第7話 炎のタンゴ
タブレットを火中に投じ鉄仮面が接近する――
やはり背が高すぎて肩に腕は回せない。だが今の私なら両手で彼の頸部に触れられる。両脇を抱えられ,咄嗟に自由な背面へ片足を滑らせる。透かさず男も片足を踏みいれ,弓形に逃げた上体に胸を重ねた。視線の応酬を交わし,女が自ら額をあわせると,男は二つの体を縦に戻す。
ハイヒールの爪先で後方に半円を描きながら呼吸を整え,男の出方を待った。ゆっくり身を沈めた男が不審に震えるように顎をつけて軽く押した。頭が傾くのを合図みたいに掌を組みあわせステップを踏みはじめた。
次第に2人の動きが速度を増し,火柱のあわいを擦り抜けながら互いの足や腕や胴を絡みつけた。柔らかく腿が蹴りあげられる。垂直に足が撥ね,赤いレースのスカートが裂けた。スリットの合間から捻り出した膝が引き寄せられて男の片腿に乗る。抱擁されたまま激しく回転し,頰を痛いほど擦りつけあった――
時折音楽にあわせてジーラジーラと口ずさむ懐かしい声を聞き,男とならば身を焦がしつつ永遠にネット世界で踊り続けて構わないなどと思う。
「本当にいいのか? 今度は嫌になっても逃げられねぇぜ――」男は女を抱えあげて高く跳ね,着地するなりその背後に回った。「今なら間にあう。タブー返しをすりゃあ死なずに済むんだ」
眼前の炎が揺らめき,色を薄めながら真澄の妻の姿を映し出した。パソコン画面に前のめりになり入力作業に没頭している。画面は私に渡したメールアドレスでぎっしり埋め尽くされていた。
真澄が遣ってきて異変に気づく。妻が狂気めいた目つきをむける。「葛の店へ行ったでしょ? 最後の逢瀬になったわねぇ」
「何やと……彼女に何ぞしたんか!」
妻がけらけら笑いパソコン画面を指さす。「ネットタブーを仕かけてやったのよ。同じ時間に同じ八つの文字を入力すれば当事者たちの1人がすぐ死ぬ。しかも最も幸福な者が――ネットタブーの一つらしいわ――よその亭主に言い寄られ幸せ絶頂な泥棒猫に呪いの8文字を入力させてやったのよ!」
「もうやめろ! ネットタブーなんか迷信やろうが!」
「迷信なんかじゃないわ! あんただってあたしがどんな目に遭ったか知ってるじゃないの! ネットタブーを犯したせいで死ぬより辛い目に遭った! あんたはそれを承知で結婚したのよね! 財産に目が眩み,傷物のあたしで我慢した!――それなのに今になってどうして!? しかも何で葛なのよ! 葛だって同じじゃない! 一箇月も若い男と一緒にいたのよ!」
真澄の妻はかつて私をいじめた萌咲だった。
「下品な物言いするな!」
「どうせあたしは下品な女よ! あのときこうなったんだわ! 全部,葛のせいよ! 葛に関わったせいで不幸になってしまった!」
「17年前の事件で傷ついたおまえの気持ちは理解できんでもない――ほやけど,葛さんのせいにするんは逆恨みじゃろうが。彼女が知らせてくれたけん,おまえは助け出された」
「ほかの子たちみたいに死んだほうがましだったわよ……」
「もう勘弁してくれ。うんざりや――」真澄は部屋を飛び出した。
萌咲はぶつぶつ呟き,再び例のアドレスを打ちこみはじめた。
「さあ,スマホを出して――」私の肩に顎を置き,後ろから腕を回しリズムに揺れる彼が囁きかけた。「同じ文字を入力すればタブー返しができる――あの女がかわりに死んでくれる」
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