東雲色の鎮守・白い牙・黒い爪

 次の日のよく晴れた、暖かい夜明け前。おい森神社もりじんじゃ東雲色しののめいろの空によく映えていた。

 日の出は近い。

 狼ノ森神社もりじんじゃ宇野月うのづきまちの小さい山の中腹に建っている。

 入り口の鳥居とりいをくぐって杉の木が並ぶ石段を五分ほど上ると、さらに鳥居とりいがある。

拝殿はいでんへと続く参道は、杉の木に囲まれた広場になっていた。その途中で〝お犬様いぬさま〟が出迎えてくれる。

 拝殿はいでんの奥には木で造られた階段があり、〝大口真神様おおくちのまがみさま〟がまつられている山頂の本殿ほんでんへとつながっていた。

 眠い目をこすりながら、はじめは参道のはき掃除をしている。毎朝のお務めだ。

 咲子さくこまもるも一緒だ。二人はここで遊ばせてもらっているお礼にと、よく手伝いに来ている。

「今朝もゴミが少なくて良かったわね。はじめちゃん」

「眠たいッス」

はじめちゃん、いつも上手だねえ」

 咲子さくこまもるの声に応えながら丁寧ていねいに掃除をするはじめ

「眠たいッス」

「もう明るくなってきたなあ」

「暖かくて良かったわ。四月はお日様の昇りも早くなったわね」

 咲子さくこまもるの二人の会話が弾んでいた。はじめは、

「眠たいッス」

 太陽が昇ってきた。辺りが光に満ちてくる。

「おーいはじめ。もう六時になるぞ。そろそろ終わりにしようか」

 はじめの父、洸壱こういちが声をかけながら社務所しゃむしょから出てきた。がっしりムキムキなからだは、格闘家に見える。

「お早うございます。おじさん」

「お早うございます」

「やあお早う。二人とも、はじめに付き合ってくれていつもありがとうな」

「眠たいッス」

 はじめがあくびをしながら石段、鳥居とりいの方に目をやると。

 誰か上って来る。

 日の光にキラキラする髪。櫻子さくらこだ。

「うっっそーーん!」 

 はじめは眠気を吹き飛ばされた。一緒に意識も遠くへ飛びそう。今日は木曜日。土曜でも日曜でもない。

 もちろん両親には話しは通してある。

 しかし。

 急に来られるとどうして良いかわからない。

 咲子さくこまもるもいる。あわててしまう。

櫻子さくらこちゃん!」

 二人が駆け寄って行った。

 鳥居とりいの前でペコリとお辞儀じぎをする櫻子さくらこ。三人を見つけると微笑んだ。そのまま拝殿はいでんまで歩いてくる。

「どどどどうして今? ここに?」

 あせるはじめ櫻子さくらこは、

「一度、お参りしなきゃと思って来ただけよ。こっそりのつもりだったけど、まさかみんながいるなんて」

「こんな早くから櫻子さくらこちゃんに会えるなんて」

「本当だ。今日は良いことがあるかもね」

 咲子さくこまもるが嬉しそうに話す。

「おやあ? おやおやおやおや、おやあ?」

「親です。父のほうの」

 見ればわかる。ムキムキマッチョな母親はいない。多分。会話に入ってきたこういちはじめは紹介した。

はじめ……君のお父さん? はじめまして。土御門櫻子つちみかどさくらこです」

「君が土御門つちみかどさんか」

 洸壱こういちがコッソリ櫻子さくらこに耳打ちする。

はじめから話しは聞いてるよ。昨日は大変だったねえ)

 ヒソヒソ。

(いえ……そんな。はじめ君にはいろいろよくしもらって……)

 つられて櫻子さくらこもヒソヒソ。

「ごはん出来たわよー。咲子さくこちゃんとまもるちゃんも食べて——」

 はじめの母、壱恵かずえが顔をだす。

「あらあ? あらあらあらあら、あらあ?」

 はじめを押しのけて櫻子の前へ走って来た。飛ぶはじめ

荒神様アラガミさまです。母のほうの」

「こりゃ」

 はじめの頭をぺシンとはたく壱恵かずえ櫻子さくらこはクスッと笑った。

「はじめまして。土御門櫻子つちみかどさくらこです」

櫻子さくらこちゃん。良い名ねえ。ね、あなたも朝ごはん食べていって? ね? ね?」

 両手で櫻子さくらこの手を取りながらいきなり誘う壱恵。ちょっと強引だ。

「ありがとうございます。せっかくのお誘いですけど、朝食はもう済ませてしまって」

「あら、残念だわあ。」

 がっかりする壱恵かずえ。手を離さない。

「残念だわあ。ホントに残念」

 手を離さない。

「すみません。せめて、お参りだけでもさせてください」

「残念だわあ」

 手を離さない。手を離さない。手を……。

「母さん。櫻子さくらこちゃんが困ってるじゃないか。ハッハッハッ。なあに、はじめといっしょになってくれれば、みんなで毎日ごはんが食べられるさ」

「そうね! 良い考えだわお父さん! ああもう、その日が楽しみだわあ。あ、でもその前に櫻子さくらこちゃんのご両親にご挨拶あいさつうかがわないと!」

 いきなり妄想もうそう爆裂ばくれつさせた洸壱こういち壱恵かずえ。ポッカンキョットンな櫻子さくらこをはじめ、はじめたち三人も遠い所に置いてきぼり。

「何言ッテンデスカ、父サン母サン。息子ハ無視デスカ? ココハダレ? 私ハドコ?」

「ドウシテコウナッタ」

 顔を蒼白そうはくにしたはじめに続いて、

「良カッタワネはじめチャン。コレデ、オジサントオバサンノ公認ノ仲ニナレタワネ」

「ソウダネ。キット、櫻子さくらこチャントオバサンハ良イ母子おやこニナレルヨ。イツマデモ……」

 咲子さくこまもるもセリフを棒読む。

Pleaseプリーズ ! (お願い!)お参りさせてー」

 櫻子さくらこの悲鳴に近い声で全員が帰って来られた。


 お参りを済ませ、家に戻る櫻子さくらこ咲子さくこが、

「じゃ、また学校でね。ここの石段、けっこう急だから気をつけて下りてね」

「ありがと、咲子さくこはじめまもるも学校で」

「うん。今日も一日がんばろう櫻子さくらこちゃん」

 まもるが手を振る。

 いっしょに手を振るはじめ。何事もなく? やり過ごせた。やれやれと安心した、時。

 思わずはじめは、注連縄しめなわを巻いた〝お犬様いぬさま〟に視線を走らせた。

「!」

〝お犬様いぬさま〟の顔、特に右目が、ゆらゆられた。にごった紫色になって。

櫻子さくらこ! 危ない!」

 とっさに叫ぶはじめ。間に合わない。

 にごった紫色が、塊になって櫻子さくらこに激突した。

 今まさに、石段に足を踏み出そうとしていた櫻子さくらこが吹っ飛ぶ。

 石段の下へ落ちていく。


『翔べ! はじめ!!』


 誰かの声を感じた。彼の中に響く。

櫻子さくらこ!」

 はじめが、翔んだ! 一飛びで鳥居とりいを抜け、櫻子さくらこの元へ!

 すんでのところで彼女を抱き止め、着地した。

Whatワット ?  今のなに? 何があったの?」

「大丈夫か! 櫻子さくらこ! 痛くないか!」

 あせった声で聞くはじめ


「きさまぁ!!」

 上で洸壱こういちの怒りの声がした。

「母さん! 咲子さくこちゃんとまもる君を!」

「二人とも早くこっちへ!」

 壱恵かずえのあわてる声も。


〝紫色のあいつ〟だ。確かに櫻子さくらこねらった。あいつの言っていた〝二人〟の、うち一人は。

土御門つちみかど……」

 はじめ櫻子さくらこをお姫様抱ひめさまだっこで石段を駆け上がる。

「おじさん! これは何?!」

 まもるがあわてている。

「きゃあ! こっち来る!!」

 咲子さくこおびえた声も聞こえた。

(ちくしょう! 咲子さくこまもるがいるのに!)

 憎しみが湧き上がる。巻き込みたくないのに、誰も危ない目に合わせたくないのに。

 強い感情だった。あいつが憎くて憎くて……。はじめはもちろん今まで、誰かをねたんだりうらやんだりしたことはある。でもこれは、闇の色——。


怨念おんねん〟の中に足を踏み入れそうだ。はじめは、気づいていない。


うらむのではない。まもるのだ。二人で』


 はじめの頭の中に、また謎の声がやまびこのように響いた。

(これはさっきの声? この声は……)

土御門つちみかど! 翔ぶ!」

Ohオウ ! (きゃっ)」

 高い。櫻子さくらこを抱いたままジャンプした。今度は、鳥居とりいを飛び越えて。はじめ身体からだの、どこにこんな力があったのか。

(誰かの力? おれに、貸してくれてる?)

 はじめ自身、信じられなかった。こんなに翔べるなんて。

 参道では洸壱こういちが、注連縄しめなわのお犬様いぬさま〝紫色のあいつ〟を桃祓ももはらいで必死におさえていた。

 桃の実や桃の木は厄除やくよけ、鬼をはらう時に使われる。

 壱恵かずえ咲子さくこまもるの二人を背中でかばっている。

 洸壱こういちは桃の木のおふだを力を込めて向けているが、おさえるだけで精一杯せいいっぱいのようだった。 

 にごった紫色が〝お犬様いぬさま〟から、続けて噴き出していた。ドロっと、気持ちの悪い物。

 やがてそれに、火が付き大きな炎となり始めた。

はじめ! 九字護身法くじごしんほうだ!こいつを止めるぞ! 教えたことを思い出せ!」

 洸壱こういちが叫ぶ。

 櫻子さくらこも叫ぶ。

「私も一緒に! 私も! はじめ!」

 三人、同時に九つの言葉をとなえ始める。

りん! ぴょう! とう! しゃ! かい! じん! れつ! ざい! ——」

 櫻子さくらこは人差し指と中指を立て、一言ずつ合わせて横・縦・横・縦——と二本の指で格子こうしを描くように九度くど、空を切る。

 はじめ洸壱こういちは両手と指を使って九度くど、違う手印しゅいんを結ぶ。

「——ぜん!」

 三人は最後の言葉に念を込めて、叫んだ。格子こうし九字くじと、手印しゅいん九字くじの光が炎に向かって放たれた。

 その光を浴びて——

 炎は止まった。かのように見えたが。

〝お犬様いぬさま〟が台座ごとグラグラとれ始めた! 炎が地面にあふれ出す! 顔が、石像の〝お犬様いぬさま〟の顔がギギギ、と六人の方へ向いた。

「だめだ! みんな、拝殿はいでんの中へ!」

 洸壱こういちが叫ぶ。

「早く! 早く! 拝殿はいでんから本殿ほんでんへ上がれ!」

 にごった紫色の炎が地面を張ってくる。けがららわしい音と一緒に。

 壱恵かずえ咲子さくこまもるを両脇で抱えるように、洸壱こういちはその三人をかばうように後ろを走る。

はじめは四人のあとを、櫻子さくらこの肩を抱いて走った。


「?」

 はじめは走りながら、チラッと振り返る。

 あの嫌な音が消えた。すぐ後ろまで迫ってたはずなのに……。

 思わず止まってしまった。地面を見る。

はじめ? 早く逃げないと」

 櫻子さくらこも振り返る。炎が無くなっている。二人は地面から視線を上へと。

「!」

「!」

 あいつの頭に、白金はっきんオオカミが食らいつていた。しろいきばいて。

 あいつの背中を、漆黒しっこくカラスが押さえていた。くろつめてて。

 あいつの右目にはひびが入っていた。

 ——今度こそ、本当に止まったのか?

大口真神様おおくちのまがみさま……。八咫烏様やたがらすさま……」

 洸壱こういちがつぶやく。ここにいる、六人全員がその光景を見た。

くろカラス! あれが、八咫烏やたがらす。アメリカにいた私を……。呼んだ」

 櫻子さくらこは立ちつくす。

 咲子さくこまもるは何年ぶりだろう。小さい頃に見えた、優しい目をした白金はっきんオオカミ漆黒しっこくカラス

 二柱ふたはしらの視線は、みんなを見渡した後、はじめに向いた。

 はじめと目が合う。


我等われらは、今はここまでだ……。油断するな。油断するな』


 またはじめに響いた。さっきの声も彼らか。大口真神様おおくちのまがみさま八咫烏様やたがらすさまが消えていく。

「声……。二柱ふたはしらが、私に?」

 今の声は、櫻子さくらこにも響いた。

 その言葉は〝まだ、やつは攻めてくる〟ということか?

「見えた?」

「見えた」

 咲子さくこまもるが言い合う。

「ぼくたちにも見えたよ! はじめちゃん!」

 まもる壱恵かずえの後ろから顔を出す。

「待って! まだ動いちゃダメだ!」

 はじめが止めると同時に——

 あいつのひびが入った右目から噴き出された、紫色の炎が突然大きくなってまもる身体からだおおった。

まもる君!」

まもるちゃん!」

 洸壱こういち壱恵かずえが叫ぶ。咲子さくこが、声にならない悲鳴をあげた。

 炎は一瞬で消えたが、まもるは何も言わずにその場でくずれ落ちた。

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