第4話 ネットタブー

 理由は知れないが,その日から2人は一つの寝床で眠らなくなった。1人が寝ているときは,もう1人は起きて何かしていた。

 眠たくなったら眠り,仕方のない場合にしか寝床を離れなかった私は当然疲労が蓄積し少し不機嫌になっていた。だからペンドルトンが1日留守にすると告げて岩室を出た際には解放されたみたいな安堵した気になり,数日の睡眠不足を解消しようと日が高く昇っても惰眠を貪っていた。すると耳に息を吹きかけられる。無性に腹が立ちペンドルトンを罵った。

「――僕だよ」巣寝狗が微笑んだ。ピンクの包装紙につつまれた箱を差し出す。なかには同じ色のワンピースが入っている。

 とても似あっていた。きっと私のためだけに仕立てられたものだろう。

 巣寝狗が岩室内を見渡し蟀谷を搔いた。「パンドラさん,いないんだね」 

「そのパンドラって,彼の呼び名よね」

「そう,ネットパンドラさ――ネットタブーの管理人だよ。ネットタブーはインターネットでしてはならない禁忌のこと――パンドラの箱をあけるみたいに」

「ネットでしてはならない禁忌?」

「現在構築されてるネットには八つのタブーがあるそうなんだ」

 2人の視線がかちあった。

「僕の知ってるのは,八つのうちの一つのタブーだけ」目力をこめてみせる。「雨のなかで八つのスマホを同じ対象にむけると,スマホの持ち主は,その瞬間に思い描いた負のイメージを体感してしまうんだ」

 嵐の過ぎる森のなかで,下級生の醜態をネットにアップしようとした女子中学生の悲惨なありさまが,フラッシュバックのように眼底に蘇った――

「噓! 何でそんなこと分かるのよ!」あまりの剣幕に巣寝狗はおずおずとなった。「だ,だって僕は実際ネットパンドラの力に救われた人間だから――確かに雨が降ってたよ。港湾地区の倉庫裏で人身売買の商品としてスマホで撮影されてる最中,不思議な音楽が突然聞こえて――」

「どうしたって踊らずにいられない音楽よ!」

「そう!――売人も僕も,勝手に体が動いて踊り狂った!」

「そして足の長い鉄仮面が現れた!?」

「そうだよ! なら,君も見たの?」

「あの鉄仮面がネットパンドラなの?――彼がネットパンドラなの?」

「彼以外にいないっしょ!――絶対認めないけど。でも彼に相談すれば必ず方をつけてくれる。どんな強い相手でもやっつけてくれる――組長でも政治家でも。何せ彼にはネットタブーを制御する能力があるから。つまりね――」鼻先を突きあげる。「タブーを犯した者を罰する力は勿論,タブーを犯すように誘導する力だってもってるのさ。この御時世,スマホもパソコンも使わない奴なんて皆無でしょ。だからネットパンドラの標的となったら,誰も逃れようがないってわけ」

「タブーを犯したらどうなるの?」

「そりゃ色々さ」円らな薄茶の瞳を細めて声を潜める。「さらし者になったり死んだりとか――でも最も重い罰はネット世界に閉じこめられちゃうって話だよ。電波と化して身を焼かれつつ永遠に彷徨い続けなければならないんだって……」急に頰皮をかため真顔になる。唇を半びらきにしたまま両眼だけはぎらつかせ相手をいつまでも凝視している――自分もきっと同じ表情をしているのだと思った。

 巣寝狗が人懐っこい笑みを浮かべた。「僕らは大丈夫っしょ?――てかっ,それとなし君からも話してみてくれない。今度の仕事,実いりがいいんだ。あっ,僕の来たことは当然内緒にして」

 巣寝狗が岩室を去ったあとも私たちはメールでお喋りを続けていた。ふとキーボードを打つ指を静止させる。耳を澄ました――

 外界で大気が軋みを起こしている。それは遺跡の発する放射線濃度の強い折に起こる現象だ。午前零時を過ぎたことが知れる。彼はまだ帰らない。

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