってる。

 その横で、かいがいしくはじめを掘り起こす櫻子さくらこ。なるほど。これでは近づけない。 

「……結界けっかい結界けっかい。あの四人、恋の結界けっかい、張ってるわ」

 別の女子が母親のようなまなざしで言う。どこの母さんだ。

「違うな。愛だよ、愛……。ちっくしょー」

 別の男子は、さとったように言った。実に、さわやかで健康的な、うらやましさあふれる

『ちっくしょー』だった。知らんけど。

 校庭では先生たちが大騒ぎしている。三階に穴の空いた校舎。完全に崩れた体育館。無理もない。校庭もえぐれている。

 やがて消防車や救急車、パトカーまでやって来た。

「そういえば、カモカモ先生は?」

「たしかお腹壊なかこわしたって。黒いブツブツ食べておやすみなはず。だよね?」

 聞いただけで腹が痛い。

「そうだっけ?」

「お父さんのお兄さんの奥さんの友達のいとこのお母さんが急死したとかで、お葬式に行ってるとか聞いたけど?」

 間違いなくズバッと他人だ。よく覚えたな。

「駆け落ちしたって聞いた。愛をつらぬくとか何とか。飛びに行くって」

 飛びに行くって、どこかの屋上から「Iアイ canキャン flyフライ !! (わたしはとべる !! )」ってか?

 さあ、だんだん怪しい話しになって来ました。

「ま、いっか」

 クラスメイトたちはカモカモ先生をスルーする。


わかいっていなあ』


 別棟の校舎の屋上で、お茶をすするカモカモ先生。今までを、全てをここで見ていた。

 生徒たちが話していた欠勤理由の噂の元は、コイツ。嘘をいっぱい流してどうでも良くさせる作戦だ。成功。

「熱出して(嘘)良かったなあ」

「ズズ、ズー」

「あの四人が、ここまでやるとはなあ。ズズ、ズー」

 お茶がうまい。勝利の味だ(戦っていない)。心地よい風が吹いた。のほほん。

 五年一組の生徒たち全員は、カモカモ先生のことはもう、どうでも良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る