第6話 呪いの8文字

 彼女との年月に区切りをつけたあと,午前中に店へとむかった。その途中に常連の保木ほうき真澄ますみと出くわした。市議会議員の有力株だ。

 何か食べさせてくれないかと両手をあわせる。夫婦仲が思わしくないらしい。

 トーストと目玉焼きをカウンターに並べ,コーヒーを出そうとすれば,手を握られる。

「毎日一緒に食おうや,朝飯と晩飯……」

「モーニング?……コロナで不況だしね。でも新しいこと考えるの面倒だな。夜しかお店あけるつもりないし」

「……ほじゃのうて。おまえに俺の飯をつくってほしいんじゃ。店やのうて俺らの家庭で……」真剣な眼差しだった。

 参ったな……得意客だから機嫌を損ねたくはない。少し考えさせてくれと保留して店から送り出した。

 真澄といれかわりに如何にも裕福そうな美人が入ってきた。真澄の妻だと名乗る。

 まだるっこい話は苦手なので,私たちに特別な関係はないし,今後真澄の態度に変化が生じても断固応じるつもりはないと明言した。

 妻は得心した面持ちで紙片を手渡した。メールアドレスが記してある。懇意になりたいので連絡をくれと言うのだ。アドレスが分かればよいから内容は空で構わないとか。友人の社長たちにも紹介すると囁かれ,欲が出た。

「お昼過ぎに大事な商談があるの。だから正午ちょうどにメールしてほしいのよ――ね,いいでしょう?」拒絶できない威圧感があって妻の要求をのんだ。

 時計と睨めっこして11時59分を過ぎるなりメールアドレスを打ちこんでいく。

 s・u・g・u・s・i・n・e――アットマーク前のアルファベットを入力したとき背筋に冷たいものが流れた。アルファベットが独りでに文字変換される――すぐ死ね。

 正午を告げる役場のサイレンが鳴り響いた。目頭を刺すような甲高い音域をうねり出し急激に音量を増していく。蟀谷あたりの血管がぷつりと弾けた。

 公民館の半鐘が教会の聖鐘や八方の寺鐘と綯い交ぜになりながらクラシックの重厚な音楽へとなりかわる――

 下腹部から突きあげる衝動に抵抗できない。両腕を広げ,胸を反らせ,全身を左右に揺らせる。たおやかにターンしたあと緩やかに跳ねて店の隅に置くファンヒーターへ滑り寄る。灯油タンクの中身をフロアへ撒き散らし,収納スペースに備蓄した灯油を壁に振りかける。カウンターに身を委ね,ライターを手にとる。そして発火装置を押してフロアへ放り投げた。

 空気がよじれた。爆風が押し寄せ一面をなめつくす炎のなかでクラシック音楽が細く消失し,打ってかわって音域に波のある急テンポな曲調が神経を搔き撫でた。

 じりじりと焼かれながら相手を待っていた。

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