第15話 挨拶(4)
「じゃあ浜砂二曹、行ってきます」
「うん、リラックスして頑張って!」
「はい!」
啓太は少し水色の入ったスーツ姿。もちろんネクタイも完備だ。
啓太はハマコウに見送られて一人用のキャリーバッグを転がしながら営内を出ると、恵里菜と待ち合わせをしている売店前へ向かった。
対する恵里菜はというと――
「恵里菜、今日絶対に決めてきなさいよ!」
と
恵里菜もやっぱり水色の少し入った夏らしく涼しげな感じのワンピースで、腰に細めのベルトを巻いている。少し生地が薄めなのか、そういう仕様なのか、うっすら下着のラインが見え隠れするのが清楚な中に少しエロティックな雰囲気を持つワンピースであるので、中にワンピースの色を邪魔しない白いキャミソールを着てラインが出ないようにしている。
実はこのワンピース、明美やめぐみと一緒に買いに行ったものだったりする。
自衛隊に入って洋服を買ったのは初めてであることを知った明美とめぐみは相当に驚いたそうである。まあ無理もない――。
「うん、絶対にパパやママに認めさせてくる」
「そうね。まあその年でパパとかママってのはちょっと力抜けてくるけど、まあとにかく彼に恥をかかせないように頑張んなさい!」
「もちろん!啓太には絶対に恥は掻かせないよ!」
山中三曹は恵里菜の髪を梳かし終えると、櫛を机に置いて両手を恵里菜の肩に置いた。
「よし!うん、今日も可愛い!」
「じゃあ行ってくるね」
「さっさとドケチと営外者になってまえー!」
二人は笑いあうと、一度ハグして、
「恵里菜、アンタなら大丈夫。自信もっていきなさい」
「うん、成果、持って帰ってくるね」
「セイカ製品はいらないからね」
「それは私もヤダ」
二人はハグしあったまま笑いあい、そして離れた。
そして恵里菜はこちらも
「じゃあ、啓太待ってるから行くね」
「おう!セイカ製品ならブラックモンブランなー」
「それセイカ製品じゃないよー」
かくして恵里菜も
先に待ち合わせ場所についた恵里菜。そしてすぐ後に来た啓太。
「ゴメン待った?」
「ううん、私も今来たところ」
ようやく、ようやくやりたかったシチュエーションの会話ができたことの喜びもあってか実に可愛らしい。もちろん例の掲示板もさぞ賑やかであろう――であったはずなのだが、なぜかお通夜モードである。
・
・
・
287:名無し自衛官
ねえ、見た見た?すんごい可愛い人がいる!と思ったら業務隊の下川三曹だったの!
288:名無し自衛官
見た見た!もうめっちゃ可愛かった!しかもドケチもかっこいいの!
289:名無し自衛官
それよ!
290:名無し自衛官
はーい、そういうのはカップル板でやってくださーい
291:名無し自衛官
うちら負け組はどーでもいーでーす
292:名無し自衛官
なんで恵里菜たんはドケチをとったんかなー。俺だったらもっともっといろいろしてあげたのに!
293:名無し自衛官
そういう下心が見え見えだったからなんじゃないの?
294:名無し自衛官
292と違ってあのドケチよ!あんなにかっこいいなんて思わなかったよ!
295:名無し自衛官
ねー!もう下川三曹を見る目がすっごい優しいの!
もうそれだけでキュンキュンしちゃった!
296:名無し自衛官
それ私もー
297:名無し自衛官
私、ぬれちゃった
298:名無し自衛官
さすがにそこまではいかないわー
299:名無し自衛官
なんかさー、ここお通夜ぽくない?
300:名無し自衛官
それはほら、下川三曹、ドケチに取られちゃって
301:名無し自衛官
は?それだけ?
302:名無し自衛官
ないわー
303:名無し自衛官
ねーエリナちゃんとドケチを応援する板作ってみたんだけど、来る?
304:名無し自衛官
いく!
305:名無し自衛官
私もー!
こんなところいたらなんか腐りそうだし
306:名無し自衛官
男共はもう腐ってるけどね
307:名無し自衛官
こういう男にだけは騙されないようにしないと!
308:名無し自衛官
私、第二のドケチ探すことにするー
309:名無し自衛官
それいーねー!
310:名無し自衛官
じゃあ、ここじゃなんだから303ちゃんが作った板に行こ?
311:名無し自衛官
おーけー!
312:名無し自衛官
そうしてWACはいなくなったとさ・・・泣
313:名無し自衛官
恵里菜たんカムバーック!
314:名無し自衛官
なんかどっかでみたなそういうの
315:名無し自衛官
電車何とかってやつじゃね?
316:名無し自衛官
あ、あれかー
あれカムバーックの気持ちよくわかるわー泣
317:名無し自衛官
離婚とか祈っちゃダメかな
318:名無し自衛官
そこまで行くのはヤダなー
319:名無し自衛官
だよねー。
いってみただけー
・
・
・
まさかここまでとは――。
とりあえず、仕事しようか、名無し自衛官共……。いやWACもな!
売店でお土産を買って、その足で基地通信隊舎に寄って啓太が外出許可証を受領して、正門へ向かった。
保障についていたのは成美だった。
「あ、お姉ちゃん!」
「そういえば今日だったね。ガンバレ!」
「鳴無三曹も、恵里菜を選んでくれてありがとね。泣かしたら健司さんがつぶしに行くらしいからね」
「はい。って同期がお義姉さんになるのか……」
「それ、なんか年食った感じするからヤダ!」
と3人はくすくす笑いあうと、顔を引き締めあって、
「よろしくお願いします!」
と二人が身分証と外出証明証をだし、成美がそれを確認する。
「二人とも異常なし」
別に言わなくてもいいのだが、なんか言いたくなった成美はそう二人に告げた。
「お疲れ様です」
と二人は成美に十度の敬礼をして左向け左をして二人並んで正門を出た。
「今日お姉ちゃんたちが警衛だったんだ」
「俺も知らんかったわ」
「でもお姉ちゃんでよかったかも」
「それは言えてる。じゃあ行こうか」
「うん。ねえ、啓太。腕組んじゃダメ?」
と恵里菜が上目遣いで啓太を見てくる。
啓太は――その目は卑怯だろ――と思いつつも、
「正門が見てなくなったら、ね」
と条件付きで許可を出した。
すると、とたんにニコニコしだした恵里菜。
つい最近まで手を繋ぐだけで顔を真っ赤にしていたころの恵里菜とはまるで別人のようにも感じる啓太は、ニコニコ顔の恵里菜をチラ見する。
そのチラ見に気付いた恵里菜が「なに?」と見てくるが、
「なんでもない」
と返すと、「変な啓太」とやっぱりニコニコ顔である。
――なんかぐっと可愛くなったように見えるのは気のせいだろうか
と思う啓太であったが、それが気のせいではないことを周囲を行き交う人々が恵里菜を振り返るのをみて気のせいではないことを確認した。
すると、こんな女性と結婚する――それが啓太にとって大きな自信となったことはいうまでもない。
何分も歩いていないのだが、啓太にはそれくらいの時間に感じられたその時、恵里菜が止まって振り返ったので、何かあったのかと啓太も止まって恵里菜を見ると、
「もう見えなくなったから、いいよね?」
「へ?」
恵里菜が目をキラキラとさせている。
対する啓太は間の抜けた返事である。
「もう正門見えなくなったから」
「あ、ああ、そうか」
「いいでしょ?」
「しょうがないな。じゃあ、はい」
と、啓太は左腕をちょっと上げて脇に隙間を作る。
すると、「やった!」と啓太の左腕に抱き着く。
そんなことをすれば当然啓太の左腕に恵里菜が密着するわけで――
――あちこちの感触がすげえ気になる
本来道路交通における徒歩通行のマナーは右側通行なのであるが、駐屯地を出て駅に向かおうとすれば正門を左に出る。また横断歩道もさほどないため、そのまま左側通行になってしまう二人なのであった。
それに最初の目的先の南福岡駅も左側にあるので、このまま歩いた方が早く歩道にたどり着けるというメリットがあったりもするのであった。
二人が腕を組んで歩くこと約10分。どうしても腕を組んで歩くと歩幅が小さくなるためいつもよりも時間がかかってしまうのは仕方ない。
二人は博多駅までの切符を買い、時刻表を確認する。
「あ、
「恵里菜、職業病だな」
「え?……あ――」
と二人は笑いながらプラットホームに向かうのだった。
一方その頃、下川家では――
恵里菜の両親がリビングでテレビを見ながらお茶をすすっている。時間的にはお昼を過ぎたばかりであるので、やっているのは全国ネットで中継されているお昼のワイドショーである。
「母さん、あいつら大丈夫かな――」
「大丈夫ですよー。あの子だってもう22ですよ?」
恵里菜曰くパパこと、
「し、しかしなあ、お前――」
といいつつもこそこそと部屋の入口にお尻だけで向かおうとしている。
「あら、あなたどちらへいかれるんですか?」
と美恵は、テレビに視線を向けたまま
「え?――いや、その……あ、トイレだトイレ!」
と修二はぶわっと冷や汗を流しながら答えるのだが、
「あ、そうですか。でもあなた、トイレは右の方ですが?」
と
「あ、そ、そうだったな――」
と修二が立ち上がろうとしたとき、美恵が修二の方を向いて、
「ま・さ・か、逃げようなんて思ってませんよねえ?」
とすーっと音も立てずに立ち上がると、まだ立ち上がろうとしているだけの修二の前に仁王立ちになった。
そんな
「そ、そんなわけないだろ?」
と、なぜか震えた声で言う修二。
「そうですよねえ。成美の時に警察に保護してもらいましたものねえ。ま・さ・か、あの時のことをお忘れになったなんてことはないですよねえ?」
と、不敵な笑みを浮かべる美恵。その額には2本のツノが生えているようにも見える。
「あ、あはは、まさか――」
「そうですよねえ、オホホホホ――」
「そうだよ、ハハハ――」
「じゃあ、あなた。手を後ろに組んでくださいます?」
「え?」
どこから出したのか、美恵が手に手錠を持っている。もちろんおもちゃではあるのだが――。
「さあ!」
「は、はいいぃぃ!」
修二は美恵の迫力に負けててを後ろに組む。
そしてその手に手錠をかける美恵。
「ウフフフ――これで逃げれませんよねえ?」
「は、はい――」
「まあ、やっぱり逃げるおつもりだったのですか!」
「え?い、いや――あ、あれは、言葉の綾だあ――」
「言い訳は聞きません。これは足にも手錠をかけていた方が――」
「い、いや。さすがにそれじゃトイレにも行けない――」
「ああ、あなたが入院した時に買った成人用おむつが残ってますから大丈夫ですよ?」
「あ、そうですか――」
「はい!」
落胆する
☆☆☆ ☆☆☆
博多駅から15時42分発のの九州新幹線に乗った啓太と恵里菜。
啓太は恵里菜が博多駅で買ったチョコレートを口に含んで気持ちを落ち着かせていた。
「そんなに緊張することないと思うよ?」
恵里菜は啓太にそう言ったのだが、啓太は頷くのも精一杯な状態であった。
まあ、気持ちはわかるよ啓太君――。
「あ、今日ね。パパ仕事休んじゃったんだって!こういう大事な時ってパパ逃げたい病が出るんだよ。それが私にも遺伝しちゃって一時期大変だったんだけどね」
と恵里菜はそう言ってアハハと笑う。
恵里菜がいう一時期というのは、今から3年ほど前のこと、同期でもあり
この恵里菜の一種とトラウマとも呼ぶべき状況が緩和したのは、恵里菜本人も、山中三曹も清水陸士長もここまで回復できたのは啓太という存在があったからだと思っている。そして今では恵里菜自ら腕を繋ぎたいといえるようになってきて、実際に啓太と腕を繋いでも恐怖は全くなくむしろ安心感が溢れてくるまでになっていた。だからこそ、恵里菜は結婚するなら啓太しか考えられなかったのである。
そんなこと知りもしない啓太は、一緒に笑ってはいるもののまだ表情が硬い。
そこで、恵里菜は「ちょっとお手洗いに」と席を立ち、車両を見渡しながらトイレから帰ってくると、まだ表情に硬さが残る啓太の脇腹をくすぐった。
「ちょ、やめ!あひゃひゃひゃ、やめれえー!」
ちょっと変な笑い方であるが、きっと硬さがあったからであろう。たぶん――。
恵里菜はニヤリとしてしばらくくすぐり続け、啓太の表情から硬さが消えたかなというところで止めた。
「くそ、こうなったらこっちからもお返しだ!」
「キャハハハハハ、やめて、ごめんなさーい!」
どこに行ってもラブラブな2人である。
しかし、公共交通機関でこういうことをすれば――
「お客様、もう少し静かにお願いできますか?」
切符確認に来た初老の車掌さんに叱られる2人であった。
まあ、当然でしょうな――
車掌さんに切符を渡してスタンプを押してもらい、車掌さんが次の車両に行ったのを確認した恵里菜は、
「もう、ひどいよー」
とブーたれる。――いやキミから始めたことでしょうに――
「でも、啓太の顔から硬さが消えた見たい」
と啓太を下から見上げてニッコリ微笑んだ。
「まあ、やり方には多分に問題はあったけどね」
「でもいつもの啓太の笑顔だ」
「まったく。でもありがとな」
「うん!」
そう答えた恵里菜は啓太の頬にキスをした。
「な、なに?」
「なーんでもない――わけない!」
とプイッと突然そっぽを向いた。
「え?なに?」
何が何だかわからず、少しオロオロする啓太。
そんな啓太を横目に恵里菜はくすくす笑うと、
「明美ちゃんから聞いたぞー!啓太脇甘すぎだよ」
と、啓太の方を向いて人差し指を立てて、説教するようにして言ってきた。
やっぱり何のことかわからない啓太。
「啓太、隊員食堂で明美ちゃんにほっぺにキスされたでしょ!」
と、ハリセンボンよろしくプクーッと頬を膨らませる恵里菜。
そんなことあったっけ?と記憶を辿る啓太。そして――
「あ――」
と思い出した。
それは恵里菜が早番で別々に食事をとった時に明美が突然啓太の頬にキスをしてきたあのことである。(※第8話参照)
「あー!やっぱりー!」
「え?」
「やっぱりキスされてたんだ!」
「ええ?いや、あの!」
オロオロする啓太。それを見て爆笑する恵里菜。
「う・そ!知ってたよ。というか明美ちゃんから聞いたんだけどね。聞かされた時はちょっといい気分はしなかったけど、啓太、明美ちゃんが啓太のこと好きだったの知らなかったでしょ」
と、啓太の想像の斜め上なことを言ってくる恵里菜に、啓太はただ単にびっくりしていた。
「どゆこと?」
「やっぱり気が付いてなかったんだね。
明美ちゃん、そのことでずいぶん悩んだみたいなんだ。それに啓太、
と、また想像の斜め上なことを言ってくる恵里菜。
啓太自身が感じていたことといえば、外出もせず駐屯地内で過ごすことを「ドケチ」とか「守銭奴」とか「キモい」とか言われていたのは知っていたし、
「こっちも気付いてなかったのか――
いや、気付いてたらきっとかなりのプレイボーイになってたかもね。
むしろ私にとっても明美ちゃんにとっても都合がよかったんだけどね。
明美ちゃん、啓太に悪い虫が付かないようにって、わざとあれこれ流して啓太ファンを減らしていってたみたいなんだよね。私にもそう言ってきたもの」
と恵里菜が言ってくるので、啓太は気になって仕方なかったのでどんなふうに言われてたのかを聞いてみると、
「毎月通帳の残高が増えることにしか興味のないキモ男。それから、女に興味のないゲイ」
「マ、マジですか――」
「マジです」
「それ、俺駐屯地で過ごせないんですけど――」
「私がいるじゃん」
「いや、それはそうなんだけど――もしかして職場にも?」
「職場はノーカウントだったみたいよ。だってみんな知ってることだし。通帳の残高見てニヤついてるの」
「い、いや。それには深ーい訳があって――」
「知ってるよ。結婚資金一生懸命貯めてたんでしょ?」
「へ?なんで知ってんの?」
ピンポイントで大正解を答えられた啓太は鳩が豆鉄砲食らったような眼をしている。
「あ・の・ね。彼女舐めないでよね。私、たぶん啓太よりも啓太のことわかってるつもりだよ?」
「そなの?」
「そなの!だって、啓太のことこんなに好きなんだよ?こんなに好きな人の事知りたいって普通のことじゃない?まあ男の人はどうかわからないけど」
「いや、まあきっとそれは男も同じかと――」
「まあそりゃそうか――啓太、私が昔受けたトラウマのことを知っても離れようなんてしなかったもんね」
「それは当然でしょ。好きなんだから」
「それと同じことだよ。むしろね、私は啓太ってすごいなって思ったんだよ。誰に何を言われようとも自分を貫き通すところ。そこは仕事してる時の啓太よりもこうして私をしっかり見てくれる啓太よりもカッコいいって思う」
「そうかな」
「そうなの!
だから、啓太となら――ううん、啓太だから啓太の奥さんになりたいって思ったんだ」
好きな女性からここまで言われて悪い気分になる男なんてどこにもいない。むしろ己惚れる方が圧倒的だろうと思う。啓太も若干なれど己惚れていた。
「あのね、ここいっぱい己惚れていいところだよ?啓太って自制心が強すぎるんだと思うよ。付き合ってから一度も私とそういうことしようとしてこなかったでしょ?私ちょっと自信失ってたよ?」
「え、いや。それは――ゴメン――」
「アハハ、なんで謝るの?でもね、啓太から電話でだったけど、プロポーズされたとき、すっごく嬉しかったんだ。もうね、色々悩んでたのがパーッとスッキリと晴れちゃった」
と、両手を上げて左右に広げてニカッと笑う恵里菜。
「ね、今この車両誰もいないから、もう一度あの時の言葉聞かせてよ」
そう言われた啓太は、恵里菜の頭に手を置くと、
「俺の奥さんになってくれませんか?」
と電話でしたプロポーズの言葉を言った。
言われた恵里菜は照れながらも大きく頷いて満面の笑みを浮かべている。
そして、改めて啓太は自分に誓った。
――この笑顔を守っていこう
と。
啓太が自分に改めて誓った時、新幹線は熊本駅に到着した。
駅ビルを出たところで、恵里菜は自宅に電話を掛けた。
すると、父親が逃げそうだから約束の時間無視していいからすぐに来なさいと母親に言われて、恵里菜は苦笑いしながら、啓太を引っ張っていった。
恵里菜の自宅は、熊本駅から少し阿蘇方向に行ったところにあった。
まだ熊本地震の爪痕が残っていたりする道を駅から乗ったタクシーが走っていく。
「まだ爪痕残ってるね――」
啓太がそういうと、恵里菜は
「うちは被害はなかったんだけどね、やっぱりこういうの見ると私達自衛官がしっかりしなきゃって気持ちになるよね」
「そうだな――俺達しか国を守る仕事はできないんだもんな」
「そうだね――」
そんなことを言っていると、初老のタクシーの運転手が二人に話しかけてきた。
「あんたたち自衛官と?」
「はい、そうです」
と啓太が答えると、
「あんたたち自衛隊しゃんにはほんなこつお世話になったとよ。あんたたちがおるけんワシらはこうして普通に仕事がでけるばい」
と運転手が言った。
それを聞いて、恵里菜は目に涙を浮かべた。
自衛官と聞けば、自衛隊反対派からの意見が声高に聞こえてくる。だからこういうことを言ってもらえると自衛官でよかったと思える瞬間でもある。それは啓太も同じのようだった。
「あんたたちご夫婦と?」
「いえ、これからご両親に挨拶に行くところなんです」
と啓太が答えると、恵里菜が啓太をみて微笑む。
「お似合いなあ。うもういくことば祈っとるばい」
「ありがとうございます」
そんなことを話していると、恵里菜の実家に到着した。
運転手に料金を支払い、タクシーを降りた。
「がまだしなっせ」
「ありがとうございます」
2人はタクシーの運転手に一礼してタクシーを見送ると、恵里菜のエスコートで玄関の前に立った。
恵里菜が啓太の前に立ち、ネクタイとスーツの襟を正す。
「はい、これで良し!じゃあ押すね」
「よし、大丈夫だ!」
啓太は適度な緊張を浮かべている。
そして恵里菜は呼び鈴を押して、啓太の左に移動した。
玄関は引き戸で、呼び鈴が鳴ってから奥から女性の「はーい」という声と共に足音が大きくなり、玄関が開かれ、恵里菜の母親、美恵が出てきた。
「初めまして。私、鳴無啓太と申します」
と名乗りお辞儀をした。
「まあまあ、遠いところからわざわざ。さあさ、お上がりください」
と美恵は家の中に掌で指し、啓太を招き入れた。
美恵はスリッパ立てからスリッパを二足だし、一方を啓太に、もう一方を娘の恵里菜に差し出した。
啓太は「お邪魔いたします」と玄関の敷居を跨ぐと靴を脱ぎ中に上がった。
恵里菜も啓太に続いて中に上がる。
玄関の靴箱の上には、小さな日の丸がこれまたミニチュアな掲揚台に掲げられており、成美、恵里菜どちらのものだろうか、三等陸曹の階級章が一対、丸いニットの敷物の上に乗せられていた。
「大きな荷物はとりあえずこちらに」と美恵の案内通りに啓太はキャリーバッグの車輪を持ち合わせのウェットティッシュで拭いて、玄関横の空っぽの納戸におかせてもらった。そして啓太が使ったウェットティッシュを美恵は「こちらに」と手を差し出して受け取った。
そして、二人を客間に通した。
美恵は二人を上座に座らせると、いったん客間を後にして父修二と一緒に4つのお茶をもって戻ってきた。
修二が啓太の目の前に座り、美恵がそれぞれにお茶を出す。
そこで啓太がお土産を紙袋から出して「つまらないものですが」と差し出すと、美恵は「ありがとうございます」と受け取った。
その啓太の所動作を修二はずっと見ていた。
美恵が落ち着いたところで、啓太は目の前の恵里菜の両親に自己紹介をし、座布団を横に抜いて一歩下がり本題に入った。
「お父様、お母様、ぜひとも、恵里菜さんを僕にください」
そう言って正座のまま頭を下げる。
すると、男性のすすり泣く泣き声が聞こえてきた。
何だろうと思って少し頭上げてみると、修二がかけていた眼鏡をはずしてシャツの袖で涙を拭っていた。
――あれ?こういうときって、お前みたいなのにはわたさーんとか来るんじゃないの?あれー?
ある意味啓太は固まってしまった。
しばらくそんな状態が続いて、
「啓太君といったかね。頭を上げてくれないか」
と修二がまだ涙声でそういってきたので、啓太は修二に従って頭を上げた。
すると、突然修二が駆け寄ってきて、啓太に抱き着いてきた。
「俺は君みたいな若い子が娘を貰いに来てくれるのを待っていたんだよー」
と修二は抱き着きながらおいおいと泣き始めた。
さすがにこれには恵里菜もぽかんとして開いた口が塞がらなくなっている。
――えー?これどうしたらいいんでしょうか?――
啓太が固まっていると、美恵がもう我慢できないとばかりに噴き出した。
「もう、お父さん。嬉しいのはわかったからそれくらいで。啓太さんが困ってるから」
と美恵が啓太から修二を引きはがしていく。
そして啓太と恵里菜は顔を見合わせた。
「いえね、うちの長女が10も離れた人を連れてきてねえ――」
――ああ、安居曹長のことか
とピンときた啓太だったが、とりあえず顔には出さずに話を聞くことにした。
「もうね、あの時は大変だったのよ。あんなオッサンに娘を渡すために育ててきたんじゃない!って。
それでね、恵里菜から啓太さんの話を聞いてから、もう毎日、いつ来るんだ?ばかりで――」
「パパ、そんなに啓太のことを?」
「そうじゃないんだよ。啓太君、まだ高校生のうちにご両親を亡くされたのだろう?」
「はい――」
「それなのにな、君の諸動作が実によく躾けられているなと思って、こういう子が恵里菜を貰ってくれるのかと思ったら、つい――」
と、少し小さくなる修二。
「パパ、それって啓太との結婚を認めてくれるってこと?」
と、恵里菜が身を乗り出して修二に尋ねる。そんな恵里菜を「はしたないことしない」と美恵が諫める。
「認めるとも。こんなによくできた青年はそうはおらんだろうしな。それに一時期自衛隊辞めると言っていたお前をこんなにも明るくしてくれた人だ。それもお前たち二人を認める理由の一つだよ」
と修二が恵里菜を見て言った。
そして、今度は啓太を見て、
「啓太君、こちらこそ恵里菜をよろしく頼みます。そして、これからは私達を君の両親だと思ってなんでも頼ってもらいたい」
そうして、啓太の一世一代の挨拶は、あっけなく認められたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます